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「……実は、両親に結婚しろってずっと言われててね」
ワインを一口飲んで、マスターはグラスを置いた。
「適齢期も過ぎたことだし、もうする気もないんだけど、親としては諦めきれないのかなと思って」
彼は苦々しい笑みを吐く。
マスターの両親、つまり社長の祖父母には、二、三度会ったことがある。
上品な、物腰の柔らかい夫婦だと感じた。
しかし、あの家からバーの店長が出ることは、ちょっと想像がつかない。
「と言っても、マスターまだ四十じゃないですか。若いし。モテるし」
「そうかな」
「まぁ、結婚は似合わない気がしますが。私が言うことでもないけど」
「いや、俺もそう思うよ」
煙草吸っていい?と聞かれて、私は頷いて灰皿を寄せた。
彼は礼を言って、かちりとライターの火をつける。
「マスターは好きな人はいないんですか」
聞いていいものか迷ったが、この際だからと質問してみた。
マスターは灰皿に傾けた煙草を止め、ちらりと目を上げた。
「……いるよ」
短く答えて、彼は自嘲的な笑みを浮かべる。
「結婚したいとは思わないんですか」
「どうかな、なんだか不毛な気がして。……リョウちゃんはマキを好きになって、結婚したいと思ったの?」
「いえ、まったく」
私が即答すると、マスターは予想していたように、だろうねと頷いた。
「でも、一緒にいられるようになったのはうれしいですよ。約束があると安心します」
しかし、その後続けた言葉には、意外そうに目を丸くした。
恥ずかしくなって、私は視線を落とす。
マスターは一度ゆっくりと煙草を吸い、煙を吐いた。
紫煙が天井へのぼっていく。
短くなった煙草を灰皿に押し付け、彼はいつものように怪しさを孕んだ目を細めた。
「そのとおりだね。俺も君たちを見ていると、羨ましくなるよ」
そう言ったマスターは、グラスを持ち上げてにやりと笑った。
真剣な顔をしていると思ったのに、やっぱりからかわれるはめになるのか。
私はごまかすように、オレンジジュースの入ったグラスを持ち上げる。
かちんとマスターとグラスを合わせて乾杯をし、彼のワインを見て早く大人になりたいなぁと思った。
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