黒き疾風シリーズ | ナノ


『月の眼(モーント・アオゲ)』



「そんっ……それ……ま、間違いじゃ、人違いとかじゃ、ないんですよねっ……?」
「私たちは確かな情報を元にこの辺りを捜しましたが、他に有力な者はいませんでした」
「で、で、でも……まだ私がそのフォルムっていう存在だって確かめた訳じゃないですよねっ? その、私……私なんかが、そんな……」

 目に見えて狼狽する私に、附付喪さんはふっと微笑んだ。同じ女でもドキッとするほど格好いい、先ほどのぞっとするような笑みとは違うもの。

「そうですね。確かに私たちはまだ確固たるものを見た訳でもありません」

 両手を組んで、附付喪さんは続ける。何故だか妙に神秘的で、力強くて、目が離せなかった。

「ただ……トワイライトの熊谷も貴女を選んだ」
「……!」
「トワイライトは犯罪組織です。私たちと違って、些細なミスでも抹殺の罰が下されることは珍しくない。そんな人間が危険を冒してまで貴女を拉致した。これは彼が余程の確信を得ていた証拠。尤も、そのせっかちのせいで消えることになりましたが」

 膝の上に置いた手が固く拳を作り、震える。恐らく工場長は私に目を付け、フォルムかどうかの見極めるために近付いたのだろう。そして確信を得たから行動に出たのだ。

「波紋さん」

 附付喪さんが私の名をを呼ぶ。何故だかその目は、痛いほどに優しかった。哭いているのではないかと、啼いているのではないかと、思わせるほどに。
 何も知らなかったこの時の私は、その心に背負う悲壮を垣間見ていたのだ。

「望まない力だったでしょう。そのせいで辛い思いもして来たでしょう。それでも、今の私たちには貴女が必要なんです。そして自身を狙う卑劣な異能力者の集団に立ち向かわなければならない貴女も……」
(……私、は……)


 運命と言うのだろうか。
 宿命と呼ぶのだろうか。
 使命なのかも知れない。


 先ほど附付喪さんが言った通り、今の私には了承する以外に選択肢はなかった。いくら私が望まずとも、誰かが私を狙って来るのなら潰されるか立ち向かうかしかないのだ。
 それならば、私は――。

「私っ……」

 先ほどよりもきつく、爪が食い込んで痛みを発するほど拳を握り締める。

「私、絵に描いたものを実現させる力を持ってますけど……自分でコントロールできないですよ……。その所為で私はっ……! だから私は、そんな大層な存在なんかじゃなくてっ……。寧ろ、生まれて来たこと自体がっ……」

 思わず吐露していた。思いを、心を。力んで無意識に上がった肩が、弱々しく震えていた。
 どうしてだろう。今までこんなことを他人に言ったことは、会ったばかりの他人の前でこんなに熱くなったのは、初めてだった。附付喪さんのせいかも知れない。

「……こんな、凄い人たちの集まりにいられるような存在じゃない……。愚図で意気地なしだし、役立たずですよ……。きっと、迷惑だって沢山掛けてしまいます……。でも、それでも…………それでもいいなら……」
「いいですよ」

 意外なほどにあっさりとした返事。思わず顔を上げた先には、憎々しいほどの自信に満ちた輝かしいまでの笑顔があった。

「会ったばかりの私は、今までの貴女のことは分かりません。しかし、これからの貴女の人生で生まれて来たことは間違いじゃないと、貴女は愚図でも意気地なしでも役立たずでもないってことを、証明してやればいいんです。先ずは他でもない、貴女を捕まえて飼い殺してやろうと侮っているトワイライトの連中にね」
「っ……!!」

 不覚にも、泣きたくなってしまった。成人しているのに、まるで子供のようだ。

「私に……できますかね……?」

 なんとか堪えて、独り言のように呟く。本当ならできるできないではなくやるんだと言えるくらいでないと、いけないだろうに。社会人としては失格なくらい、甘えた問い掛けを。

「できますよ。私が……私たちが、全力でお手伝いしましょう」

 即答してくれた附付喪さんの、差し出された美しい手を握る。その手はやはり、優しく、力強かった。
 附付喪さんが込めた温かな力が私がちゃんとここに存在していると実感させてくれるようで、震えも心の痛みもいつの間にか収まっていた。

「これで正式に宜しくできるな!」

 辺りを見ると、相変わらず硬球を弄ぶ黄野さんが鍵盤のような歯を見せていた。大きなガタイなのに、いや大きなガタイだからこそだろうか、愛らしいと思ってしまう笑顔にドキッとさせられる。

「あ、あの……黄野、さん? ってもしかして……」
「カラシでいいぜ! 俺の渾名なんだ。それと俺、実は女なんだ。よく間違えられっけどよ」

 黄野さん……カラシさんは、そう言って豪快に笑う。その様子は見れば見るほど男のそのものだ。

(か、格好いい……)

 思わずキュンとしてしまった。
 きっとこれなのだろう。私にないもの。自分というもの。カラシさんは私とは違い、何も恥じず怖じ気づかず堂々としていた。いや、カラシさんだけではない。きっとここにいる人たちは全員……。

「さて、もういつもの口調でもいいかな。私のことは師帥と呼んでくれて構わないよ。君のことは、螺旋と呼ばせて貰うけどいいかな?」

 附付喪さん――師帥さんは今まで貴女と言っていたけれど、君に変わった。これが師帥さんの、普段の話し方……。

「はい。では、あの……師帥さん、これから宜しくお願いします……!」
「ようこそ、月の眼へ」

 この時の私は、まだ知らなかった。理解したつもりで、分かっていなかった。それがどれだけ過酷な道か。もしかしたら月の眼と関わらず、訳も分からずにトワイライトに飼い殺された方がまだ楽な道ではあったかも知れない。




 それでも運命は私を呼んだ。


 それでも宿命は私を誘った。


 それでも使命は私を縛った。




 月の眼と関わる、

 この修羅の道へ。





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