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「ありがとうございましたー!」

にこりと微笑んで、小さな白い箱を持って店を出ていく女性に元気よくお礼を言う。甘い匂いが漂う店内は私以外誰もいなくなり、ようやく落ち着いたかと一息ついた。お洒落な店内から窓の外に目をやると、もう辺りはすっかり暗くなっている事に気が付いた。今日は久々に混んだなと小さく呟いてから、イートインスペースの空いた食器を片付ける。

突然だが、私の両親は地元であるこの街でケーキ屋を営んでいる。それなりに名の知れたパティシエである父は、地元であるこの地に念願の自分の店をオープンした。ケーキだけでなくチョコレートやマカロンなど、様々なお菓子が売られているこの店は県内でも非常に有名であり、またイートインスペースもあるため、多くの人が訪れている。

そして私は週に何回か、アルバイトという名のお手伝いをしているのである。人手不足とかそういう訳ではない。なんてったって人気店、アルバイトの人はたくさんいるし応募もそれなりにある。私の手を借りずとも、このお店はやっていける。だけど、私は好きなのだ。両親が作ったスイーツを、美味しいと言って笑顔で食べてくれる人の表情を見ることが。

カランカラン、と入り口のベルが鳴り響く。新しいお客さんだ。にこりと笑っていらっしゃいませ、と声をかける。新しいお客さんはまっすぐショーケースの前に行き、そして立ち止まった。

背が高い、190センチくらいはあるのではないだろうか。短くて明るい髪は少しだけ跳ねていて、黒縁メガネの向こう側の瞳は少しだけ冷めたような印象を受ける。私の学校の学ランを着た男の子は、じっとショーケースの中を見つめていた。私の学年の人ではない、でも学校で見た事がないから1年生だろうか。大きいなあと思って眺めていると、男の人と不意に目があった。

「このショートケーキふたつと、モンブランひとつください」
「はい、かしこまりました」

素早く箱を組み立てて、ショーケースの扉を開ける。手早く、だけどソフトな手つきでケーキを箱に移し、保冷剤を入れて蓋をした。賞味期限のシールを張り、箱をビニール製の袋に入れて彼の方を向く。

「980円になります」

レジに打ち込んで値段を告げると、男の子は財布から千円札を取り出して手渡した。レジに入れ、おつりとレシートを手渡すと同時にクーポン券を一緒に手渡す。

「只今キャンペーン中でして、イートインのお客様に限り10%割引のクーポンをお配りしております。次回ぜひご利用ください」
「…どーも」

そのままケーキの箱を手渡し、ありがとうございましたと告げる。男の子はじっとケーキの箱を見つめて、少しだけ表情を緩めるとそのまま背を向けて店を出た。カランカラン、とベルが店内に鳴り響き、私はまたひとつ息をつく。ふと時計を見ると、もう閉店の時間が近い。よし、と一言呟いた後、私は閉店作業に取り掛かった。

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土曜日の学校に来るのなんて久々だ。私はいつも通り制服を着て、学校に向かって歩いていた。鞄の中はいつもと違ってかなり軽い。何を隠そう、私は今日バレー部の練習を見に行くのである。

翔ちゃんがちゃんとバレーの試合をしている所を、私は見た事がなかった。中学の時は私も部活で忙しかったし、高校に入ってからはアルバイトに夢中になってしまったため、連絡は取り合っていたものの行かなかった。我ながら薄情だと思いつつも、ひたむきにバレーを頑張る翔ちゃんを見て思ってしまったのだ。翔ちゃんのバレーを見てみたい、と。

縁下くんに「試合を見に行きたい」とお願いしてみると、縁下くんは一瞬驚いたような顔をした後にすぐに微笑んで「いいよ」と言ってくれた。一応主将の許可が必要らしいけれど、縁下くんはすぐ主将さんに聞いてくれて、無事に私は試合を見に行けることになった。翔ちゃんにもそれを伝えると、とても喜んでくれた。バレーの試合を見るのなんて久々だからとても楽しみだ。うきうきしながら校門を通り過ぎ、玄関で靴を履き替えて体育館に進む。

控えめに重たい扉を開き、そっと体育館に入る。私に気付いた縁下くんが「みょうじ!」と呼びかけると、体育館にいた人達が一斉にこちらに視線を向けた。田中くんと翔ちゃんが私の名前を呼びながら手を振っている。ふと、彼らの近くに昨日お店を訪れた男の子がいることに気が付いた。バレー部だったんだ、と思っていると私の目の前に一人の女性が現れた。

「…みょうじなまえさん?」
「へっ!えっと、はい!」
「…マネージャーの清水です。縁下から話は聞いてる。見学場所はこっち」

目の前にいるのは信じられないくらい美人な女性。ぽーっと見惚れていると、私の視線に気づいた清水先輩はにこりと微笑む。そのあまりの美しさに自然に頬が赤くなる。私は清水先輩に対する緊張と、いろんな人から視線を集めている緊張とで軽く混乱しながら清水先輩の後ろをついていく。

案内された場所にゆっくり座り、「なまえちゃん!俺!がんばるからー!」と声を上げている翔ちゃんにニコリと笑って手を振る。その横で田中くんが膝から崩れ落ちているのが少し気になったけれど、清水先輩が「あれは気にしないでいい」って言ってくれたから良しとしよう。

「みょうじさん、バレーはわかる?」
「はい!中学の時にやってたので」
「それなら大丈夫だね。何か質問とかあったら聞いてね」

優しい清水先輩に感激しながら、私はコートに目を向ける。翔ちゃんと田中くんと同じコートにいるのは、背の高い黒髪の男の子だった。どこかで見た事ある、そう思ったちょうどその時その男の子と目があった。彼が翔ちゃんが言っていた男の子なのだろう。

そして、ほどなくして試合が始まった。



夢の始まり