ふと気が付くと私は教室にいた。いつもの窓際の席ではなく、教室の中央の列、前から4番目という教室のど真ん中の席に一人座っていた。教室内には私以外誰もいない。不思議に思って立ち上がり、後ろのドアから廊下に出る。時刻を見るとちょうど授業をしている時間なのに、自分の教室だけではなく、廊下や他の教室、グラウンドにも誰一人としていなかった。とにかく何もすることがないので、元いた自分の教室に戻ると窓際の一番後ろの席に見慣れた一つ下の少年が座っていた。

「研磨くん!」
「…なまえ。どうしたの、そんなに慌てて」
「授業中のはずなのに誰もいないんだもん。でも良かった、研磨くんがいて」
「…もうすぐ、クロが来るよ。山本も、犬岡も、みんな来るよ」

ゲームの画面から目を離さず、いつも通りの静かな声で研磨くんはそう言った。山本?犬岡?みんなって誰?と尋ねようとした時に、教室の扉が勢いよく開く。

「なまえ、研磨!お前らこんな所にいたのかよ」

呆れたような表情の黒尾が私たちの方にずんずんと近付き、私の隣に移動する。そのまま黒尾は私の頭に肘を乗せ、寄りかかってきたので私は慌てて黒尾の下から逃げようともがく。潰れちゃうでしょう、と文句を言うと「やーいチビ」と言われたので思いっきり足を踏んでやった。

しばらくすると黒尾のチームメイトである海くん、モヒカンの男の子、元気のよさそうな1年生、ハーフの大きな男の子。そして、クラスメイトの夜久。メンバーを見てやっと状況をある程度理解できた。これは、もしかして男子バレー部の会合なのではないだろうか。それなら何故私はこんな所にいるのだろう。

困惑しながら辺りを見渡すと、数メートル向こうにある席に夜久が座ったのが見えた。こっちに黒尾も私もいるんだから座ればいいのにと思いつつ、「夜久!」と声をかける。だけど夜久は私に気付かずに、隣に座った海くんとおしゃべりを始めてしまった。いつもの夜久だったら、向こうから私に気付いて「みょうじ!」って笑って声をかけてくれるのに。

それから何度名前を呼んでも、夜久は振り向いてくれなかった。夜久はいつも通りの笑顔で海くんと話をしている。そんな海くんのことを私は少し羨ましく思ってしまった。私も、夜久に近付きたい。夜久ともっと話をしたい。夜久を、独り占めしてしまいたい。悲しさと寂しさが渦巻く私は、黒尾と研磨くんの元から離れ、夜久に近付いた――。

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私は今朝も夜久の夢を見た。

目を覚ました時のどんよりとした感情は、先日似たような夢を見た時のものとほぼ一緒だった。脳裏にちらつく夜久の笑顔はまるで知らない人のようで、そんな彼に近付きたいと願っている自分の感情は今まで感じた事がないような種類のものだ。私、何か夜久に後ろめたい事でもあるのかな。1度目の夢から数日後にまたこんな夢を見るなんて。

だけど、学校に行って実際に夜久に会えばこんな気分も吹っ飛ぶだろう。たかが夢だ。この間の例にもあったように、夢の中と現実とは違うんだから。夜久はいつも通り、あの人のいい笑顔で私に接してくれるに違いない。気分は晴れないままだったけど、学校へ行くために支度をし、いつもより少し遅く家を出た。

そして私の予想通り、夜久はいつもの夜久のままだった。いつも通りに朝練を終え、黒尾と一緒に教室に来て私に挨拶をしてくれる。そして、今日の私はそれをとても嬉しく感じていた。目の前の夜久は夢の中の夜久とは違う。当たり前だとわかっていたはずなのに、私はいつも通りの夜久を見れてひどく安心していた。

「なまえー」
「んー?」

昼休み、昼食を終えて友達との会話を楽しんでいた私は黒尾に呼ばれ、黒尾の前の席に座っていた。私が今座っている席の隣はちょうど夜久の席であり、勿論夜久もそこにいた。持って来たおやつのポッキーを黒尾と夜久にもおすそ分けし、黒尾にどうしたのと声をかける。黒尾は口ごもり、しばらくしてから両手をパチンと音を立てて頭を下げた。

「悪い!今日メシ一緒に食えなくなった」
「はあー!?」

私が大きな声を上げて立ち上がったため、クラスメイトの視線が一気に私に集中した。はっとして「なんでもない!」と周りに言い、勢いよく座り込んで黒尾をにらみつける。実は今日、バレー部が休みということで黒尾と夕食を一緒に食べる約束をしていたのだ。

