「な、泊まってくだろ?」
ソファの足元にはビール空き缶がいくつも転がっている。
部屋の片隅で流れる軽薄な音楽。
だらし無く緩んだ顔を近付けてアイツは言った。
欲情している。
(俺じゃなくても良いくせに)
首筋にキスをしてくるアイツの頭を押し返した。
じゃれつく腕を振り払って立ち上がる。
緩く笑って俺は答える。
「ごめん、帰るよ」
今日は月が随分と近い。
それなりに飲んだはずなのに少しも酔えなかった。
アイツは今日もあの子を呼ぶんだろうか。
呼ぶんだろう。
あの子もきっと応じる。
そしてあの部屋で、あのベッドでセックスをする。
アイツの腕の中で眠るのか。
あの子の隣りで眠るのか。
たまたま俺はアイツと付き合うようになって。
あの日もアイツの部屋に行く約束をしていて。
午後の授業が休講になったから、いつもより早めにアイツの部屋に向かった。
俺が行くと大抵アイツは寝ていたから、いつものように合い鍵で部屋に入って。
見たことのない靴を見つけて。
部屋の奥から聞こえる喘ぎ声は、はっきりと情事の最中だということを示していた。
何も考えられなかった。
耳の奥で心臓がうるさく鳴っていた。
何も考えずに、俺は部屋から逃げ出した。
怒りも悲しみも無かった。
認識すら拒否していた。
混乱、していたんだろう。
何で?どうして?
何で?
理解が出来なかった。
気が付いたら自分の部屋に帰っていた。
アイツから電話がきた。
もう約束の時間は過ぎていた。
『どこいんの?』
「あー……まだ、学校」
『は?今日ウチ来んだろ?』
「え、あー、ごめん行けない」
『……なんで』
「あー、サークル、の、飲み会忘れてて」
『はぁ?お前ちゃんと連絡しろよなー』
アイツは笑ってた。
俺も笑った。
他の奴とヤっても、ヤった直後でも、俺のことは気にするんだ。
『飲み、終わったら連絡しろよ』
「心配してくれんの?」
『当たり前だろ』
一応お前の彼氏だし、と電話越しに聞こえた声が、とても遠かった。
一応、彼氏だし。
他愛もない話をしながら、そうかなら俺は浮気をされたんだな、なんて思った。
自分の気持ちも、どこか遠かった。
back