本当の初恋を
日暮れ独特のオレンジ色が海を一色に染めている。波立つたびに揺れて輝く水面は、きらきらしていてとても眩しかった。吸い込まれるような日の光に、温もりを感じて見とれていた時、ふと背後の彼が口を開いた。
「俺さ、好きな人がいるんだよね」
唐突な言葉に驚いて振り向く刹那、油断していたところを、ザブンと音を立てた波が、私の足をサンダルごと濡らしていく。視線の先には、真っ直ぐに海を眺める清光がいた。真っ赤な双眼はどこか哀愁を帯びているように見えたのは気のせいだろうか。
「ずっと……好きだったんだ。あの人のこと」
「清光?」
「やっと、会えると思ったのにさ……」
ゆっくりと彼の視線が私に移って、ふと視線が絡み合う。少し吊り上がっている彼の目元は、何時に無く真剣で。彼は真っすぐに私を見つめて、何も言わず足を踏み出した。固まっている私をよそに歩き進めた彼は、瞬く間に目の前まで来てしまう。
「こんな間抜け顔、どう考えたってあの人じゃない」
「間抜けって……」
何が言いたいのかよくわからないけど、私は私だよ。
私はそう言った。どこか遠くを見つめてるような焦点の会わないその瞳を、真っ直ぐに見つめながら。だってそうだよ。誰と私を重ねているのか、どうして重ねているのか、わからないけど、私は私しかいない。他の誰でもないことは紛れもない事実なのだから。
また波が音を立てると、迫りくる不規則な波線が、今度は近づいてきた清光の靴ごと飲み込んだ。しかし清光はそんなことどうでもいいという様に真っすぐこちらを見据えていた。
「わかってる。もう優しくて凛として、綺麗な俺の憧れの人はいないってことくらい」
「……大丈夫?」
「……お前はお前なんだよな」
私を見つめる彼の表情は、どこか思い詰めているように見えて、今彼が苦しんでいるのだと思うと何故か私の胸も苦しくなった。どうしようもなく切なくなって、ごめん。そう呟く。瞬間、強い力で抱き寄せられた私の身体は清光によってあっと言う間に覆われる。
「ちょっ!?」
「撫でてほしいとか、褒めてほしいとか、そんな思いが“恋”だと思ってたのに」
「あのっなんで私を抱きしめ……っ」
「……うるさい」
彼の腕の中、羞恥に耐えられず暴れると、一喝されて更に力強くその腕に閉じ込められる。ほんの少し苦しいのは、絞められているせいか、切なさのせいなのか。
観念して黙っていると、今まで聞こえなかった静かな波の音や、彼の胸と隣接した耳から彼の速い鼓動が聞こえた。
「……本当参っちゃうよな、こんな展開」
「今日の清光、なんかおかしいよ」
「わかってる。かっこ悪いよな」
愛してほしいって散々言ってきたのに、本当の愛を今まで俺は知らなかったんだ。
でもさ、ようやく気づいたんだよ。
お前に、教えてもらったんだよ。
だからさ、責任取ってほしいんだよね。
「一度しか言わないからよく聞いて」
大きな波が足首を撫でていく。足元に感じるひんやりとした感触は、抱きしめられているせいで火照る体に丁度いいように思えた。
「お前のことが、好きだ」
「えっと……」
(また貴女に恋をした。やっと知った本物の愛と、初恋を、現世で君に捧げよう)
「たくさん可愛がってあげるから」
そう言って破綻した顔の清光は、どこか決まりの悪そうで、恥ずかしそうで、嬉しそうで。そんな清光が見せた笑顔には、不思議と見覚えがあった。
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