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翔ちゃんの大事な試合も終わり、最後まで残っていた私は一足お先に体育館を出ることにした。玄関がもう閉まってしまったらしいので、靴を取に行き、部員の皆さんに挨拶をして外に出る。まだ少し肌寒い夕方の空気がひんやりと火照った顔を冷やしてくれた。階段を下り、歩き出すと近くの草むらにバレーボールが落ちているのに気付いた。きっと練習中に飛んで行ってしまったのだろう。ボールを持ち、体育館に届けようとした時、ふと先程の試合が脳裏に浮かぶ。少しだけボールに触りたい、そう思った私はポンポンと小さな音を立てて遊び始めた。

一人でトスをして遊んでいると、前方に高めのコンクリートの塀を発見した。少し立ち止まって塀を見つめ、それから手元にあるボールを見つめる。これくらいの距離から打てば、塀を超えることはないだろう。そう思った私は左手にボールを持ち、まっすぐ塀を見つめた。

すうっと息を吐き、指先まで神経を張り詰める。背筋を伸ばし、左手を使ってボールを高く上げる。夕日が少し眩しいけれど、高く上がったボールから目を逸らさずに助走し、全身の力を使って高く飛び上がる。振り上げた右手は吸い付くようにボールに触れ、放たれたボールは激しく回転しながら大きな音を立てて塀に当たった。

1年以上サーブはしていなかったけれど、思っていたよりも悪くなかった。私もまだまだいけるじゃん、そう思いながらボールを回収し、鼻歌を歌いながら体育館へ向かう。ボール落ちてましたー!と声をかけ、体育館にまだ残っていた成田くんに向かってボールを転がす。それから私は運動によって乱れた制服を直し、置きっぱなしにしていた鞄を持って歩き始めた。

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よく晴れた空に浮かんでいる大きな夕日が街をオレンジ色に染め、カラスが鳴きながらどこか遠くへ飛んでいく。そんな空の様子を眺めながら、私はゆっくりと歩く。鼻歌を歌いながら前に進んでいると、ふと曲がり角からスマートな三毛猫が現れたのが視界に入った。猫は私をじっと見つめ、にゃあと一言鳴き声を上げた後、軽やかな足取りで私に近付いてくる。私はすっとしゃがみ込み、すり寄ってきた猫をじっと見つめた。

そっと猫に手を伸ばし、優しく撫でるとゴロゴロと喉を鳴らす。どこかの飼い猫なのかな。こんなに人懐こい猫初めて見た。私に甘えるその姿があまりにも可愛らしく、自然に口元がほころぶ。きみ可愛いねと声をかけながら、私はその猫のいろんなところを撫でていた。

ふと、猫が勢いよく顔を上げる。猫は私の手から離れ、にゃあと一声鳴いてからものすごい勢いでどこかへ駆けていく。あまりの素早さに驚き、猫が去った方向を見つめながらも私はゆっくりと立ち上がった。

「…っあの!」

背後から、男性の大きな声が聞こえてきた。私が後ろを振り向くと、息を切らした黒髪の男の子が鋭い目つきで私のことを見つめていた。影山くんだ。

影山くんは射貫くようなするどい目つきで私のことを見つめ、ずんずんと近寄ってくる。そのあまりの迫力に一瞬たじろいだけれど、あぁ、もしかしたらさっきの猫はこの影山くんが怖かったから逃げたのかもしれないと、呑気にそんなことを考えていた。

「さっきのサーブ、」
「えっ」
「女子であんなに急に曲がるサーブ使える選手初めて見ました!あれ、俺にも教えてください!」
「へっ!?えっと、」
「日向とバレーしている所も見ました!アンダートスのフォーム、すげぇ綺麗だと思いました!中学はどこのバレー部だったんですか?何で今バレーやってないんですか?」
「えっと、影山くん落ち着いて…」

目をキラキラ(ギラギラの方が正しいかもしれない)私に質問をたくさんぶつけてくる影山くんに動揺しながら視線を泳がせた。何だこの子、怖い。私はいったん影山くんから距離を取ると一つ息を吐く。これは逃がしてくれないだろうなと思いながら、私はゆっくりと歩きだした。

影山くんは私の後ろから駆け寄り、ゆっくりと私と並ぶ。足元に目を向けると、二つの長い影がゆらゆらと動いていた。私はその影から目を離さず、ゆっくりと話し始める。

「中学はそこそこ強豪だったところだよ。私はウイングスパイカーやってたんだ。足痛めちゃってバレーやめちゃったけど、今でもバレーはすっごく好きだよ」
「そうなんすか」
「あのサーブはね、私のとっておきなんだ!」

とっておき?と首をかしげる影山くんの様子を見てにっと笑う。そう、とっておき。と反復して、私は右手の袖をちょっとだけまくる。
不思議そうにこちらを見る影山くんの方を向き直り、右手の中指をぐっと曲げて手首にぴったりとくっつける。影山くんが驚いたような顔をしたのを見て笑いながら、私はまた右の袖を元に戻した。

「今見たみたいにね、私手首がとっても柔らかいの。だからね、打つ時に手首のスナップを最大限に効かせることで、普通の人よりボールを回転させられるの。だから落ちる時、あんなに急に曲がるんだよ」

元々の体質だから、練習して習得できる範囲のものじゃないよ。そう言うと影山くんは悔しそうな顔をしてこちらをにらみつけていた。背後に炎が燃えているのが見える。思ったよりも面白い子なんだなぁと思ってケラケラ笑った後、私は影山くんに微笑んだ。

「影山くんのサーブだってすごいじゃん。あれじゃだめなの?」
「まだまだっすね」
「ふうん。真面目だなぁ」

呑気にそんなことを言うと、ありがとうございますと声が返ってくる。私は目線を落とし、履いているローファーでこつんと足元の石ころを蹴った。

「…私ね、あと2種類サーブ持ってるの。私の必殺技」
「えっ」
「そんなキラキラした顔で見ないでください。…でも、私のサーブだけじゃ勝てないの。得点にはなるけど、チーム全体としての力じゃない。いつか限界が来る」

静かにそう言うと、影山くんの足がピタリと止まる。私の足は歩むのをやめない。目の前の急な坂を、私はゆっくりと下っていく。

「みんなで、強くなっていこうね」

振り返って影山くんにそう声をかける。何も言わない影山くんをしばらく見つめると、影山くんは何とも言い難い表情で考え込んでいた。

「…どういう顔なの、それ」
「わかんねっす」
「影山君って不思議な人だね。…あ、前にいるの菅原さんだ」
「えっ!あの、失礼します!」

私が前方に菅原さんを見つけると、影山くんは焦ったように私に挨拶をして坂道をかけていく。忙しい子だなぁと苦笑しつつも、私は鼻歌を歌いながら歩きだした。なんだか面白くなりそうだと、私は直感的にそう思ったのだった。



これから