窓際から差し込んでくる太陽の光は暖かく、吹き込む風は爽やかで心地の良い昼下がり。私が自分の席に座っていると、とんとんと右肩を叩かれる。振り向くと、いつものように黒尾が私を呼んでいて、私は体ごと奴の方に向き直る。相変わらずの変な髪型に手を伸ばし、わしゃわしゃと撫でると黒尾は思いっきり顔をしかめた。
「なまえ、ヤメナサイ」 「相変わらず変な寝癖。どんな寝方してんのよ」 「至って普通ですけど?」 「嘘ばっかり。まだ直ってないんだね、あの苦しそうな寝方」
くすっと笑って黒尾の髪から手を放すと、代わりに黒尾が私の髪に手を伸ばす。私の中途半端に長くなった髪を優しく、そっと耳にかけてからぽんと私の頭に手を乗せた。
「お前は、もっと髪伸ばせばいいのに。せっかく綺麗なんだから」
黒尾にしては珍しい歯の浮くような言葉に、驚きながらそっと目をそらす。なんだか照れくさい気持ちをふわふわと抱いたまま、そらした目の先に見えた誰かの足を見た。
「…夜久」
私と目が合った夜久は、いつもの笑顔が眩しい夜久ではなかった。悔しそうに、悲しそうにこちらを見る夜久は私に気付くともっと悲しそうな顔をして私に背を向ける。その場から立ち去ろうとする夜久に手を伸ばすと同時に、無機質な電子音が鳴り響いた。
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空は青く、太陽の暖かい光が心地よく街中を照らしている様子を、私は少し硬い電車の椅子に座りながら眺めていた。快晴とも言える天気とは裏腹に、私の気持ちは沈み、頭が重く感じられる。着慣れた制服に目を落とし、自分の膝を眺めながら朝から何回目かわからないため息をつく。
今朝見た夢はすごく気持ち的に落ち込むような夢だった。黒尾と仲良くしていた所を見た夜久が、何故かすごく悲しい顔をしていて。クラスメイトの今まで見た事がないような表情に、私はすごく胸を痛めた。何故かわからないけれど、私が夜久を悲しませている。夢ながらにそうはっきりと認識できたし、それは目が覚めた今でも私の心にもやのようなものをかけている。それくらい、リアリティのある夢だった。
通っている高校の最寄り駅へ向かう電車に揺られながら、なんとなく上がらない気持ちを抱えてため息をつく。ただの夢のはずなのに、夜久に会うのがなんだか少し怖かった。
電車がゆっくりと減速し、やがて静かに止まる。扉の近くに座っていた私は立ち上がり、扉に向かって進む。履きならしたローファーで地面に降り立つと同時に、「よぉ」という声が耳に飛び込む。隣の扉から降りたらしい黒尾と研磨くんがこちらを見ているのに気付いた私は口元を緩めると、ひらひらと手を振る。そのまま改札を通り駅の出入り口に立ち、私はさっき会った2人組が姿を現すのを待った。
現れた黒尾と研磨くんにおはようと声をかけ、二人と並んで歩きだす。中学の頃から仲の良い黒尾と、その幼馴染の研磨くん。この二人のようにいつも一緒というわけではなかったが、休日に遊んだり時々登下校を共にするくらいには仲が良い関係だった。
「……今日は早いんだね」 「昨日課題忘れて帰っちゃったから朝やろうと思って」 「課題?なんかあったっけか?」 「古文の要約。今日当たるんだよね」
まだ学生があまり通っていない道を3人で並んで歩く。あまり騒がしくないこの二人と一緒にいるのは心地よくてとても好きだった。中学の時はあまり懐いてくれなかった研磨くんもだんだんと心を許してくれたようで、今では軽口を叩ける仲になった。黒尾に至っては中学3年間、高校3年間同じクラスでとても仲が良いと私は思っている。
