黒き疾風シリーズ | ナノ


『月の眼(モーント・アオゲ)』

全国超常能力総合統制機構

 そうそう見ることがない大きな四駆に乗って連れて来られたのは、雑居ビルのような小規模の建物だった。
 周囲には他にも似たような建物があり、活気があるとも言えないが寂れているとまでは行かない、目立たず隠れ過ぎずといったところだ。とは言ってもこの地域自体が僻地であり、田舎としてはそこそこの町中ではある。

「あ、あの……」
「現時点での私たちの活動拠点です。事務所と思っていただければ。リーダーが中にいるので、彼女が全てを話します」

 灰崎さんはそう言って階段を登り、一つの扉の前でカードを取り出した。大体が鍵を差し込むオーソドックスなタイプであるこの辺では少しだけ珍しいカードロック式のようだ。年期の入った装置は、古い外観と馴染んでいた。
 カードを差し込んですんなり開く扉に日常を感じて安心したのも束の間。扉の先は短い通路になっており、また扉があった。
 それ自体はなんでもないが、驚いたのは更に装置が設置されていたことだ。先ほどの装置とは打って変わって真新しい見た目に、まるで最初のカードロックは怪しまれないためにわざと年期の入った見た目にでもしたかのように思える。都会の大きなオフィスビルだとかなら兎も角、田舎の建物には似つかわしくない厳重さに不安を覚えた。
 私の不安をよそに、灰崎さんは慣れた様子で大型のボックスに設置された装置を操作している。ボタンで暗証番号を押すと開くテンキータイプのようだが、ボックスの中に更に装置があり、灰崎さんが顔を近付けていた。

(網膜認証っ……!? げ、厳重過ぎるんじゃ……)

 そう思った矢先、掌形認証もしており、白目を剥いて倒れたくなった。二重の生体認証なんて聞いたことがない。
 ……この人たちは一体、何者なのだろう。
 二つのバイオメトリクス認証を解除して開かれた扉を、灰崎さんが潜る。私もそのあとに続き、後ろから赤鵺さんが着いて来る気配がした。

「え……」

 敷居を跨いだ刹那、空間が歪んだ気がした。
 と言うとアニメの見過ぎなどと言われてしまうかも知れないが、はっきりと目に見えた訳ではない。ただ、何がと聞かれても答えられない明確な違和感があった。宛ら全く違う空間とが入れ替わる境目のような、一瞬でガラッと変わる空気の違い。

「どうかしましたか?」
「い、今……何か……その……」

 灰崎さんの問いに、なんて答えたらいいのか、失礼ではないか、信じて貰えるのか、など色々と考えて言い淀んでしまう。

「……気付いたんですね。驚きました」

 はっきり言えよ、とでも思われて嫌な顔をされてしまうのではないかと懸念した私には、意外過ぎる返答に硬直した。
 どういうことか聞こうと口を開き掛けたが、奥の部屋から出て来た大きな人影を見て止まる。

「俺の絶対領域(アブソルート・バレーチ)に気付くってこたぁ、少なくとも異能力者なのは間違いねぇな」

 そう言って左手で野球のボールを弄ぶのは、金髪の大柄な男性……だろうか。

(お、大きい……)

 一七〇センチ以上は確実にある。というか灰崎さんや赤鵺さんくらいで一七〇センチはあるだろう。頭一つ分……くらいだろうか。
 しかも大きいのは縦だけでなく、体格もいい。本当に大柄な人と比べると絞られているのかも知れないが、某球団の名前が書かれたベースボールシャツの袖から伸びる腕なんて大木のようなボリュームだった。

(アブソルート……バレーチ……?)

 それより、また分からないワードだ。やはりそれしかないだろう、と私が悶々と考えていると、金髪の人がこちらに歩いて目の前まで来た。

「おっと、急に申し訳ねぇ。俺は黄野芥子(おうの かいこ)ってんだ。えっと、波紋螺旋だっけか? 宜しくな!」
「え、は、はい。よ、宜しくお願いします……?」

 返事は疑問系になってしまったが、差し出された手は自然に握っていた。私よりも、何センチも大きな厳つい手。

「まだ“こちら側”と決まった訳ではありませんよ、カラシさん。……と言ってもこちら側でないと困るので、必ず来ていただかないといけないんですけど」
「強制じゃねえか。まぁ、ここまで来ちまってからじゃ確かにそうだが」

 そう言えば、灰崎さんは工場長が敵側で自分たちが味方というようなことを言っていた。
 だが、ここまで来てからだとこちら側でないといけないと言うのは非常に不穏なニュアンスだ。嫌な予感がする。

「私たち側じゃなければー、証拠隠滅のために抹殺?」
「……………………」

 予感適中。今日の朝食は何だったと聞くぐらい能天気な調子で放たれた赤鵺さんの台詞に絶句し硬直する。
 やっぱり“そういう人たち”だったのだろうか。私の人生は、虐げられたままここで終わってしまうのだろうか。いや、味方をすればまだ分からないが、理不尽である。

「殺されるのは……嫌ですよ……」

 あまりに唐突過ぎて冷静に思考してしまい、出て来たのは素直過ぎる一言だった。

「こら、紅織」

 と、奥からもう一人女性が出て来て赤鵺さんに近付く。
 セミショートの常盤色の髪に、澄んだクロムダイオプサイトの瞳。落ち着いているのに力強い、揺るぎない双眸に憧憬にも似た感情を覚えた。
 この人が灰崎さんの言っていた“リーダー”だと、一目で分かった。

