黒き疾風シリーズ | ナノ


『月の眼(モーント・アオゲ)』

裏切り



 機械の稼働音に包まれたその場所は、戦場と言っても決して大袈裟ではなかった。何処もかしこも作業着に身を包んだ九割の男性と一割の女性が、自らの作業に打ち込んでいる。他人を気にするどころか、少し汗を拭うだけでラインに遅れるスピーディーな環境。
 動く床の上でひたすら動き回りながら必死で組み付けをする人がいる手前、涼しい顔でボルト締めを繰り返すだけの人、ゆっくり目のラインに直ぐに見終わってしまう検査作業に時間を持て余す人、持って来ても持って来てもどんどんなくなるパーツを死ぬ気で走り回ってピッキングする人、工程や作業内容によって面白いぐらいに天国と地獄に分かれていた。
 作業に没頭していると不意にチャイムが鳴り響く。お昼を知らせるものだ。私は途中の作業を切りのいいところまで終わらせ、中断看板を付けて食堂へ向かった。

「ふぅ……」

 いつものように野菜中心のメニューを選び、無料でお代わり自由のお茶を喉に流し込むと溜め息を漏らす。緊張の解れた、緩和の吐息だ。
 私、波紋螺旋(はもん らせん)は契約社員としてこの工場に勤める二十代の女性である。
 以前はお菓子の製造を行う食品工場に勤めていたが、マイルールで仕切る中年女性たちに嫌がらせを受け、退職に追い込まれた。
 それからは仕事をするのも怖くなったが、今の会社は私を受け入れてくれた。寮に入り、男性だらけの職場でなんとか頑張っている。
 気性の荒い人が作業の遅い人を怒鳴ったり喧嘩したりする光景も、午前中にいた人が午後にいなくなって職長たちが連絡をしたりするハプニングも、見飽きるくらい見て来た。幸い私は、挫折したり更新させて貰えなかったりせずに二年間勤務できている。
 私の作業内容は――今はひたすらボルト締めを繰り返す単調作業だ。インパクトの振動で手が痛くなるが、バネ指などにならないために強く握り過ぎないよう気を付けているため、そこまで酷くはない。溶接や組み付けなどの作業自体はできない訳ではないが、何より体力的に厳しいので今の作業内容は安心している。
 今は、と言ったのは、何故か私はよく様々な工程に回されることがあるのだ。本来は一つの工程を満了までがっつりやらされる、というのが普通だろう。
 しかし私は、主にその作業をやっていた人が体調を崩したり退職したりすると、君がやってくれとそこに回されてしまう。それも、ベテランだったり仕事ができる人間の代わりとして当てられているらしいのである。
 工場長は以前、何を教えても一回で覚える優秀さを見込んでいて、幅広く活躍して貰いたいからだと言ってくれた。買い被りのような気がするが、私のような落ち零れを信頼してくれるのは有り難いし喜ばしいことだ。しかも工場長が自ら声を掛けてくれたのだ。私をうちで働かないかと誘ってくれたのも、この工場長であった。
 ただ、いいことばかりではない。私は昔から記憶力だけはよく、一度でも見たり聞いたりしたことは忘れたことがなかったのだが、やることを熟せる反面、周りから目を付けられ易かったのだ。

(螺旋のくせに、か……)

 昔から言われ続けたことを思い出し、食事をしていた箸が止まる。やっと訪れた昼食の時間に安堵していた表情が、暗い影に落ちた。
 昔からそうだった。きっと周囲が望むのは、私が落ち零れであることだけなのだろう。
 テストで高得点を取った時は、ビリビリに破かれてゴミ箱に捨てられ。
 教師にたまたま指されて黒板に正確な答えを書いた時は、足を引っ掛けられ。
 作文で賞を取った時は、一生懸命書き上げた文章に盗作をでっち上げられ。
 素晴らしいと美術の先生に誉められて廊下に飾られた絵は、トイレの便器に落とされ。
 みなは、私のような根暗で、一人で絵を描くのが好きなオタクのような女は万人より劣っていて欲しいのだ。
 自分はこいつより上だという優越感を、自分はこいつよりマシだという安心感を、人に与えること。それが私の役割であり、私の存在意義である。

(でも、そんなのは……嫌だ)

 かぶりを振って暗い気持ちを押し込め、残りの食事を食欲のなくなった喉に強引に流し込んだ。食べないと持たなくなってしまう仕事である。
 大体の場合は残業があるため、前半より長い後半戦に気合を入れて、私はテーブルを立つのだった。


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