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バレー部のお手伝いを初めてから3日が経った。慣れないマネージャーの仕事も、清水さんに教わりながら少しずつ出来るようになってきた。部員の練習もよく見るようにして、練習メニューの種類や目的、一人一人の動きにも注意を払っている。以前は自分が選手側だったからだろうか。コートの外側からはいろんなことがよく見える。そのいろんなことに集中していることもあり、部活の時間はいつもあっという間だった。

今日は木曜日。私は店の手伝いをする日なので、部活はお休みさせてもらう日だ。部活に行けないことを少しつまらなく感じるくらいには、私はマネージャー業が気に入っていた。

そんな日の昼休み、私は小さな紙袋と財布を持って自販機コーナーへ向かっていた。鼻唄を歌いながら騒がしい廊下を通り、階段を降りてゆく。教室棟からそんなに離れていない自販機コーナーに到着し、財布から小銭を取り出して時々飲むストレートティーのボタンを押すと、目当ての物は音を立てて取り出し口に落下した。

パックを取り出し、その場から立ち去ろうとして体の向きを変えると、ドンと誰かにぶつかってしまった。私はぎゃ、と可愛くない声を上げてから、そのぶつかった対象から少し距離を取る。すみません!という慌てたような声はどこかで聞き覚えがある気がした。

「あ、みょうじさん!すみません!」
「山口くん!ぶつかってごめんね、大丈夫?」
「お、俺は大丈夫です!みょうじさんは大丈夫ですか?」
「うん!大丈夫だよ!」

ぶつかった相手はバレー部の1年生である山口くんだった。そしてその隣には、いつも一緒の月島くんが立っていて、私にぺこりと小さくお辞儀をする。

「二人とも飲み物買いに来たの?」
「はい。今日は暑くて喉が渇くので」
「確かに今日ちょっと暑いよね」
「みょうじさんは…紅茶買ったんですね」
「そうなの。これからティータイムなんだ」

私の言葉に、山口くんと月島くんは不思議そうに首をかしげる。その様子を見た私は手に持っていた小さな紙袋を二人の目の前に出した。

「私の家はケーキ屋なのですが」
「はい」
「期限が切れてしまったものを時々おやつとして持ってきているのです」

さすがにクリームを使ったケーキは持ってこれないけれど、クッキーの詰め合わせとかフィナンシェとか、そういったものの賞味期限が切れた時、私はおやつとして学校に持ってくる。時々多めに余ってしまった時はお昼ご飯の替わりにしたりもしている。うちはケーキだけじゃなくて焼き菓子もすごく美味しいから、とても幸せなおやつタイムを送ることが出来るのだ。

「教室で食べるとみんなが寄ってくるからこれから中庭行くの」
「へぇ…」
「そうだ、2人にも少しあげるね」

小さな紙袋の中にある包装用の透明な袋に包まれた小さな塊を取り出して、きょとんとしているこの大きな1年生2人にひとつずつ手渡した。ふわりと甘い匂いが鼻をくすぐり、なんだか嬉しい気持ちになる。早く食べたいと思う気持ちを抑えつつ、にこりと二人に微笑んで言葉を発した。

「りんごのパウンドケーキだよ。今日中に食べてね」
「ありがとうございます!」
「…いただきます」
「うん!気に入ったらお店に買いに来てね」

ぺこりと頭を下げてから歩いていく可愛い後輩二人を見送った後、中庭に向かおうと鼻歌を歌いながら歩き出す。外に出るために玄関へ向かおうと、すぐ近くの曲がり角を曲がった時、再び誰かとぶつかってしまった。今日はなんだかよく人にぶつかるなぁ。

「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
「大丈夫です…ってなんだみょうじか」
「あ、縁下くん」

ぶつかった相手は最近仲良くなったクラスメイトだった。

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「いやー、今日もすごくいい天気だね」
「そうだなー」

場所を移動して、今私は縁下くんと二人で中庭のベンチに座っている。縁下くんとは反対側に紅茶のパックを置き、紙袋からパウンドケーキの包みを取り出して手渡した。

「ありがと」

となりに座る縁下くんに笑顔を返してから、私も同じようにケーキを取り出す。包みを開くとふわりと甘い香りが漂い、引き寄せられるように顔を近付けてかぶりついた。口の中に広がる甘みにうっとりとしながら、もぐもぐと口を動かした。

「すげーうまいねこれ」
「ほんと?ありがとう」

縁下くんの感想に満足げに頷いて、私はパックの紅茶をすする。甘いケーキにこの紅茶はよく合うなぁと幸せな気分に浸りながら、私はぼんやりと空を眺めた。ちょうど縁下くんに話したいことがあった私は、ダメもとで縁下くんに声をかけた。優しい縁下くんは私のお願いを快く了承してくれて、そして今に至る。

「あのね縁下くん」
「ん?」
「田中くんのことなんだけど」

私が田中くんの名前を出すと、きょとんとした縁下くんがこっちを向いた。口の端にパウンドケーキの欠片が付いている。なんだか可愛いなと思いながらも、私は再び口を開く。

「…私、田中くんとだけ全然仲良くなれなくて」
「……あー」
「ほら、田中くんってなんというか、ワイルドな性格じゃん?」
「……?」
「私が田中くんと話す時、目を合わせてくれないしいつも1メートルくらい距離あるし」

どうしたら田中くんと仲良くなれるんだろう。そう呟いてから縁下くんを見ると、呆れたような顔をした縁下くんがため息をついた。

「あのな、それはみょうじに問題があるわけじゃないから」
「そうなの?」
「…えーっと、田中はほら、みょうじみたいな女子に耐性がないから多分戸惑ってるだけ」

苦笑しながら縁下くんはそう言って、残りのパウンドケーキを頬張っている。私は膝に視線を落とし、少し考えてみた。清水さんのとはまた違う田中くんの態度。どうすれば田中くんと仲良くなれるんだろう。

「…まぁしばらくすれば慣れると思うけど」
「本当?」
「…………」
「なんで黙るの…」

縁下くんが黙り込むってことはこれは絶望的なのか。でも、せっかく同じ学年だから仲良くなっておいた方がいいと思うし、私も仲良くなりたい。うーんと声を上げながら考えていると、隣の縁下くんはご馳走様と告げて包みを綺麗に畳んでいた。

「それか、田中が持ってるみょうじのイメージを崩しちゃえばいいんじゃない?」
「イメージを崩す…」
「それか、田中がみょうじに対して素を出せる環境を強制的に作るとか」
「強制的に環境を作る…」

私はそう呟き、また考えを巡らせる。田中くんは基本的に人見知りしないし、会ったばかりの1年生ともすぐに打ち解けていた。どうやったら田中くんに普通に接してもらえるのか…そのためには何が必要なのか。私が翔ちゃんみたいな天性のコミュ力があったらなぁと思ったその時、ひとつの案が思い浮かんだ。

「縁下くん!思いついた!」
「俺も、ちょうどひとつ思いついた」

縁下くんがいたずらっぽい顔でにやりと笑う。そして私に告げられた作戦は、私が考えていたものと8割方同じものだった。私はすぐに賛同することに決めた。

「そうと決まれば早速実行な。明日の昼休みで大丈夫か?メンバーは今日の部活の時適当に声かけとくから」
「うん!本当にありがとう縁下くん!」
「いいよ、ケーキうまかったし」

本当に優しい縁下くんに一生分のお礼を言いながら、私たちはベンチから立ち上がる。あと少しで授業が始まるので、そろそろ教室に向かわなければ。私たちは作戦について話をしながら、暖かな中庭を後にしたのだった。



魔法の林檎