「あ、師帥ー」
「あ、師帥ーじゃない。なんてことを言うのかな。これじゃ彼女に私たちが殺人集団と思われちゃうよ」

 尤もな注意を入れるその女性を見ていて思ったのは、一つ一つの所作がとても綺麗だということ。表情、視線、声質、姿勢、動作……その全てが洗練されていて、教養を感じさせた。
 一見、華奢だがよく見れば付いている筋肉にはっとする。知性や教養を感じさせる物腰も然り、自分を鍛えることにも余念がないのだろう。

「すみません、うちの紅織がとんでもないことを。私は、月の眼代表の附付喪師帥(つつくも しすい)と申します。波紋螺旋さんですね。我々は貴女を捜していました」
「あ、あの……私は……」

 そうだ。灰崎さんも言っていた。私を捜していると。だが、聞きたいことは山ほどあるのに言葉が出て来なかった。
 そんな私の様子を見て、附付喪さんは優しく微笑んだ。

「……大丈夫ですよ。色々あって混乱しているでしょう。順を追って、私が説明します。どうぞ掛けて下さい」

 促されて椅子に腰掛け、灰崎さんがお茶も出してくれた。
 お礼を言い向き直ると、附付喪さんと目が合う。何故だか安心感を抱かせる、不思議な人だった。

「先ずは、私たちのことから話しましょう。私たちは、月の眼という組織に所属する者です。と言ってもこれは通称で、本来は“全国超常能力総合統制機構(Nationale ESP General Control Organization)”っていう堅苦しい名前なんですけど。名前の通り、普通の人間では対処できない人知を超えた力を扱う組織です。貴女も、覚えがありますね?」
「……はい」

 私は正直に頷いていた。
 実は私には、人知を超えた力があった。

 望んではいない、
 欲しくなかった、
 絵に描いたものを実体化させる能力が……。

 ただ、私はそれを使って悪行や善行をしていた訳でもなく、自在に操れもしないノンコントロールで、まさに宝の持ち腐れ状態なのだ。

「私が……能力者だから、捜していたんですか……?」
「そうです」

 附付喪さんは間髪入れずに言い切った。
 やっぱり私が考えていた通りだったのだ。というかそれ以外には有り得ない。

「私たち月の眼の仕事は様々ですが……最も重要視されるのは、危険と見做した対象の始末。異能力者が何の力も持たない存在に猛威を振るえばどうなるかは分かりますね? 私たちはそういった存在を、そういった事態を速やかに処理し、できるだけ未然防止しなければならない」

 思わず身を固くした。先ほど赤鵺さんが言っていた“抹殺”という言葉は、冗談などではなかったのだ。灰崎さんが守るというようなことを言っていたので私は違ったのかも知れないが、飽くまで有り得るということ。

「月の眼は極一部の者を除いて、国家のトップでさえ知らない存在です。世界でも情報交換は限られた機関同士でしかしていない、機密中の機密……。私たちはそんな閉鎖された組織のメンバーとして厳選された異能力者であり、謂わば精鋭部隊。それでも今現在の日本は、異能力者の暗躍が過ぎる。恥ずかしながら、私たちのような存在があっても混迷を極める状態なんです。正直、人手は幾らでも欲しい」

 ここまで聞いて、なんとなく分かって来た。そんな団体が拠点に案内してご丁寧に説明までしてくれるなんて、私を仲間に入れる以外には考えられない。

「ただ、幾ら優秀な異能力者で私たちに協力的であったとしても、よく分からない人間を引き入れる訳にはいかないんです。先述したように私たちは厳選された人間。ですが、波紋さん。貴女が了承して下さるのなら、私たちは月の眼の正式なメンバーとして貴女を迎え入れたいと思っています。尤も――」

 ここで、附付喪さんの雰囲気が変わった。

「今の貴女は、了承する以外に選択肢はないでしょうが……」

 敵意とかそういうものではない。鋭い策士の空気だ。背筋に悪寒が走った。

「どういう、ことですか……?」
「それが、貴女を襲った存在に繋がります」

 どきりと心臓が高鳴る。現時点で私が一番聞きたかったことだ。工場長だけではない、何らかの団体。

「私たち月の眼と敵対関係にある非合法組織、通称“TWILIGHT(トワイライト)”。貴女を拉致した男性は、そのメンバー。無論、異能力者の一人です」

 附付喪さんが言うことには、敵側のメンバーは普段はとある会社に所属して働いているが、命令が下されればトワイライトの一員として活動に当たるそうだ。
 ただ、これはトワイライトの大半のメンバーに当て嵌まることで、絶対ではない。一部、例外もいる。その例外の一人が、私を襲った工場長――熊谷勝正(くまがい かつまさ)だ。
 そのトワイライトの目的は、正直、附付喪さんたちも真意を測り兼ねているという。確かなのは、今彼らは極めて重要なプロジェクトのために或る非常に稀有な異能力者を捜しているということ。曰く、“フォルム”と呼ばれる強大な力を秘めた唯一無二の存在……。

「それが貴女です」

 空いた口が塞がらなかった。私がそんな大層なものだったなんて、考えもしなかった。というか信じられない。

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