黒き疾風シリーズ | ナノ


『月の眼(モーント・アオゲ)』

罪人懲戒

「テスト、ですか……?」

 次の日、私はまた昨日訪れた建物へ来ていた。
 どうやらこの建物は“Reiskuchen(ライスクーヘン)”という珍妙な名前が付けられているのだとか。私がこの珍妙な名付けの理由を知るのは、もう少し先の話だ。

「うん。正式にうちのメンバーになるには、先ず能力テストをしてからになるんだ」

 相変わらず人のよさそうな笑みで師帥さんは言った。

「適正検査のようなもの、ということでしょうか……?」
「そうだね。そうとも言える」

 師帥さんは終始好感を抱くような態度のはずが、何故か不穏な空気を感じる。まだ出会ったばかりで私の警戒心が抜けてないからだろうか。

「うちは特殊な職業柄、テストは必要だと判断されればされるだけ行う。数日の場合もあれば数ヶ月かかる場合もあるんだ。だから……どちらかと言えば研修のようなものかな」

 それを聞いて、合点がいった。この団体は私のことを調べ上げたのかも知れないが、極秘で機密な組織に接したこともない人間を簡単に引き入れたのも、全てはそういうこと。つまりはこの“テスト”は、頭がいいとかスポーツ万能だとかそういったことで普通に突破できるようなものではないのだ。
 いや、その表現では優し過ぎる。もしかしたら、少しのミスが命取りになるようなものかも知れない。
 そう考え私が身を固くした時、師帥さんと目が合った。鈍い光の宿る瞳。両の口元を吊り上げられ、ぞっとする。私の思考をまるごと読み取られたような気がした。

「っ……」

 それができるほど器用な人間でもないくせに、咄嗟に取り繕うとした。けれど言葉が出なかった。その一瞬の間に、師帥さんがテーブルに右手を突いて身を乗り出す。そうして、私の耳元で囁く。

「大丈夫だよ」

 恰も蜂蜜を舌で転がして味わうかのような甘美な声。

「君はきっと大丈夫だ。君には視える。例え“視えない者”だとしても」

 びくりとして震えたのは、師帥さんが殆ど吐息のような声で囁いたからだけではない。伸ばされたその左手が、その長く細く白い指が、私の右耳を這うように撫でたからだ。
 師帥さんの言葉も意味が分からなかったが、行動まで意味が分からなかった。理解不能で、意味不明。それでも、その根本ははっきりと伝わっていた。

(これ、は……)


 これは――嘱望だ。


 どうしたらいいか分からない私が硬直したままでいると、不意に目の前を寝転がった体勢の赤鵺さんが通り過ぎて……。

「うぃーん」

 私の目の前にいたのは師帥さんだが、私と師帥さんの間にはテーブルがある。だからつまり、目の前を浮遊した赤鵺さんが通過したのだ。

(え…………)

 二度見するまでもなく。あまりにも唐突に自然過ぎて、見送ってしまった。

「そういう能力の無駄遣い、やめようよ」

 絶句する私を尻目に、人のよさそうな笑みのまま目だけは少し細めて普通に注意する師帥さん。改めてここは普通の人間ではない、言葉通り異能力者の集いなのだと思い知らされた。
 普通、人は空中に寝転がることはできない。だが赤鵺さんはまるで空中が自室のベッドか何かのように、寝返りを打ったりしながらゲームを楽しんでいる。
 ……というかさり気に片手で開閉式のゲーム機、もう片手でコントローラーを装着したスマホを超高速指さばきで巧みに操作してて、ある意味、空中浮遊よりも衝撃的だった。

「師帥は、その歪んだ性癖、治そうよー」

 宙に浮いて二つのゲーム画面から目を離さないまま、何気ない日常会話の如く極自然に放たれた言葉に、師帥さんが一瞬動きを止めた。

「……紅織」

 姿勢を直し、一言名前を呼んだ師帥さんだったが、それ以上は何も言わず控えめに苦笑しているだけだった。
 言われなければ気付かないくらい自然ではあったが、赤鵺さんは明らかに師帥さんを責めていた。彼女は師帥さんの方を一瞥すらしなかったが、それが逆にショックを与えているように見えた。
 何にせよそのやり取りで私が悟ったことは、赤鵺さんは師帥さんを“止めに入った”のだということだけである。

