END
「この子見るたび、出て行ったときのこと思い出すんですよ。この子を取りに来なかったら、今の生活なかったんだなって」
ふいに上から降ってくる声が、真剣さを帯びて低くなった。
「水族館でこの子を買ってもらってなかったら、戻ってくることなんてなかっただろうし。そしたらあのまま風俗の仕事してたかもしれないし。そう考えたら悲しくなるじゃないですか」
凌の手が俺の腕の中のぬいぐるみを撫でる。
優しい手つき。
慈しむような、温かな掌。
「だから銀には感謝してるんですよ。私をあなたと繋いでくれたのはこの子なんだから。買ってもらったときも、ほんとにうれしくて……」
「わかったよ」
俺は起き上がって、凌の言葉を遮った。
体を引き寄せると、彼女は腕の中で驚いたように俺を見上げる。
「もうわかった。黙れ」
「だって、そっちがぐちぐち言うから」
「俺はあのときのこと思い出すから嫌だったんだよ。追い出したことなんて忘れたいんだよ。……でも、おまえがそんなふうに思ってるんだったら、いい」
ぎゅっと肩に回した手に力を込めて、胸に詰まらせていた気持ちを吐き出す。
「戻ってきてよかったって思ってんなら、それでいい」
このペンギンのおかげだと思ってるのなら。
それが理由で、名前をつけて、側に置いて離さないくらい可愛がってるというのなら。
「思ってるに決まってるでしょ。……まぁ、予想以上に手の掛かる旦那をもらうはめになりましたけど」
「誰が手が掛かるだよ」
「ぬいぐるみにまで嫉妬するくらい手が掛かりますよねー」
凌がからかうように笑うので、俺は口を噤んで凌の髪に顔を埋めた。
彼女の手が背中に回って、その温度にほっとする。
隣にころりと転がっていた銀がこちらを見上げて、相変わらず能天気な顔で笑っていた。
END
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