甘ったるい愚痴




「…だからさぁッ!」

風を切り勢い良く振り下ろされたグラスがガヅッと嫌な音を立てる。
グラスからは相当な量の酒が零れたが、ほとんど気にも留めずにカウンターに座った男は話し続けた。


「だから、何で銃を、撃ち落として、そこで終わりなんだよ、何でそこで去ってくんだ!おかしいだろ!何でだマスター!」

いや、知りませんよ。
そんな言葉を飲み込みつつ、マスターと呼ばれた初老の男はそっと布巾を渡しながら曖昧に微笑んだ。


銃を持った酔っ払いに、余計な言葉を言うのも無闇に首を突っ込むのも自殺行為である。治安がいいとは決して言えないこの町に、店を構えている彼は常からそう思っていた。
渡された布巾で乱雑に酒を拭った酔っ払いの話は取り留めなく続く。


「大体な、なぁんでいつも満足そうに去ってくんだよ、俺は賞金稼ぎで、アイツは賞金首だぜ?銃撃ち落とした後は殺すだろフツーはよぉ…、…いやむしろ初っ端から撃ち殺すね。なのに、何で、アイツはそうしねぇんだよ、何でなんか満足気何だよ、何でだマスター!」

未だに絡まれ続けるマスターは、当たり障りのない相槌を打ちながら心の中でため息をついた。


長い事カウンターを占拠している、この酔っ払いの話をまとめるとこうだ。
この男は、とある賞金首を追い掛けているらしい。そこまでは普通だ。だが、その賞金首を見つけても毎回銃を撃ち落とされ、しかも毎回そこで見逃されているらしい。
確かにおかしな話だ、とマスターはひっそりと思う。


どうやら賞金稼ぎらしいこの酔っ払いの男は、まだぶつぶつと話を続けている。そのあまりまとまりのない話は、どうやら賞金首の所在についてのようだった。


この町の近くにいる、間違いない、何でいないんだよ、絶対見つけやる、
「…ああくそッ…今どこにいんだよ……キッドぉ…」

どことなく甘ったるく、そして思いの外響いたその声が店内の空気を固めた。
今の声は、賞金首に対して賞金稼ぎが出すような声ではない。むしろ、そう例えば

「…この近くにいる筈なんだ…絶対に…、……キッド…」

まるで愛しい恋人にでも囁くような声色。



バタン



どこかおかしい空気が漂い始めた店内は、二人組の客が入ってくる事でいつもと変わらぬ風景に戻る。
彼らは、店の雰囲気を取り戻した事などには気付かずに、ぼそぼそと喋りながら移動する。


…今…手配書の…
……サ…………キッド…
…いや、まさか…


カウンターに座る酔っ払いの鈍く光っていた目が、いきなり生気を取り戻し爛々と輝いた。
空になっていたグラスの横に唐突に金をばら撒き、適当に放られていた帽子を被る。


先程まで明らかに酔っ払い全開だった男が、危なげなく立ち上がり出入口に足を向けた。

ようやく厄介な酔っ払いから解放されたマスターは男の背に向かって、またどうぞ、とにこやかに声をかけたが特に返事らしい返事はない。
早足で歩く男の目は、もう前しか見えていなかった。




ああ、待ってろよ、キッド



駆け足で行く男がひっそりと呟いた言葉は、やはりどことなく甘ったるく響いたがそれは誰にも聞かれずに掻き消えた。











本人だけが気付かない。







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