「……仕切り直しだ。螺旋。君は私の指定する場所で支持されたことをすればいい。いいね?」
「は、はい」

 一抹以上の不安を残して、私は師帥さんの案内のままにテストを行う場所へと移動することになった。移動は師帥さんの運転する車。灰崎さんのゴツい四ドアワゴンとは違い、スタイリッシュなセダンだ。
 暫く後、車は廃れた団地へ入り、ある建物の駐車場で停車した。どうやら目的地に着いたようで、シートベルトを外して車から降りる。

「……」

 バムっと車のドアを閉める音。ジャリっとアスファルトを踏み締める音。私たちの立てる何気ない生活音が、妙に響いて聞こえた。言葉通り人気が全くなく、時折鴉の鳴き声や羽音が聞こえるだけの静かな場所。
 田舎ならこのような場所があっても別段、珍しくもないことだ。だけど、何故だろう。ここはただの田舎の長閑な感じではなく、何か陰気臭い嫌な空気が漂っていた。自分たちは心霊スポットか何かに肝試しに来ている、と錯覚しそうな物々しい雰囲気。立地的に陽の光を遮りがちで、暗いのが原因かも知れない。

(ち、ちょっと怖いかも……)

 ちょっと待ってね、と言った師帥さんがスマホを取り出し誰かと電話で連絡を取り始めたので、手持ち無沙汰な私は上腕を摩りながら辺りを見回す。
 広いとも狭いとも言えない駐車場。師帥さんは新車らしいピカピカな車を一番端の枠に停めていた。
 枠と言っても白線は白い部分がぽつりぽつりとあるだけで殆どが掠れて消えている。その他、ぽっこりと穴が空いている箇所にボロボロのカラーコーンが一つ倒れていたり、錆びて歪んだフェンスに取り付けられた看板が一部外れて風が吹く度にカタカタと鳴っていたり。至るところに不気味要素があった。

「螺旋」

 不意に師帥さんのよく透る綺麗な声に呼ばれ、安心感と緊張感に包まれながら振り返る。

「待たせてごめんね。行こうか」
「は、はい」

 師帥さんの案内に従い、建物の中に入る。外開きの扉は丸いノブを回して開ける形の古いタイプで、普通にシリンダーキーで開けていたが、その先には真新しい顔認証と声紋認証が待ち構えていた。
 ……既視感。私は顔を歪めつつも、覚悟を決めていた。腹を括るしかない。
 内部はがらんとした通路のような空間で、そこに屯する三つの影があった。

「遅い」

 その中の一人、私より頭一つ分行くか行かないかくらいの長身の女性が開口一番に師帥さんをなじった。

「君が早過ぎたんだよ。一番乗りだもの、そりゃ一番待つよね」

 師帥さんの悪びれのない笑みにジト目を向けるその女性を見て、私は愕然としていた。

「あ、のっ……も、もしかして……バドミントンの……」
「あぁ、流石に有名だよね。プロバドミントン選手の、神向寺渦凪(じんこうじ かなぎ)」

 さらっと言って退けた師帥さんに眩暈を覚えつつも、なんとか持ち直す。
 女子バドの“ゴッド・レフティー神向寺”と言えば、日本で知らない人はいないであろう選手だ。目にも止まらぬ高速スマッシュに、ダイビングレシーブを連発したりなどの男子と見紛う豪快なプレーの数々。十四歳で日本代表入りを果たし、オリンピックでは女子シングルス金メダリストに輝いた超大物である。
 ここにいるということは休日なのだろうが、有名スポーツメーカーの白いジャージ姿で、まるでこれからスポーツしますと言わんばかりにストレッチをしているのだから恐縮してしまう。思えばテストの内容は全く聞かされていないため、頭を使うか体を使うかも分からない。心構えが違うというか、何も考えていなかった自分が恥ずかしい。

「あんた……」

 私を見てぽつりと呟いた神向寺さんは、暫しこちらをじっと見詰めていたが、軈て目を逸らして一つ息を吐いた。
 ……覚えてる訳がないけれど、実は私と彼女は一度会ったことがあった。分かっていたけれど、先ほどの反応に期待してしまった分もあって少し悲しい。

