普通の赤子に数学は無理なので
何時だっただろう。迅から呼び出されるときは、必ずろくなことが起こらない。そう確信してしまったのは。風間隊に無理やり入隊させられた時か?ジュースのおつかいにパシられたときか?鬼怒川さんが鬼の形相して待ち構えていたときか?もしくはもっとその前のことだっただろうか。色々思い出してみるが心当たりがありすぎて見当がつかない。
「お、きたきた〜」
「ごめんおまたせ迅」
「生緒は相変わらずかわいいね〜」
「おーおー迅も相変わらず」
うざいな。そう続けようと思ったがギリギリのところでとどまった。それも迅の隣に慣れない人物の姿があったからである。
「……迅の弟」
「はは、そう見える?」
「いや見えない」
黒髪に眼鏡をかけた青年、その姿には見覚えがあった。今日のお昼、中学校の救世主であった三雲くんだ。やはり会議に三雲君が関わっていたのだろう。昼、本部に報告してと言っていた嵐山さんを思い出す。
「あなたは……」
「お昼ぶりだね」
その言葉に私が誰だか思い出したらしくハッとしたような表情をする。彼はどうやら感情が表に出やすいタイプのようだ。
「あれ、何だ2人とも知り合い?」
「今日の中学校にネイバーが出現した時、嵐山隊と一緒に私もいたんだよ。そこで顔をあわせただけ」
「ほうほう、なるほどね」
呼び出されたその場所は、私たち以外誰もいないような、人通りの少ない通路の一角だった。そのせいで先ほどの広場近くの通路とは違い、音がしない。私たちの声だけが通路に響いていた。
「あれ、そういえば京介は?」
「帰っちゃった」
あれだけ1人で良いとか色々あっても私のそばを離れずにべったりとついてきたというのに、迅との待ち合わせまであとすぐ、といったところで彼は「じゃあ俺はここで」とあっけなく踵を返して去って行ってしまったのだ。
「何しに来たのか」
「流石京介、優しいねえ」
「……」
まるで何か知っているとでもいうように意味深な笑みを浮かべている迅に、内心イラッとする。緩やかに弧を描いている瞳を睨みつけてみるが、迅は動じずヘラヘラとしているだけだ。優しいねぇ、なんてとりまるはわざわざ私を送るためだけに、ここまで来たとでもいうのだろうか。
「迅何か知ってるの?」
「流石の実力派エリートでも人の気持ちまではわからないな」
「へえ」
絶対嘘だ。にやにやとしながらしらばっくれている迅の頬を緩くつねれば、なんだなんだじゃれてるのかと、おちゃらけるだけで、その表情が変わることはない。これは教えてくれる気はなさそうだ。
「っチ」
「こらこら、女の子が舌打ちしない」
「うるせえ」
しかし、もしそうならとりまるには悪いことをしてしまった。散々待たせてしまった挙句お礼すら言えていない。別に危険な場所でもなければ幼子じゃあるまいし、彼が何を危惧しての行動なのかは未だにわからないが、今度とりまると会ったら何かおごってあげようかな。そう思いながらまた迅の頬をつねる手を強めた。
「ところで、ここに呼び出したのって何の用?」
「ああ、そうそう。顔見知りなら話が早いんだけど2人を紹介しておきたいと思ってな」
「……私を?」
意図せず間抜けた声が零れた。首を傾げている私に、迅は「そう、お前」と念を押されてしまう。
「なんでまた」
「まあまあ」
その意図が全くつかめずに眉を顰める私と同様に、メガネ君もかなり困惑している様子でえ、だとか、あ、だとか声を漏らしながらあわあわとしていた。その様子を見て若干心配になってくる。
「うちのかわいいの後輩を自慢したいだけさ」
「そういうことなら……」
絶対そんな簡単なことじゃない、それはなんとなく察せてはいるのだが、肝心な彼の真意を見抜く力がなかった。何かを企んでいるのは確実なのに、それを探る力が私にはなかった。本来であれば問い詰めてやるところであるが如何せん後輩の手前、今は深く聞かずに受け入れることにした。
「叶生緒、蒼井海夜率いる蒼井隊の一員です。少し特殊な隊で本部とかどこかの支部をぐるぐる回ってるんだけど、今日からしばらくはこの人のいる玉狛支部にお世話になる予定なんだ」
よろしくね。そう言って手を差し出せば、メガネ君はおずおずと手を出してくれたのでその手をとって握手を交わす。少し緊張していたのか、その少し大きな手は熱かった。
「三雲修…くんだったよね」
「はい!」
「良かったあってた。何か質問ある?」
そうしてにっこりと迅や同級生には絶対見せない笑顔を浮かべてみる。そうすれば隣からわあいい営業スマイル、と皮肉めいたセリフが聞こえてきたので、思いっきり肘で殴ってやった。
「えっと、叶さんはA級隊員ですか…?」
その台詞に思わず頬が引きつってしまったのが自分でも分かった。
「すいません、A級の木虎や嵐山さんたちと仲が良さそうなので気になって…!」
私の反応をみてしまった三雲君は慌てた様子ですみませんと謝る。ちがう、そういうわけではないんだ。思わず顔を歪めてしまったことを悔いながら、そんな彼に慌てて首を振る。
「えっとなんていうか……ね、迅」
「へ」
「私って何級なのかなって」
まさかふられるとは思ってもみなかったのか、突然の私の言葉にハトが豆鉄砲を食らったかのような顔をしている迅。いつもならざまあとあざ笑うところではあるが、生憎今はそうはいかない、さっさと口を開け、助けろ。
「そうだなあ…そこも生緒達はちょっと特殊で正式な級や順位はない」
「そうそう」
「でもはっきり言える、こいつは強いよ」
どこか自信ありげな笑みを浮かべながら堂々と言い放った迅に、次は私が豆鉄砲をくらう。メガネ君なんかはそれを鵜呑みにしているのか、ごくりと喉を鳴らしている。なんか、思っていたのと違う、こんな自分への期待値を高めるような真似したいんじゃなかった。
「何かあったら頼るといい、必ず“君たち”の力になってくれるはずだ」
頼るといい?君たち?頭の上にクエスチョンマークが次々と浮かび上がってくる。その力強い言葉はなにか視えているみたいに根拠があるように思えた。だとしても、“必ず力になってくれる”だなんて台詞、私の意思がないのに言われましても、私はまだ彼に対してそんな感情抱いていないのだが……。その意をはかろうとしてメガネ君に微笑んでいるその整った横顔を凝視すれば、こちらの視線に気づいて、私ににこりと笑いかける。大丈夫、そう言っているような子供に向けるあやす様な笑顔を、殴りたくなった。
「えっと……」
不安そうにこちらに視線を送るメガネ君。腑に落ちないところはあるが、迅が言うってことはきっと間違いはない。彼のことはこれでも信用している。なんの接点もない彼を私が?どう力になるというのだろうか?色々疑問が尽きないが。
「よろしくね」
私の頭じゃそれを今ここで察することは出来ない、そのことだけは明確だった。ここは迅を信じてみようと思う。わけも分からないまま迅の言葉を信じて動くしかない状況は、これで何度目になるだろう。内心またかと悪態をつきながらも顔に笑顔を張り付けている。そんな私を見て迅が微笑んでいたなんて知る由もなかった。