醜業婦
街外れに建つ木製の家。雨戸は確りと閉じられているが、人が寝静まっているものではない気配があった。
「ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ……!」
そこは農民の家で、家主である男は壁際に立ち、荒い呼吸を繰り返している。
男の前には髪を二つに結んだ可憐な女性が、恍惚とした顔でこれまた荒い呼吸を繰り返していた。
そう、二人は情事の真っ最中だった。
と言っても二人は夫婦や恋人、愛人といった関係ではない。
女性は整った顔に、美しい肉体、甘い嬌声と扇情的で魅力的な人物であるのに対し、男の方は見られたものではなかった。頭の後退した五十絡みの、しかも醜悪な顔立ちであり、体は農家らしく労働で鍛えられてはいたが綺麗な筋肉ではなく見た目が汚いのだ。
そんな明らかに女に相手にされなさそうな醜男に対し、嫌な顔どころか好きかも知れないと勘違いしてしまうような嬉々とした顔を見せる女性は、街外れで春を鬻ぐ娼婦だった。
快美な声と見事な舌使いで、愛する恋人同士の情事のような甘美な夢を見せる。……相応の金銭を、貰って。
「はぁっ……お前っ……中々、悪くっ……ねえじゃねえか……んん? 少し乳は小せえがなっ……この辺の娼婦にしちゃあ、はぁはぁっ、顔もいい方だしなァ……?」
漏れ出るのは、己の醜さを理解しない上から目線の言葉。それは金で買っているが故。金銭を“譲渡してやってる”自分が上だと思い込んでいた。言ってしまえば、金で買う以外に女が寄って来ない男だからなのだろうが。
だがそれは女性の方も同じで、金を持っている人に体を譲渡するしかないから、自らが肉体を売るしか生き抜けぬからこんな男にも媚び諂うしかないのだ。だから彼女とて決してこの哀れな男を見下せはしない。
「あぁっ……ブノワさんっ……」
女性は快楽に身を震わせている振りをしながら、頭の中に好きな男を思い浮かべていた。金など要らず、ただ純粋に女として抱かれたいと思う相手を。
そうとは知らず、彼女が感じていると思い込んでいる男はニヤけた口の端から唾液を垂らした。
汚れた分泌液が腐臭と誤認するような生臭い空気を伴い、糸を引く。
ムチンの如く高密度なそれは、世に蔓延る穢れた男共の欲望を象徴しているかのようであった。ねっとりと纏わりつく、精神までをも侵す、奇異の色。
「ふへへっ……そんなにイイのか? この淫乱な売女めが!」
不快でしかない下手な性交に快感を装うだけで、気色の悪い優越に満ちた台詞を吐き出す。気持ちのいいはずが、なかろうに。
男は腰を振りながら悪臭を放つ口を間抜けに開き、のたうち回るように舌を這わせて彼女の美しい肌を穢す。
「あっ……」
色声を発しながら、思う。もし同じように穢らわしく舌を這い回されても、あの人ならば愛おしいと。
生きるための金銭を稼ぐための、望みもしない性交では抱かれたい誰かを想って乗り切っている。心まで、“売りもの”にしてしまわないように……。
† †
夜風が肌を嬲る。街外れの夜道を、グレー系オリーブ色のローブを纏う小柄な女性が一人で歩いていた。
名をIrma(イルマ)と言い、街外れで醜業をしている十九歳の貧民の女性である。
彼女は娼館に所属している公娼ではなく、個人で売春を行っていた。いわゆる私娼である。
そのため、先ほど相手にした五十絡みの農家の男のように自宅での性交や、野外での性交に応じていた。
イルマは元々この国の人間ではない。
彼女のいた国と或る国との間で戦争が起きてしまい、イルマのいた国が敗北してしまったのだ。それまでは庶民ではあるがそれなりの暮らしをしていたが、これによって故郷を失った。
イルマのいた国には敵国の兵や略奪者が雪崩れ込み、虐殺、窃盗、強姦などが繰り返される。彼女はそんな地獄から命辛々逃げ延びたのだ。
もの乞いをしつつ体を売りつつ宛のない旅を続け、このゴールデンソウル帝国に落ち着いた。
教会は住む家がない貧しい人間も積極的に受け入れており、獣や悪人に怯えながら野宿をしていた彼女からすれば、これ以上安心できる寝床はないのだ。
だが豊かな国へ流れたところで両親も家も畑も全てを失った幼い彼女に職が見付かるはずもなく、私娼として食い繋ぐことになる。そのまま今までズルズルと娼婦を続けて来た。
国が豊かとはいえ定価の概念がない世の中で、しかも高級娼館の公娼でもない貧しい私婦のイルマのような人間は安く買い叩かれることが大半で、昼間はもの乞いをしている。
「痛っ……」
イルマは夜道を歩きながら首をさすった。先ほどの客が酷く遅漏で、寝違えてしまったのだ。
最初は立ってしていたが、リネンシーツの藁ベッドに押し倒され、長時間腰を振られたのだから堪ったものではない。
だがその懐は僅かばかりのペニー銀貨で潤った。明日はこれでパンでも買おうと、少しだけ安心感を抱く。
銀貨とは言っても、ペニーは小型銀貨だった。
所詮貧民が手にできるのなんてペニーの域を出ず、金貨のフローリンなんて一生お目に掛かれないだろう。大銀貨であるグロートでさえ、小銀貨の何十倍も価値がある。
「……」
イルマはふと顔を上げた。見上げた先に、黒いシルエットが浮かんでいる。夜目が利くため彼方に見える、立派なお城である。
あそこにはイルマが見たこともない、一生見る日は来ない華やかな世界が広がっているのであろう。
帝国騎士団であれば、所属しているだけで給料は金貨を貰えると聞く。無論、活躍できればもっと沢山の金貨を貰えるのだ。
そんなことをぼんやり考えるイルマの脳裏に或る人物が浮かんで来た。
――シオン・プレストン。
女性の身でありながら何百フローリンを付与される、天才騎士。何れ帝国騎士団の団長を任せると皇帝から確約を貰い、金や銀の延べ棒などの賞与は他の騎士の何十倍も与えられている。
時々広場で娯楽として決闘大会が行われることがあるが、シオンに勝った人間は未だ嘗て一人もいないと聞く。身分など関係なく参加可能のため、兵士だけに非ず数々の猛者が集まるというのに。
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