私たちが歩いていた道の幅が広くなり、大通りにたどり着いた。いつもと違う時間帯というだけでこんなにも街の景色が変わるんだから驚きだ。ぼんやりと景色を眺め、あくびをすると横にいた研磨くんがちらりと私に視線を送る。
「…なまえ、寝不足なの?」 「うーん寝不足というか寝起きが最悪だっただけ」 「怖い夢でも見たんだろーどうせ」 「まぁそんな感じ。てかなんで半笑いなの黒尾」 「べっつにー」
にやにやと笑う黒尾の足を軽く蹴り飛ばす。私は昔から怖がりで、それを黒尾はよく知っている。大方、未だに怖い物に怯える私をからかったんだろう。むかつくなぁ、自分だって中学生の時にホラー映画見て半泣きだったくせに。
ふと、私たちが歩く道の数メートル先にバスが止まったことに気が付いた。音を立てて扉が開き、数秒後に何人か降りてくるのが視界に入る。その中の一人、短くて色素の薄い髪の男の子がバスを降り、大きなあくびをしていた。夜久だ。どきりと心臓が音を立て、少しだけ身が引き締まる。
「夜久ー!」
黒尾が声を上げると少し眠たそうな表情をした夜久がこちらに気付く。少しだけ驚いたように目を見開くと、いつも通りの笑顔でにっと笑いかけた。良かった、いつもと変わらない夜久だ。私の脳裏に浮かんだ悲しそうな夜久は消えて、少しばかり安心した。
「あれ、みょうじ珍しいなこんなに朝早いの」 「…課題、学校に忘れちゃって」 「あーそういうことか。偉いなぁみょうじは」
夜久も一緒に加わり歩き出す。自然と夜久は私の横に来て、その横に黒尾が並ぶ。少し前を歩く研磨くんはゲームをしながら歩いていた。相変わらず器用だな、と思いながら目の前の研磨くんの背中をぼんやりと見つめていた。
「なまえちゃんはこわーい夢を見て怖くて起きちゃったんだって」 「…なんか黒尾の言い方むかつく」 「みょうじ怖がりだもんなぁ。どんな夢見たんだ?」 「…………夜久が、」
そう呟くと夜久が大きな目をきょとんとさせて俺が?と尋ねる。ただの夢だし話してもいいんじゃないかと思ったけれど、なんとなく話しちゃいけない気がして口ごもった。後ろでにやにやしている黒尾がむかつく。私は少し視線を泳がせた後、ゆっくりと口を開いた。
「…夜久の身長が、」 「はーいみょうじさんストップ」
がし、という音を立てて夜久が私の頭を掴む。ぎりぎりと力がこもる夜久の手は、だいぶ加減してくれてるようだったけど私の頭を締め付けていた。夜久の笑顔に恐怖を感じつつ、痛い痛いと大げさに声を張ると黒尾が声を上げて笑った。
「…冗談です」 「よろしい」
ぱっと手を放した夜久が優しい手つきで私の髪を整えてくれる。夜久が今までこんなことをしたことはなかったから驚くと同時に、じわじわと頬が熱くなる。その様子に気付いた夜久はあ、と声をあげてぱっと手を放し、ごめんと同じように頬を染めた。
「朝からお熱いですねぇお二人さんは」 「そんなんじゃねーっつの。大体お前とみょうじもやってんじゃんこういうこと」 「ほら、なまえってば毎朝寝癖がついてるから」 「それ黒尾でしょ。なんとかならないのその寝癖」
話をしながら歩いていくと、目の前に校舎が見えた。通いなれた道も友達と一緒だとあっと言う間だ。
「…やべ、ちょっとのんびり来すぎたな。研磨、ゲーム消せ。朝練遅れるぞ」 「じゃあな、みょうじ。またあとで」 「うん。朝練頑張ってねー」
急げ、と夜久が声をかけて黒尾が走り出す。研磨くんは相変わらずマイペースに歩いていたけど、黒尾に急かされて速度を上げた。私はそんな3人の背中を見つめ、ひらひらと手を振ったのだった。
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