藤原と名乗った男は、話し上手だった。
割と意識して他人行儀な対応をしていたはずなのに、不思議と会話が弾む。
俺が大学で専攻している分野に詳しかったのも一因かもしれない。
専門的な話が大学以外で出来るってことが嬉しくて、初めの警戒心も大分薄れてしまった。
「ところで山下くんは、恋人とかいるの?」
「……いや、いませんけど」
「そうなんだ。僕もいないんだけどね」
ゼミの先生が先日発表した論文に関する話が一段落ついた頃、何気なく言われた言葉に胸が痛んだ。
恋人だったアイツと俺。
浮気したアイツとされた俺。
別れを告げた俺と告げられたアイツ。
俺をまだ好きだと言うアイツ。
俺は――。
何とか否定すると、藤原さんは俺の動揺になんて気付かずに笑った。
俺を知らない、アイツのことも知らないこの人なら。
何にも関係のないこの人なら、単なる愚痴として吐き出せるかもしれない。
そんな考えがふと浮かんだ時にはもう口が動いていた。
「ていうか、別れたばっかりみたいなもんです。相手に浮気されて」
よくある話ですよね、と俺は自嘲気味に笑った。
上手く笑えてない自信はあった。
無理矢理上げた口角が引き攣ってるみたいだ。
藤原さんは少し困ったように眉根を寄せて、それでも優しげに微笑む。
「それは、……辛いね。辛かったね。でも、そんなふうに笑わなくて良いんじゃない?」
テーブルの上で強張っていた俺の手に、藤原さんの指が触れる。
「辛い時には泣いたら良い、なんて、ありきたりだけどね。多分たくさん泣いたんだろうけど、無理する必要はないよ」
涙が出るなら流してしまえ、と。
身体はほんの少しだけしか触れてないのに、気持ちを救われたような感覚だった。
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