「いやー、俺中学の時のバレー部連中とメシに行く約束してたの忘れてて」
「なんでそんな大事な約束忘れるの!?」
「研磨に言われて思い出した」
「…ってことは研磨くんも今日はいないのね」
「そーゆーこと」

がくっと肩を落とす私の頭を黒尾はぐしゃぐしゃと少し雑に撫でまわす。ごめんなと言ってくれる黒尾は珍しく申し訳なさそうな顔をしていたので、これ以上責めることは出来ないし、責めても仕方がない。

今日黒尾と外食する約束をしていたのには理由がある。私の最寄りの駅の近くにとてもおいしいと有名なピザの店がある。そして今そのお店ではキャンペーンをしていて、会員のお客さんに限り期間中の来店でプレゼントが貰える。そのプレゼントは、私が愛してやまないダッ○ィーとコラボした限定グッズだ。そして、なんとこの限定グッズは男性と女性でデザインが違うのである。私はこのグッズが欲しくて黒尾を誘ったのだ。

「みょうじは何でそんなに落ち込んでんの?」
「うちの近くにあるピザの専門店がキャンペーンやってて、こいつの好きなキャラクターのグッズ配ってんの。男と女でデザインが違って、両方欲しいから一緒に来いって言われてたんだよ」

また別の日行こうぜ、と言った黒尾に無言で頷く。仕方のない事だ。中学時代の友達なんて、そんなに頻繁に集まれるわけではないし、ここで黒尾が行かないことになったら研磨くんだって行かないって言いだすだろう。せっかく集まってくれる中学のチームメイトに申し訳ない。でも、明日以降は黒尾達は部活だし、実質的に考えて難しいかもしれない。

「…なぁ、みょうじ」
「んー?」
「今日のそれ、代わりに俺が行ってもいい?」
「……え?」

ばっと顔を勢いよく上げると、夜久が大きな目で私を見つめていた。黒尾も少し驚いたような顔をしている。きょとんとする私を見た夜久は「明日から普通に部活あるから、黒尾も行けるかわかんねーし。キャンペーンってことは、期間限定だろ?現品無くなり次第終了とかもありえるだろうし」と言った。さすが夜久、わかってらっしゃる。

「……でもいいの?せっかくのお休みなのに」
「ん。大丈夫」
「…じゃあ、」

一緒に行こう。そう私が言うと夜久はにっと笑って頷く。そんな夜久の笑顔を見た時に、きゅんと心臓が音を立てた。今の笑顔、可愛いな。そう思って口に出そうとしたけれど、夜久に以前可愛いと言ったら頭を握りつぶされそうになったことを思い出してやめた。
夜久のおかげで手に入らないかもしれないと思っていたダッ○ィーグッズを入手できる。そう思うと本当に嬉しくて、何度も何度も夜久にお礼を言った。

「なまえ〜。顔がだらしないことになってんぞ」
「うるさいなぁもう!だらしなくなんかなってません!」
「グッズ入手したら写真送れよ」
「うん。黒尾も楽しんできてね。あ、中村によろしく」
「あーお前あいつと仲良かったもんな。中村に、今日なまえチャンはデートに行きましたって言っとくわ」
「そんなんじゃねーよ、馬鹿!」

夜久がビシッと黒尾の変な髪型にチョップを食らわす。私はぼんやりと中学のクラスメイトである中村の顔を思い出しながらポッキーに手を付ける。何だかいつもよりも甘い気がする、と思いつつカリカリと音を立ててポッキーを少しずつ短くしていく。あ、そうだ。授業始まる前にトイレに行っておこう。

「ご機嫌だねぇなまえちゃんは」
「ん?まぁね!ダッ○ィーちゃん楽しみだし」
「おうおう。今日の夜久はお前の手下だ。存分に使え」
「何だよ手下って…」

黒尾の言葉にぴたりと動きを止める。そっか、私今日夜久と二人で出かけるんだ。ふと朝の夢が頭の中に蘇り、私は夜久のことをじっと見つめた。夢の中では、夜久は私の方を向いてくれなかった。夜久がいつもよりも遠く感じた。でも今、夜久は私の方を向いてくれている。最近見る少し怖い夢を、私は恐れなくてもいいんだ。だって現実とこんなにも違うんだから。

「…うん、大丈夫」
「え?」
「ううん、なんでもない!今日は夜久のこと、独り占めさせてね!」

そう言って私は2人から離れ、ごみ箱に空いたポッキーの包みを投げ入れて廊下に出る。そして顔を真っ赤にした夜久と、「へーえ」と言ってにやにやしている黒尾がこちらを見ていることに気付かないまま、トイレに向かったのだった。