そんなことで少し感動したにも関わらず、トイレから戻ったら出井の姿がなかった。
俺たちの席――出井が座ってたはずの場所には見知らぬ男性が一人、にこやかに頬杖をついている。
「あれ?」
席を間違える程に酔ってしまったんだろうか。
周りを見渡して、もう一度視線を戻す。
テーブルの上には俺と出井の煙草と、さっきまで飲んでたモスコミュールの銅マグ。
間違えてはいない、ならこの人は何なんだ。
「あの、」
「お友達はあっちにいるよ」
「は?」
その人が指差した方向に、明るい髪を派手に巻いたギャルに笑顔を振り撒く出井がいた。
ムカついたけれど出井の習性は分かってるし、ここで俺が怒るのは筋違いだろう。
突然呼び出したし、そのくせ大した話もしないし、友達の前でナンパしちゃいけない決まりなんてどこにもない。
「ね、俺一人なんだ。ちょっと一緒に飲まない?」
「いや、いいです」
「即答しないでよ。奢るからさ」
「連れが……いるんで、あっちに」
いる、と言おうとして、相手がその連れの行方を知っていることに思い至る。
苦し紛れに続けた言葉は彼の笑いを誘ったようだ。
「お友達が戻ってくるまでで良いから、ね?」
ひとしきり笑った後に、彼は目尻に滲んだ涙を拭いながら言った。
恥ずかしさといたたまれなさで、うまく断ることも出来ない自分に溜息が漏れる。
「じゃあすいません、ビールください」
こうなったらとことん奢られよう、と席についた。
彼は嬉しそうな笑みを浮かべてドリンクカウンターに向かう。
どうしてこうなった。
けどまあ、仕方ない。
出井が戻ったら即刻帰ろう。
そう決めて、女の子に熱心な出井の背中へ恨みを込めた視線を送った。
もちろん奴は気付かないんだけど。
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