「そうだったんですか…。貴方がヒジカタさんじゃなくてよかったです」
店の中に他に客もいなかったので、隣の椅子にななしを座らせた。
いい香りがした。
「貴方は、何ていうお名前なんですか?」
「……斎藤、だ」
「下のお名前は?」
「はじめ…………」
斎藤は言うなり、口を真一文字に結んだ。
顔は悪くないのだから、女と話す時くらい、愛想よくすればいいのに。と思う。
どうも男所帯で暮らしていると、女の扱いが下手になるらしい。
今にも、この女をどうにかしてくれと言い出しそうだったが、俺は黙っていた。
「はじめ、と言うのはどんな字を当てるんですか」
「一日の、一だ」
「なるほど!ではいっちゃんですね!」
「ブハッ!」
ななしの澄んだ声に、思わず吹きだした。
お茶を飲んでいなくてよかった。
「…………」
「オイ、はやく謝った方がいいぜ。こう見えてこのひと、剣の達人だから」
笑いを堪えすぎて、涙目になる。
なんなんだ、コイツ。
天然なのか、それともわざとやってんのか。
「いっちゃん、いいと思いますけど」
ななしの長いまつげが伏せられる。
小娘のクセに、こういう表情を持ってるから、俺もほだされたんだな。
「…俺は武士だ。いっちゃんはやめてもらいたい」
斎藤は意外にも冷静だった。
「では一さんで」
「き、斬られなくてよかったな……。いっちゃん…ぷぷ」
「左之、夜道の一人歩きには気をつけるんだな」
*
斎藤は雑務があるとかで、先に屯所に戻った。
ひょっとすると、俺たちに気をつかってくれたのかもしれない。
「はぁ」
わざとらしいため息をつく。
ななしが不思議そうな顔で俺を見てきた。
「どうしました」
「どうしましたって、お前な…。危なっかしくてかなわねぇんだよ。今日だけで二回は命拾いしたぞ」
言うと、得意のころころとした笑い方であしらわれた。
「大丈夫ですよ。いつも原田さんが、わたしを助けてくれますから」
「…俺ァ、お前といると、いくつ命があっても足りる気がしねぇよ」
本当に面倒くさい女に引っ掛かったものだ。
外で、喧騒に似た声が聞こえる。
好いた女とろくな時間を過ごせない新選組の仕事なんざくだらねぇ、と少しばかり思った。
俺はななしを引き寄せその髪に軽く口付けると、多めに金を置いて店を出た。
「はら…左之助さん!」
店を出るや否や、愛しい声に呼び止められる。
「だいすきですよ!」
こんなにたくさんひとがいる場所で。
しかも、誰もが畏れる新選組の幹部をこんな腑抜け野郎にしてしまうのだから、アイツはとんだ命知らずだというんだ。
fin.
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