「ここにいるのは、みんな君と同じでテストを受けるメンバーなんだ」
「え……で、でも……」

 私は他三人をチラ見した。神向寺さんは兎も角として、他二人。
 この中にもう一人、知っている人物がいた。斜め被りのキャスケットにゆるめのパーカーとジーンズを合わせた、身長の低い女性。腫れぼったい二重に垂れ目で、優しげな印象を与える。

「あ、あの……もしかして、なら丸先生ですか……?」
「ん? お姉さん、あたしのこと知ってるんですか?」
「は、はい……その、私、角折佐奈(つのおれ さな)さんと同じ職場で、先生のこと聞いてまして……。その前から……いつも先生の漫画見てました……」

 奈良毛円巻(ならげ まるまき)さん。メジャーではないがニッチなファンにバカ受けの、なら丸というペンネームを持つWeb漫画家である。そのため、直接会ったことがある訳ではない。たまたま先生と友達だという人がいて、スマホで写真を見せて貰ったことも、あり、私が一方的に知っていた。

「あぁ、佐奈ちゃんかぁ。ほんとお喋りだなぁ……。でも、こんなところでファンに会えるなんて……有難うございます。嬉しいです」

 ふにゃっとした笑顔が可愛い。好きな漫画を描く好きな漫画家は、第一印象も好印象だ。
 だがここにいるということは、テストを突破できればこちらの仕事に就くということ。まともな世界ではないこちら側に好きな作家がいるというのは、なんとも言えない心境である。

「螺旋、知ってたんだね。漫画家の、奈良毛円巻さん。あとそちらは根さ――」
「要らないっ。そんなことより、早くテストを」

 師帥さんの紹介を鋭い声で遮って急かすその人は、私が一番気になっていた人。
 目深に被った庇の長いキャップに、黒い布を巻いて鼻から首まで覆っており、印象的である。指穴空きのシャツに黒いスキニー、ニットスニーカー。服装は普通であるはずが、顔の布がインパクト大で気後れしてしまう。ある意味、こちらの世界に相応しいと言えるのかも知れないが……。

「まぁ、落ち着こうよ根三田(ねさんだ)。一応、お互いの名前くらいは知らないとでしょ? で、こちらが波紋螺旋さんね」

 根三田さんという女性を諭した師帥さんは私のことも紹介した後、通路に並ぶスライド式の大きな扉を指した。

「君たちにはそれぞれこの扉の先で個別にテストをして貰う。クリアできたら次のテストに進めるけど、落ちたらそこまでだよ」

 にこやかに説明する師帥さんだけど、何か引っ掛かる。私たち四人を会わせて、名前を教えて、個別に扉の先でテストをする……。これに意味はあるのだろうか。
 師帥さん――如何にも有能そうな女性だ。無意味なことをするようには見えない。だけど、どんな意味があるのだろう。意図が分からない。
 それに、落ちたらそこまでだと言うけど、落ちたらどうなるのかは言わない。聞いてみたいけれど、分からないことがあったら質問していいとは言われていないのだ。普通の仕事の面接や研修ではない手前、質問することすらも許されることなのかと躊躇ってしまう。

「質問なんだけど」

 私が戸惑っていると、声を発する人物がいた。神向寺さんだ。その澄んだ美声には微塵も恐れや躊躇いは感じられない。

「なんだろう? 答えられる範囲でしか答えられないよ」
「落ちたらどうなるの?」

 相も変わらず爽やかなのが逆に不気味な師帥さん相手に、神向寺さんは無表情のまま聞き辛いことをさらりと聞いていた。

「落ち方によるね」

 にこりと、満面の笑みで放たれた台詞。それは理解し難い言葉だった。

(……お、落ち方……?)

