アゼルとシオン
――ゴールデンソウル帝国。そこは精強な軍人を揃える帝国騎士団が秩序を守り、商人たちは多いにその手腕を振るい、発展し繁栄した大国だった。
国は物資で満たされ活気があり、聖職者や貴族、軍人だけに非ずその大多数が富饒を締めており、道端で野垂れ死ぬような貧民もなく、庶民の権利も守られていた。
ただ、その中には当然のことながら例外もいた。
「おやじ、もう一杯」
城から伸びる石畳の大路に面した酒場。そこで一人の青年が粗末なオートミールと安い葡萄酒を煽っていた。
彼は単に庶民と一括りにするには烏滸がましいような貧民であり、衣服はボロく薄汚い格好をしている。元金もなく頭もいいとは言えない彼は日雇い労働のような仕事しか得られず、主に力仕事や何らかの作業などを請け負い、その日暮らしで食い繋いでいる状態だった。
そんな青年を見詰める店主は、ひょろい青年と比べるには酷な豪傑漢である。口元から顎まで髭を生やし揉み上げと混じるほどで、筋骨隆々とした厳つい体躯も相俟って熊のように見える大男だ。
「アゼル。そのくらいにしとけ。お前はそんなに酒に強い方じゃねえだろ。それに、金は大丈夫なのか?」
青年と言うより少年と言って通用する容貌を持つこの若者は、Azel(アゼル)。肌は日に焼けているが浅黒いとまで行かず、痩せ型で背も小さいため男らしさとはほど遠い若者だった。
「大丈夫だよ、あと一杯くらいなら。それに今日は馬が高く売れて思わぬ収入だったんだ。金もちゃんとあっからよ」
ペニーコインの入った袋をジャラジャラと軽く振り、不敵な笑みを見せる様はまるで悪ガキのようである。
アゼルの酒の弱さを知っている店主は一度溜め息を吐くと、
「あと一杯だけだぞ」
と念を押して葡萄酒を注ぐ。
「あんがと、おやじ!」
アゼルはニカッと無邪気な笑顔を見せ、残ったオートミールを掻き込む。
「しっかしよぉ……」
少年のようなアゼルの姿を見る店主は、その大木の幹のようなガッシリした腕を組んで言い淀んだ。
アゼルは顔を上げ、店主を見る。まだまだ萎えぬ豪傑の眼光と年齢の割りに幼い澄んだ瞳が交錯した。
「お前は……何か行動しようとか、そういうのはねえのかい?」
「……何が?」
へらっと曖昧に笑ってみせたアゼルに、店主は髭を撫でながら言う。
「誤魔化すんじゃねえ。シオンのことだよ」
「……」
シオン、という名を聞いたアゼルは悲痛に顔を歪めた。それはほんの一瞬、言われなければ気付かないくらいのものだったが、店主にははっきりと分かった。
「……別に……俺は、何も」
俯いた彼は店主と目を合わせぬまま、曖昧な薄ら笑いを浮かべながら言葉を紡ぐ。
「俺は俺で生きてて、俺がシオンに対して何かすることもないし、シオンも俺に何かして欲しいとか思ってないだろうし。俺は俺の勝手で、シオンはシオンの勝手だし……」
店主は困ったような顔でアゼルを見詰める。
彼は二十二歳。まだ若く、未来があり、金持ちになりたいとか好きな人を振り向かせたいとか、それぞれ様々な思いを抱えて奮闘しているのが本来の姿だろう。
だから、既に峠を越えた店主は勿体ないと思っていた。どんなに叶わないと思うようなことでも、行動してから悲観して欲しかったのだ。
このまま行けばこの若い命は、人生の幸福を掴み取ることなく年老い、その一生を孤独に終えるような気がした。
「……アゼルよぉ。未来がどうなるかは、誰にも分からんぞ」
店主は身を乗り出して、若く幼い青年に言った。諭すような口調だった。
「……そう、かなぁ……」
安い葡萄酒の注がれたグラスを弄びながら、アゼルは相変わらず誤魔化すように曖昧な笑みを見せただけだった。
決して店主と目を合わせようとしない、色素の薄い淡い青色の双眸が哀愁を帯びて揺れている。
