左近はあんぐりと開いた口をしばらく閉じることができなかった。
倒れた棚。ぶちまけられた薬品。あたりに転がりまくっているトイペ。
そしてトイペに絡まってじたばたしながら自分に助けを求める乱太郎と伏木蔵の一年生たち。
自分がいない間に何があったのか。まあ想像はつくが。
左近は間抜けに開いた口をやっと閉じ、とりあえずトイペに絡まっている一年生たちから助けることにした。



「「川西先輩、すみませんでした」」
しょぼんと肩を落として謝る一年生たちを、左近はそれだけで人が殺せそうなくらいするどい目つきでぎらり、と睨んだ。
「あれだけ無茶するな、って言ったよな。俺」
左近が怒ることなど珍しくはないが、明らかに普段とは違う冷たい声と、
イライラをこれでもかというくらい表面に出している左近の雰囲気にのまれた乱太郎と伏木蔵は震え上がった。
あまりの怖さに伏木蔵もスリルを感じる余裕などはなかった。
また、左近も肩を寄せ合いカタカタ震える一年生を気遣う余裕もなかった。
今日は新野先生は出張。伊作は実習中。
数馬は風邪で寝込んでしまい、左近と一年生が医務室の留守を任されたのだ。
突然の上級生の不在に左近たちはそれはもう慌てたが、左近の指示の下病人や怪我人の手当てにあたった。
しかしいつも指示されるほうである左近にとって、それはもうしんどかった。
何を言っても失敗する一年生。まともに指示ができない自分。知識も経験もまだまだ足りない自分たち。
上級生がいないプレッシャーに、左近たちは早くもつぶされそうだった。
それでもなんとか頑張って病人も怪我人もさばけ、やっと一息つける段階まできた。
そこで左近は何か飲み物でももってこようと部屋を出て行ったのだ。
そして帰ってきたらこの有様だ。
ぐちゃぐちゃになった医務室を見た瞬間、それまで左近が抑えていたいろいろな怒りが一気に爆発してしまったのである。
一向に直らない左近の機嫌に、重くなるだけの空気。
乱太郎と伏木蔵はついに耐え切れなくなり、目からあふれ出した涙がぽたぽたと床に落ちた。
最初のうちは声に出すまい、と二人とも我慢していたのだが、ついに我慢できなくなりわっと声をあげて泣き始めた。
二人の叫びに、やっと左近は二人が泣いていることに気づいた。
「「うあああああああん!!」」
「お、お前ら、泣くな!もう怒ってないから!!」
とりあえずそう言ってみるが、二人が泣き止む様子は微塵も感じられない。
「「ごめんなさいごめんなさい」」
二人はひたすらそう繰り返して泣き続ける。
左近はもうどうしていいかわからず、おたおたするばかりであった。
(ああ、こういう時善法寺先輩だったら上手くやるんだろうなぁ・・・)
『頼んだからね』
そう言って先輩に頼まれたのに。
またも自分の力不足を感じてしまい、左近の気持ちも降下する一方で、おまけに視界までにじんできた。
(ダメだ。ここで俺が泣いちゃ、ダメだ)
左近は落ちそうになる涙をぐっとこらえて、尊敬する先輩の姿を思い浮かべる。
(こういう時、先輩は・・・)
左近はそろそろと乱太郎と伏木蔵に近づいて、恐る恐る手を伸ばした。
二人は今度は殴られるのだろうか、とぎゅっと身構える。
頭にぽん、と軽い衝撃が走る。
左近の手が二人の頭にのったのだ。
「その・・・怒って悪かった・・・。ただの八つ当たりだった。ごめん」
しっかり二人の目を見て、二人の頭を何度も何度もなでる。
しだいに二人の表情が和らいでいき、涙もひっこんでいく。
「ごめん。俺だけじゃなくて、お前らもしんどかったのにな」
ぐちゃぐちゃになった顔を、その辺に散乱していたトイペでぬぐってやる。
二人から「手ぬぐいで拭いてくださいよー」といつもの生意気な声が返ってくる。
「生意気いえるようになったんなら、もう大丈夫だよな?」
「「はい!」」
元気よく返ってきた声に、左近は満足げにうなずいた。
「じゃあ、先輩が帰ってくるまでにこのぐちゃぐちゃになった部屋片付けような」
「「はーい!!」」
すっかり元気になった二人を見て、左近は相変わらず元気になるのは早いな、と苦笑した。
(それにしても・・・先輩から学ぶべきことは本当にいっぱいいっぱいあるんだな)
一年前、泣きじゃくる自分をぎゅっと抱きしめて、『大丈夫だよ』と優しくささやいてくれた伊作。
自分も同じように出来ていたであろうか。
(いつか俺も先輩みたいになりたい)
全てを優しく包み込めるような、そんな存在に。
いつか、自分も。



「あれ、数馬どうしたの?」
夜に実習からやっと帰ってこれた伊作が医務室に行くと、部屋の入り口前に数馬が突っ立っていた。

「あ、善法寺先輩。お帰りなさい」
行儀よくぺこり、と挨拶する数馬だが、まだ声はガラガラであった。
「ただいま。大丈夫?まだ熱があるんじゃないの?」
「ええ、まあ・・・。でも心配でたまらなかったんで来てしまいました」
あはは、と笑う数馬に、実は僕もそうなんだ、と伊作は告げた。
普段自分達が先頭にたってやっているものだから、自分たちが欠けた下級生たちはどうなることか二人とも心配でたまらなかった。
「でも、大丈夫だったみたいです」
そう言って、数馬は伊作にちょいちょいと手招きして、少しだけ開いた戸の中を見せた。
「ああ、本当だ」
ピカピカに磨かれた医務室の中、三人仲良く手を繋いで寝ていた。
伊作はそっと医務室に入って、三人が起きないように注意しながら毛布をかけてやった。
「よく頑張ったね。乱太郎、伏木蔵、左近」
そっとささやいて、いつものようにみんなの頭をなでてやる。
一瞬、三人とも幸せそうな顔をした気がした。
そうしてみんなの寝顔を堪能してから、伊作はそろそろと医務室を出て戸をそっと閉めた。
「これなら次も安心して任せられるね」
「そうですね。僕も負けてられないなー」
「頼りにしてるよ」
「任せてください」
ぐっと拳をつくって自分の言葉に答えてくれる数馬。本当にいい後輩に恵まれたな、と伊作は感じずにはいられなかった。
六年の長屋まできたので数馬に別れをつげ、伊作はうきうきと自分の部屋へと戻っていった。
(留三郎に思いっきり自慢してやろう)
緩んだ顔のまま、伊作は同じく実習帰りの留三郎に延々と後輩たちの可愛さについて語るのであった。

2009.08.04


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