 アバウトだが、Aという落ち方とBという落ち方で“どうなるか”が変わって来るということでいいのだろうか。とても不穏な空気を感じる。

「……そう」

 何かを察したのか、神向寺さんもそれ以上追及はしなかった。

「それだけかな?」
「もう一つ。私たちを引き合わせた意味は?」

 神向寺さんの質問は奇しくも私が聞きたかったことと同じだった。この状況下では同じ疑問を抱くものだろうか。

「この先のテストをクリアした人たちだけ、最後に会うことになるからだよ」

 見たこともない薄ら笑いを浮かべられ、急に背中を指でゆっくりとなぞられたような悪寒が走る。
 この人は、安心感を抱かせたり恐怖心を抱かせたり混沌としている。その不安定さに、深い闇を感じた。これが、月の眼リーダーとしての彼女の顔――。

「…………」

 神向寺さんは暫し無言で師帥さんを見詰めていたが、軈て分かったとだけ口にした。表情もなくただ目を伏せるその様子から心情は読み取れない。
 臆病な私は他の人の様子も窺ったが、奈良毛さんは終始優しげな微笑を浮かべており、違和感があった。根三田さんも目元しか見えず心情が読み取り辛いが、ずっと眉間に皺を寄せていて、何か切羽詰まっているように見受けられる。
 結局、不安が増すだけであった。怯えているのは私だけ……なのだろうか。

「じゃあ、そろそろテストを開始しようか? 手前から螺旋、神向寺、奈良毛、根三田の順に並んでね」

 各々、言われた通りに扉の前に立つ。
 なんとも言えない心境だった。鬼が出るか蛇が出るか……。他三人は兎も角として、何かと人に劣る私がクリアできるものであろうか。
 考えても仕方ないことを考えあぐねている内に師帥さんが指紋認証を使って扉を開き、中に入るよう促した。
 順番に扉を開けて行くようで、師帥さんが二番目の神向寺さんの扉を開けるため移動するのを横目に、恐る恐る中に踏み入る。
 扉の先は少し広い何もない空間で、目の前には今開いた扉と同じ扉がもう一つあった。入って来た方が閉まらないと向こう側が開かないようになっているのだろう。工場にもよくある、台車などで出入りする際に使うシャッターの出入り口と似たような感じだ。勿論、ここにある扉はもっと厳重なものであるが。
 後ろの扉が閉まり、数秒の間の後、前の扉が開く。拳を握り締めて踏み出したその部屋は、かなり広い殺風景な空間だった。ものというものはなく、部屋自体には何の変哲もない。但し一つだけ、目を引く異様な光景に私は硬直した。

「ひ、と……?」

 震える唇から疑問が漏れる。向こう側の壁に、何やら蠢く黒い布があったのだ。それは鉄のバンドで壁に張り付けられたようになっており、明らかに人が黒い布で頭から足先まですっぽりと覆われて囚われているようであった。

『やぁ、聞こえるかな? 螺旋』

 何が何やら唖然としていると、何処からかくぐもった声が響いた。スピーカーらしきものは見当たらないが、機械的な響きだ。

「し、すい……さん……?」
『部屋の状態を把握した上で、テストの内容を説明しようか? 第一関門、“良心チェックゲーム”』

 そしてあっけらかんと放たれた言葉は、耳を疑うものであった。

『ここに囚われている人たちは皆、罪を犯した人たち。君はそんな存在を懲戒する“執行人”として懲罰を執行する――これがテスト内容。簡単だよね?』

 それを聞いた私は、両の拳を握り締めた。姿が見えなくとも伝わって来る愉悦は心胆を寒からしめ、体は小刻みに震え出す。それでも私は、消え入りそうな声をなんとか絞り出していた。

「何が……簡単、ですかっ……」
『んん?』
「できる訳ないじゃないですか!! わ、私はこの人たちが誰かも分からないですしっ……そもそも、罪を犯したっていうのも師帥さんが言ってるだけに過ぎません……。え、冤罪の可能性だって……!」

 絞り出したら爆発した。こんなに大きな声を出すなんて、普段の私ならやれと言われても絶対できない。

『あはっ。なんだ、意外に激しいじゃないの。いいよ。うん。それでイイ……』
「っ…………」

 愉悦に浸っているような反応に怖気付くと同時に、妙に羞恥を覚えて私は思わず俯いた。何故だか背徳感を抱かせる言い回しに、底知れぬ闇を感じる。冷たい震えと暑い熱さが押し寄せて、思考回路は通行止め状態だ。

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