保安官 |
その日は朝から何かがおかしかった、と少年は思う。 外はいい天気で、普段通りに着替えて、少年の母が美味しい朝ご飯を作ってくれていて、といつもと変わりない日だった筈なのに、どうにも変な空気が漂っていた。 午後になって、いきなり沢山の馬が走る音が町中に響き渡った。怒鳴り声や笑う声、発砲音まで混じり、怖くて思わず母のスカートの端を掴んだ。 大丈夫。保安官が守ってくれている。 少年の母は少年をもっと自分へと抱き寄せて、安心させる様に声をかける。何回も繰り返される言葉。少年にはこの上なく頼もしく感じた。 保安官はいつだって、この街で暴れる悪い人をあっという間に捕まえてくれていた。だからきっと大丈夫。 期待に応えるみたいに、大きな音は次第に静かになっていった。ああよかった、と少年は胸を撫で下ろした。 けれど、その日からずっと少年は家の外には出してもらえなかった。恐ろしい音も聞こえてくる。発砲音や何かが割れる音、怒鳴り声が響く中、ただ体を小さくして震える事しか出来ない。その度に、少年の母は少年を抱き締めて、少年の父は難しい顔をして外へ出ていく。 そんな日が幾日も続いて、両親の顔は次第に険しくなっていった。母の、少年を安心させようとする声や言葉に余裕がなくなる。父はいつでも渋い顔をする様になっていた。 今日の昼間もまた外が騒がしかった。いつもと違うのは、静かになった後も街全体がぴりぴりとしていた事だ。恐ろしい何かが起こりそうな日。 何だかとても怖くて、どうにも寝つきがあまりよくなかった所為だろうか。夜中うとうととしていた少年は、ふと小さな物音が聞こえた気がして目が覚めた。 馬の蹄の音。 こんな遅い時間に。何だろう、誰だろう。気づいたのは自分だけだろうか。悪い人だったら、急いで大人に伝えなくては。 怖がる気持ちを何とか抑え込んで、そっと板で覆われた窓の隙間から外を覗いてみる。暗いながらに月と星が出ていて、何とか人影が確認出来た。もっと見れば、外にいたのはよく見知った保安官だった。 悪い人が来た訳ではなかった事に少年は安堵する。それでも、こんな時間に誰かが外にいるのは不思議だった。 よくは見えないけれど、久しぶりに見た保安官は少しやつれた様に見える。いつも少年が見ている服装でもない。大丈夫だろうか、出かけるのだろうか。と、少年は首をひねる。そして少しだけ悩んだ後、外に飛び出していった。 「保安官さん、どこかにいくの?」 「……………君は…」 少年に気づいた保安官は、そっと少年の名前を呼ぶ。そして、少し迷う様に視線を泳がせた後、少年の問いかけに対して肯定した。 「……そっか。どこにいくの?いつ、帰ってくるの?」 「…それは……」 言い淀む保安官を見て、あ、この顔は知っている、と少年は思う。長い行商に出る時の父も、同じ様な顔をする。 すぐに帰るよ、と言いたくても言えない時の、困った様な悲しそうな顔だ。泣いて駄々をこねても駄目な時だ。 保安官は、しばらく帰ってきてはくれない。 寂しいけれど、きっと仕事なのだろう。だから少年は、寂しく思いながらも、出かける父に言う様に保安官へと声をかける。 「気をつけてね。けがしないでね」 「……ありがとう」 何故だか保安官は小さな声で礼を言った。 父ならば、嬉しそうに「おう!行ってくる!」などと言って出ていくのに、不思議だなと少年は思う。 夜は危ないから、外に出ていてはいけない。早く、家に帰りなさい。保安官が静かに少年をたしなめる。 少年は素直に頷いて家の中へと戻りかけて、もう一度保安官の方を振り返った。 「いってらっしゃい」 そう小さく声をかけ、少年は今度こそ家に入り自分の寝床に戻る。少し大きめのベッドに上がって暖かい毛布にくるまり、小さな目をゆっくり閉じた。 夜明けはまだ遠い。 保安官は帰らない |