忘れられない人が居る。と、言ってもぼんやりと思い返すことがあるだけで、その人のことを思うと何もかも手が付かないとか、そんなたいそうな事じゃない。ただ、たまに思い出してしまうだけ。

「あ」

 駅前に出来た新しいカフェはその装いに似合わずガランとしていた。駅前はカフェ激戦区だ。昔からそこにある純喫茶が数軒と、どこにでもあるチェーン店がいくつもあって客を取り合っている。駅前のカフェはどこもかしこも時間を安く潰したい人間たちで溢れている。最も、それはチェーンのお店に限った話だったけど。
 昔からこの辺りには馴染みがある。学校から一番近い駅だったからあまり電車を利用する機会の無かった学生時代で一番利用した駅だった。学校へ戻る前に寄り道しようと言っていつも同じ純喫茶に入った。もう定年を迎えているであろうおじいちゃんマスターがいつもマグカップを磨いていて、同級生の喫煙に「私も煙草に手を出したのは君らくらいの歳だった」と笑って目をつぶってくれていた。私たち以外にお客さんは居なかった。おじいちゃんマスターの奥さん、おばあちゃんが作るプリンがすごく美味しくて皆揃って沢山食べた。一人で六つも食べてる奴も居た。その横でおじいちゃんのいれたブラックコーヒーを飲んでる奴も居た。私はコーヒーよりもクリームソーダの方が好きだった。いつもおじいちゃんがさくらんぼをひとつオマケしてくれたから。くだらない話をして、騒いで、私たちなりに青春を楽しんでいた。同世代の子たちとは少しだけズレた青春だった。でもそれが眩しくていつまでも私の脳裏にこびりついていた。
 学生の頃同級生と行った純喫茶は少し前に潰れてしまった。そこに新しいカフェが出来た。それだけの話だ。
 とぼとぼと馴染みある道を宛てなく歩く。別にここに用事はないのに、離れがたくて比べるように街を見回す。あの頃と変わってしまったけれど、面影だけはそう簡単に消えなかった。

 私の青春時代は呆気のない終わり方をした。というより終わりらしい終わりを迎えられなかった。青春の終わりはもっと離れがたくて、惜しみに惜しんで、大人になることが怖くて、過ぎ行くことが辛くて堪らないんだろうと勝手に想像していた。いや、今もそう思っている。今もまだ美しい青春時代を夢見ている。私の青春時代が思い描いていた終わり方を迎えられなかったから、青春時代と呼べる輝かしいものに憧れている。
 とは言うものの、私の青春時代はそこまで悪いものでもなかった。例えば授業中に皆で一緒に叱られたり、課題をぶつくさ言いながらこなしたり、放課後中身もなくだべったり、同じご飯を食べて夜更かしして雑魚寝して、朝起きたら並んで歯を磨いた。きっと何もかも、普通とは違った。なのに当たり前に恋もした。不釣り合いだと思うほど恋焦がれた。そうなることは普通だった。始まりから終わりまで、よく聞く流行りの歌にはそう簡単に語られない青春時代だった。
 私の青春時代の終わりの始まりは、同級生の離反から始まった。何も知らなかったわけじゃなかった。気づかないフリをしていた。そしたら全部粉々になった。
 楽しいことばかりじゃなかった。いつ死んだっておかしくないって毎日毎日考えさせられた。それでも私は私なりに学生時代を愛していた。私にしか謳歌できない、青春時代を愛していたのだ。
 通りかかったコンビニで足を止める。ここで駄菓子を大量に買い込んだっけ。金持ちの坊ちゃん同級生は駄菓子なんか食べたことなくって駄菓子の安さに本気で驚いてたな。庶民の私たち三人は好きな駄菓子で大盛り上がりして、彼を仲間外れにしちゃったんだっけ。結局好きだった駄菓子を大量に買ってその夜皆でパーティしたな。楽しかったな。
 凡そ私と住む世界の違う同級生とはいつも微妙に話が噛み合わなくて家柄はちゃんとギャップを生むんだなって感動した記憶が蘇る。全部が楽しかった。良くも悪くも素直すぎて、彼にとって良い悪いがはっきりしていて、そんな彼に親友だと認められていたことに有り得ないほどの優越感を感じていた。彼のテリトリーの中にいることに、いつの間にか特別感を感じていた。私にとって彼が特別だったからだ。
 身分違いを理解しても彼のことが好きだった。言わなかったけど。言えなかったけど。
 青春時代の終わりは鮮烈だったけど緩やかだった。同級生の離反を皮切りに緩やかに終わっていった。衝撃すぎてまるで世界が一転したように感じたけれど、私たち同級生の関係の変化は一歩ずつ歩むようなスピードだった。きっと、あの頃の大人たちだって私たちに少しずつ生じた歪みを知っていた。それでも問題とはしなかった。私達も問題だとは思わなかった。問題なんかなかった。少しずつ、少しずつ、今まで通りじゃなくなっただけだった。くだらないことでバカ騒ぎして、喧嘩して、大声で笑う。そういう当たり前だった幸せが薄れていって塵になった。
 二人揃えば最強だと豪語していた彼は、離反した同級生を殺せなかった。私はそんな彼に、どんな言葉をかけていいのか分からなかった。

