■ 先輩マネに迫る西谷

いつもより少しだけ早く授業が終わり、着替えてから体育館の扉を開ける。聞こえてくる挨拶に返事をし、ボトルケースを体育館の壁際に置くと、後ろから騒がしい足音が聞こえてきた。


「なまえさん!!」


ものすごい勢いをつけてこちらへ走ってきたのは、後輩の西谷だった。いつも通り力強い瞳の彼を見つめ、首をかしげてからどうしたのと声をかける。急ブレーキをかけた西谷は私のちょうど1メートル手前で止まると、素晴らしい速さで正座をし、そして床に手をついて思い切り頭を下げた。


「俺と!!ケッコンを前提にお付き合いしてください!!」


体育館中に響き渡る大声でそう叫んだ西谷。途端にシーンと体育館に沈黙が訪れる。数秒後、「ノヤっさん漢だぜーーー!!」と涙を流して叫ぶ田中の声が響き渡った。


「うおおおおお、ノヤっさん!かっけぇ!」
「おいおいおい西谷お前なぁ…」
「バカなの!?どういう思考回路してるのアイツは!?」


体育館のいろいろな方向から聞こえてくる声も今は頭に入らない。突然のことに動揺していたが、はっと我に返った私はただ自信ありげに私を見上げる目の前の後輩にため息をついた。私は綺麗に正座している西谷と目線を合わせるためにしゃがみ込む。


「あのね西谷。言ってる意味わかってるの?」
「もちろんです!!」


本当にわかっているのだろうか。困りながら西谷の表情を見つめなおすと、西谷は私の手を両手でぎゅっと握りしめる。


「絶対に幸せにしてみせます!俺と付き合いましょう!」


非常におかしい。あまりにも突然すぎて、そして目の前の後輩が何を考えているのはわからなすぎてめまいがした。この後輩の告白はあまりにも突然で、あまりにも衝撃的だった。西谷が私のことを好きなそぶりなんて見せたことないし、いつも潔子を追いかけてる西谷が私のことを好きだったなんて微塵も考えたことがなかった。何か裏でもあるんじゃないか、と疑ってしまいたくなるくらい、私は彼の言うことを信じられなかった。

どう答えるのが正解なのか、わからなくなってぐっと言葉を詰まらせる。緊迫した空気の中、言葉を発するためにすっと口を開くと、ガラガラと音を立てて扉が開く。そこには着替えを終えた潔子が荷物を持って現れた所だった。西谷が「潔子さん!」と声をあげ、目線を私から反らしたそのタイミングで私は立ち上がり、時計をちらりと確認した後逃げる様に体育館の入り口に向かって走る。


「菅原!ごめん私言いそびれてたんだけど、10分くらい抜けなきゃなの!すぐ戻るから、先始めてて!」


ぽかんとしながらおう、と返事をした菅原と部員に背を抜け私は一目散に走って体育館を脱出した。西谷のことはとりあえず、後で何とかしようと決めて。


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「こんな日ってあるの…?」


はぁ、とひとつため息をついて中庭の土の上を歩いていた。久々に訪れた中庭は土と緑の匂いがして、暖かい太陽がじりじりと肌を焼く。ちらりと後ろを振り返り、校舎の影に視線を送るけど、もうそこには誰もいなかった。

西谷の突然の告白を受け体育館を抜け出てから、私は中庭の向こう側にある校舎の裏で別の人から告白を受けた。ほんの数分前、自分に告げられた愛の告白を頭の中で反復しながら、相手の男子の表情を思い浮かべる。

私が断った時、とても悲しそうな表情をしていた彼に心が痛んだ。クラスメイトの彼はとてもいい人だ。だけど、彼と恋愛関係になることが考えられなかった。明日どんな顔をして会えばいいのだろうと思った時、ふと西谷の顔が頭に浮かぶ。

西谷も、もしかしたら傷付いているかもしれない。告白したのに信じてもらえなくて、挙句の果てに返事をする前に逃げられて。そう考えると体育館に行くのが億劫になってしまう。どんな顔をして戻ればいいんだろうと呟いた、その時だった。

ぐいっと後ろから腕を引っ張られて体がよろける。「見つけた」という掠れた声が耳に届き、振り返ると息を切らした西谷が射貫くように私を見つめていた。私がどうして、と言葉を発するよりも早く、西谷は私の両肩を掴んでまっすぐに私の瞳の奥を覗き込んだ。

「…あいつは」
「え?」
「…告白、どうしたんですか」


何で西谷がそのことを知っているの、と言うべきなのだろうが、動揺した私はその視線の鋭さに思わず口ごもる。言葉を発しない私を見た西谷の表情が歪む。辛く、そして悲しそうな表情をした後に彼は俯き、握りしめた拳を震わせたのが分かった。


「すいません、俺聞いてたんです。今日の放課後時間あるかって、男に聞かれてた時偶然近くにいて」
「そっか、自販機の近くで話してたから…」
「もしかしてなまえさん告白されるのか、って思ったら、すげー嫌な気持ちになって。…俺、焦りました」


目の前に、私が見たことがない西谷がそこにいた。バレーをしている時の真剣な顔、ふざけている時のバカみたいな顔、にっと笑った眩しいくらいの笑顔―――。そのどれとも違う切なそうで苦しそうな表情に私の心臓はドクンと大きな音を立てた。西谷が潔子を追いかけているから、私に対してそんな態度を見せたことがないから。そんな私の中の価値観で判断して、西谷の告白を嘘だと思ってしまったことを、私は後悔した。だって目の前の西谷は、今まで一度も見てきたことがない。こんな、恋に苦しむような表情をした西谷なんか。


「いきなり驚かせてすいません。でも俺、気付いちまったんです。なまえさんとずっと一緒にいたいんです!俺、なまえさんが…!」


西谷が次の言葉を紡ぎだす前に、私は西谷の手を取った。少し冷たくなった手をただ見つめて、ぎゅっと握りしめる。西谷の口から次に発せられる言葉を、私は多分知っている。今の口ぶりから考えて、西谷が私への気持ちに気付いたのは最近だろう。告白の言葉が焦りから生まれたものだとしても、私は目の前の、私を熱っぽく見つめる西谷を信じたいと思ってしまった。そして不思議と、西谷の私に対する気持ちは私の心を温めていった。自分でもおかしいと思う。私は彼に告げられるよりも早く、こんなにもあっさりと自分がどうしたいかをわかってしまったのだから。


「西谷、私ね、西谷の自信に溢れた顔が好きなの」


あまり変わらない、それでも少しだけ高い位置にある西谷の瞳を見つめて微笑むと、一瞬の間の後、西谷が力強く私を引き寄せる。背中に回った腕に力が込められて、私はそっと目を閉じる。


「俺、なまえさんが好きです!!俺の彼女になってください!!」


西谷にしか聞こえないような小さな声で返事をすると、腕の力はさらに強くなる。そのまま勢いよく体を離されたかと思うと、学校中に響き渡るくらいの大きな声で叫びながら大きくガッツポーズをした私の恋人に、私は早くも心を掴まれかけていた。



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