「……うん。そうかもね。未来は誰にも分からない……。けど……例外もあると、俺は思ってる」
頑なに幸福な未来を信じようとしない、信じられないアゼルはそう言って最後の葡萄酒を飲み干すのだった。
一気に回ったアルコールで浮かされたその脳裏に、一人の女性を想い浮かべながら――。
† †
同時刻頃、街道を外れ、帝国の背後に聳える山に分け入ったところで、アウトローな風体の男たちが血を流し倒れ伏していた。
「糞っ、強ぇっ……!」
「女の分際で……!」
怪我をしながらも辛うじて生き残っている数人の男が悪態を吐くが、その手に握られている鎌(シックル)や斧鉞(アックス)、短剣(ダガー)などの得物には一滴の血も付いておらず、掠りもしなかったことが窺える。
対峙する目元の涼しい人物は帝国騎士団を象徴する豪奢な騎士の制服を纏い、握られたツーハンデッドソードは男たちの得物とは打って変わって血に濡れていた。
「男だ女だと小さなことを言っている暇があったら、武を鍛えるんだな。所詮は多勢に無勢でしか威張れないか?」
この凛々しい騎士は、女性だった。漆黒のストレートの短髪はさらさらと風に流れ、長身で脚長、顔立ちも息を呑むほどの美麗っぷりだ。色の白い滑らかな肌は生唾ものの女のそれであるが、体躯は確りと鍛え上げられ眼光鋭く、威厳に満ちていた。
「この野郎っ……!!」
女性騎士の言葉にカッとなったちょび髭の男が得物を振り上げ、無謀にも斬り掛かって行く。
勝負は一瞬で決まってしまった。
ちょび髭の男が血煙を上げながら地に没する。騎士の女性は最小限の動きだけで男の斬撃をかわし、逆に相手を斬ってしまったのだ。これにより男たちは残り五人ほどになってしまった。
「皇帝陛下より治安維持のため賊の類は問答無用で斬り殺せと仰せ付かっている。逃げようなどと思わないことだ」
研ぎ澄まされた猛獣の牙のような鋭い瞳に射抜かれ、男たちは無意識に萎縮する。
この男たちは盗賊だった。今はまだ夜はこれからという時間で、男たちは街の人間が寝静まった頃に盗みを働こうと様子を窺っていたのだ。
街中や街周辺はショートソードを差して槍(スピア)を携えた兵卒が定期的に警邏しているのは男たちも知っており、何処をどれくらいの時間にどのように見回るかは下調べ済みであった。
しかしこの女性騎士が、戦争の際は重騎兵となる高い身分の制服騎士でありながら不定期に警邏していたのは予想外だったのだ。
女性騎士は怪しげな気配を直ぐに察知し、様子を窺っていた男たちは発見された。それでも怪しい者ではないと誤魔化す積もりだったが何も言わぬ間に問答無用で斬られ、結局は盗賊二十人余り対女性騎士一人の戦闘になってしまう。
兵卒とは違う高貴な騎士とは言え相手は一人、しかも女と言うことで最初はちょっとしたハプニングくらいにしか思っていなかった男たちは、女性騎士を袋叩きしてやろうとした。その時、悪夢は訪れる。
と言っても単純な話。女性騎士が異常に、強かった。ただそれだけで、今の状況に至る。
「この女、化け物だ……!」
「に、逃げろー!」
二十人余りが五名ほどに減らされ、漸く敵わないと悟った残りの男たちは逃げ出していた。
だが背中を向けた瞬間、月明かりに照らされた刃の閃光。血が飛び散り、倒れ伏す重い音。残りの五人も呆気なく、信じられない速さで振られた長剣の餌食となった。
「逃げられると思ったのか?」
もの言わぬ残骸と化した男たちを見下ろし、女性騎士――Sion Preston(シオン・プレストン)は冷徹な声音で呟くのだった。
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