 私は呪術師になることを辞めた。無論、高専はちゃんと卒業した。学歴だけはどうしても必要だったからだ。私はごく普通の一般人に戻った。会社に勤めて日々消費するように生きていた。別に楽しくもなかったけれど辛くもなかった。たった数年非日常を生きていただけだ。勿論今も見えるものは見える。見ぬ振りすることもあれば、ゴミを払うように祓ってしまうこともある。後から聞いた話だけど、後輩だった七海も呪術師を辞めたと聞いた。同級生だった他の二人は高専にまだ居るらしい。どれもこれも風の噂に過ぎないけど、あれから私の知る人が死んだという話が舞い込んで来ていないことだけは救いだ。
 随分と大人になってしまった。気がつけば普通の人らしく生きていくことも難しくなくなった。それでもこうしてあの数年間が脳裏にチラついてしまうのは、きっと私があの数年を愛していたからだ。
 忘れられない人がいる。初めて人を好きになった。その想いを伝えることはしなかった。大事なものをひとつ失って変わってしまった彼に、もし私が彼を失ったらどうなるのかと自分を重ねてしまったからだった。
 後輩が死んで、同級生が凄惨な離反を遂げて、私の生活は変わってしまった。死ぬのも、失うのも怖くなってしまった。大切だと思えば思うほど失う未来を想像してしまった。これ以上大切にしないように、私は逃げ出してしまったのだ。

「……暑いなあ」

 ぶらぶらと歩くには今日は暑すぎた。今朝の予報はなんと言っていたか。体感温度では三十五度を超えている気がする。日傘を持ってこなかったことに後悔しつつ、こんな日に黒い服を選んだことに私は馬鹿なのかと一人ごちる。そもそも用事なんかないのに思い出に浸って陽の下を歩いているあたり、私は暑さでどうかしてしまったのではないだろうか。
 はたと気づいて周りを見渡せばいつの間にか元いた場所に帰ってきていた。新しく出来たカフェは先程と変わらずがらんとしている。
 入ってみようか。暑いし喉も乾いたし。綺麗なまま大切にしていた思い出を、塗り替えてしまおうか。そうすることで何か変わるものがあるだろうか。

「おねーさん一人?」

 ぼんやりとカフェを見つめる私のそばに大きな影が一つ近寄ってくる。その声に徐に振り向く。

「……え」
「良かったらお茶しない? 超暑いしさあ〜」
「……うそ」

 ありえない程暑いのに黒いジャケットを首元までしっかり着込んで怪しすぎるアイマスクをつけた大男はヘラヘラと笑いながら言う。聞き覚えのある声も、見覚えのある髪色も、身に覚えのある身長差も、全部私を震撼させた。

「なんで?」
「あそこのクリームソーダ、美味しいんだよ」
「なんでここに居るの?」
「僕はあそこのプリンが好きでさあ〜」

 噛み合わない会話に苛立ちは覚えなかった。怒りよりも驚きが私を占めていた。会うことはもうないと思っていた。会いたいと思ってもいなかった。逃げた私は会っちゃいけないと思っていた。心臓は音を立てて私の血液を回す。
 疑問の言葉しか口から出てこない私に、あの頃と変わらず私を余裕そうに見下ろす同級生は何がおもしろいのかニコニコ笑っていた。

「別に、捕まえようと思えばいつだって出来たよ」
「え……?」
「とっ捕まえて、さっさと手に入れたって良かったんだけどさ。それじゃまたお前逃げちゃうでしょ」
「……何の、はなし?」

 茹だるような暑さなんか知りもしないような顔をする、些か説明不足な彼の言葉に首を傾げる。「ん〜?」なんて私の言葉に生返事をした彼は前触れもなく私の頭をくしゃりと撫でた。

「ウチの業界は人手不足が深刻なんだよね〜って話」
「……無理だよ、私」
「まあまあそう言わず、とりあえずお茶しよ」

 そう言って私の手を勝手に取って引く彼にされるがまま私の身体は引きずられて行く。昔皆で立ち寄った喫茶店はそこにない。他の同級生たちも居ない。私はもう、呪術師でもないのに。

「ちょ、ちょっと」
「気になってたんだよ」
「へ?」
「お前がどんな顔して生きてるのか」

 悟が私を引きずりながらアイマスクをズラして私を見る。昔なかなか直視できなかった青い目が私を映していた。ていうかそのアイマスクは流石に怪しすぎない? サングラスの方がマシだよ。

「……ま、僕の願った通りだったみたいだから万々歳だよ」
「……どういうこと?」
「勝手に居なくなった馬鹿の話……なんてね。こっちの話、気にしなくていーよ」

 悟は適当に笑って誤魔化した。気になることはたくさんあったけどきっと掘り下げさせてはくれないんだろう。悟はカフェの扉に手をかける。

「ここさあ、あのおじいちゃんおばあちゃんのお孫さんがやってんだよ」
「……そうなの?」
「そ。だからプリンもコーヒーもクリームソーダも同じ味」

「さくらんぼ、二つ乗せてくれるかもよ?」悟はそう付け加えて私に向かって笑った。悟が引いて開いた扉はカランカランと音を立てる。あの頃と同じ音がした。

エンドロールにはまだ早い
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