じぇぬいぬ  | ナノ


人の不幸は蜜の味

「ねえ、今の、言ったの誰?」

ようやく広場を抜けて通路に入ろうとした時、背中に感じる人々の視線から解放されると安堵の息を吐こうとしたのもつかの間。敵意を含んだ低い声が鋭い語気で放たれた。不穏な空気に思わず振り返る。冷ややかな瞳をして広場に佇んでいる緑川、いつもはにこにこと明るい印象の彼の異変に、広場中の空気が凍り付いていくのがわかった。彼が何に対して
激昂しているのか、それは彼の視線を見れば明らかだ。

「な……」
「やばいって逃げようぜ……」

睨みつけられた2人の顔がだんだんと青ざめていく。怯えながらその場を去ろうとする2人を、ぎろりと年齢にそぐわないような射るような瞳で睨みつけた駿、睨まれていない私でも、その殺気に身震いしそうになるほどの威圧感を覚えるほどのものだった。

「ねえ、そこの2人さ」
「な、なんだよ」
「生緒先輩の噂がなんだって?」

ゆっくりとした足取りで彼らに近づいていく駿。一瞬静かに怒っているように見えるが、その表情には獣のようなギラギラとした怒りを感じさせる。いつ襲ってくるかわからない、そんな危うさを感じ取る。駿に睨まれすっかり委縮してしまった2人は、まるで蛇に睨まれた蛙のように、足はそこから張り付いていて、全く動く様子がない。

「あんたらに生緒先輩の何がわかるの?」
「だって、あんなに噂は広まって……」
「そんな噂で聞いただけの断片的な情報しか知らないくせに、なに言ってんの?」

そこでハッとする。もともと換装していた駿は、いつでもスコーピオンを起動できる状態だ。最悪の事態を想像すると、全身から熱が一気に引いていく。殺気を纏い、その鋭い眼差しはネイバーに対して怨みが深い三輪が、ネイバーと対立するときの様子と似ていた。このまま放っておいては駿はなにをするかわからない。止めなければ。

「駿!」

「はーいそこまでー!」

大きく彼の名前を呼んだと同時、広場の凍え切った空気には似つかわしくない、陽気な声が静寂に満ちていた広場に響いた。その人物は、駿の首を腕で捕まえて、ぐいっと後ろへ引きよせた。突然の人物の登場に2人は、目を見開きながら硬直している。

「陽介……」
「生緒、お前相変わらず運悪いなー」

こちらを向いて屈託のない笑顔をした陽介に、自然と固くなっていた肩の力が抜ける。

「よねやん先輩……」
「わりぃな緑川、待ったか?」

一方で駿は驚いたように目を見開いたが、邪魔されたことが気にくわなかったのか、すぐにその顔は険しい表情にもどり、後ろの陽介を睨み見つける。

「この手邪魔」
「お前が冷静になったらな」
「オレ、冷静なんだけど」
「今にもスコーピオン起動して襲い掛かりそうだったやつが何を」

へらりとした様子の陽介から出た言葉に、駿は不服そうに下唇を噛みながら目を伏せた。首にある陽介の腕に、反射的に添えられていた手のひらをぎゅっと握りしめている。思いがけぬ救世主に2人は、ありがとうございます、と声を裏返しながら陽介に頭を下げる。

「おー、今のうち行け」
「ありがとうございます!」
「ただ……」

そう言って、2人にそっと耳打ちをしてから、にっこりと微笑んで見せた陽介。囁く様な小さな音声を、私は聞き取ることができなかったが、途端に、畏まった様子で背筋をピンとし、はい!といい返事をし、一目散に駆けていくのを見るに、良い台詞ではないのだろう。それを見て駿は、うわあ…とドン引きしたように、陽介をじとっとした目で見つめていた。

「よねやん先輩こわ」
「スコーピオンで首跳ねられる方が怖いだろ?」
「同じぐらいでしょ」
「いやいやいや」

手のひらを左右させて「ないわぁ」と笑っている陽介に向かって、駿も呆れたように眉を下げながら小さく笑った。そんな駿はいつもの穏やかな雰囲気にもどっていて、静かに安堵の息をつく。2人になにか声をかけようか迷っていると、隣のとりまるが、あの…とおずおずと声を零した。

「そろそろ行かないと、まずいんじゃないですか」
「あ、ほんとだ……」

再び広場の時計を見れば、時間はすでに集合時刻をオーバーしていた。迅のことだから怒りはしないだろうけど、もし彼と一緒に鬼怒川さんや城戸さんがいてもしたら、そう思えば自然と体から血の気が引いていく。

「生緒先輩」

その時、駿が駆け寄ってきた。ばつのわるそうに俯き気味の彼は、私と目を合わせようとはしなかった。

「先輩、ごめんなさい……」
「え?」
「オレ、かっときちゃって…つい……」

さっきまでの威勢はどこへ行ったのやら。うなだれている駿は、覇気がなく、まるで飼い主に強く怒られてしまった子犬のように見えた。顔を伏せているその頭にそっと手を乗せ、彼の癖のある柔らかい髪質をそっと撫でた。

「ごめん、いやな思いさせちゃって」
「先輩が謝ることじゃ…!むしろあいつらが…!!」
「駿、ありがとう」

彼が私のために怒ってくれたのはもちろん嬉しい。しかし、もしあの時彼らの首を落してでもいれば、彼は処分を免れることはできなかっただろう。せっかくA級まで来たのに、B級に降格にでもなろうものならたまったもんじゃない。こんなことで彼の未来を摘み取ってしまう。そんなこと望んでいない。その意を込めて「でも、無理しちゃだめだよ?」真っすぐと視線を合わせてそう諭せば、駿にしては珍しくなんだか煮え切らないような様子で渋々頷いて見せた。

「まあ、お前ら急いでんだろ?行った方がいいんじゃね?」
「うん。とりまるいこう」

陽介もありがとう、と言えばコーラ一本で良いぞと呑気な返事が返ってきた。どうやらさっきのは有料サービスらしい。流石、陽介、ちゃっかりしている、そう思うと自然と輪頬が緩んだ。いつものことある度におごってもらっていたことを思い出して、たまにはいいかな、なんて思いながら迅の待っている方向へ後輩の手を引いて駆け出した。
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