※生きてる/未来設定/同棲

「もういい、今日は硝子のとこ行く」
「私がそれを許すと思ってるのかい?」
「傑に許されなくても行くの」
「黙って行かせるわけがないだろう」

 喧嘩した。久しぶりに。それもすごく些細なことを起爆剤に、ものすごく大きく炎上した。
 傑の落ち着いた声や態度が余計に私を逆撫でて、私が悪いと分かっていても、今ここで謝る気には全くなれなかった。
 子供みたいに拗ね込む午後十一時。終電があるうちにこの家を出ようとした。仕事に使っている鞄を中身も確認せずにそのまま手に取って放り投げられていた上着を羽織る。今すぐここを離れられるなら、別にもう何だって良かった。

「こら。話を聞きな」
「やだ! 今は話したくないの!」

 夜中にばたばたと足音を立てながらリビングを出て傑の言葉も聞かずに足早に玄関に向かう。足が縺れそうになっても構わず足を進める。だって傑足長いし、すぐに追いつかれちゃうに決まってるから。
 履くのに手間のかからないパンプスに足を通して家の鍵に手をかける。ここまで来れば後は出ていくだけだった。

「いい加減にしな!」
「っ、」

 ドアノブにかけた手を大きな手で掴まれる。珍しく傑に怒鳴られた。あーあ、やっぱり追いつかれてしまった。「離して」とその手を振り払うも、今度は肩を掴まれて無理やり傑の方に身体を向けられてしまった。開けたばかりの鍵がまた閉められる音がして、ご丁寧にU字ロックまで掛けられる音。玄関の扉と傑に挟まれて行き場のない身体が居心地悪かった。

「何時だと思ってるんだい」
「……私子供じゃないし、まだ十一時じゃん。電車だって動いてる時間でしょ」
「門限は十時の約束だよね」
「……今は傑と居たくない」
「そうやって逃げ回っても解決にならないだろう」
「そうやって正論で殴って私の感情は後回しなとこが嫌」

 傑が正しいことを言ってるのはわかってる。門限については早すぎるでしょとまだ思ってるけど。話し合って解決するべきだってそんなことわかっていても、じゃあ今私の中に熱を籠らせたこの感情はどこに捨ててきたらいいのか。私は傑みたいに何でもかんでも余裕なわけじゃない。冷静に考えるためにも、この温度の高い感情を冷やしたい。でもそれは傑の傍じゃ出来ないから離れたい。一頻り愚痴を言って吐き出してしまえば、自分の悪いところを受け入れられる。そこまでしなきゃ冷静に考えられない自分が嫌だ。でもここで傑に当たるのも嫌だ。子供みたいなことを言って傑を困らせてる自分も嫌だ。だけど、それでも今傑と居ると、思ってもいないことを言いそうだから。既に今、少し零してしまったから。

「……私は傑みたいに、すぐに整理して受け入れられない」
「……」
「だから、傑に思ってもないことたくさん言っちゃう前に、硝子に愚痴全部聞いてもらう」
「……」
「そしたらちゃんと、傑にごめんなさいできるから」
「……」
「……私、そうやって生きてきたから。まだ傑みたいになれない」

 傑の厚い胸板をぐっと押して距離を取る。出会った頃からずっとそう、傑は同級生と思えないくらい落ち着いてて大人で、悟とくだらない喧嘩をしていたりしたものの、くだらないからこそ本気で喧嘩してたことも知ってる。大事な時に、喧嘩で終わらせてくれない。それが傑の良いところだった。だから好きだった。こんな喧嘩で簡単に嫌いになるわけないし、嫌われたくもない。でも嫌われることを言ってしまうかもしれない。今私は傑と話すべきじゃない。ヒートアップしてきっと良くないことを沢山言う。これは私なりの「大人の対応」だった。

「……はあ」
「……落ち着いたら帰ってくる。頭の血降りないとちゃんと話せる気がしない」
「駄目」
「……なんで? 硝子んとこ行くだけじゃん」
「君の言ってることはちゃんとわかってる。でも駄目なものは駄目。どうしてもって言うなら私もついて行く。それか硝子に来てもらって」
「意味わかんない何言ってんの」
「夜中に外に出したくないって話をしてるんだよ。わかるだろ?」

 傑に腕を引かれて再び距離が縮められる。せっかく距離を取ったのに、引っ張られるままに身体が揺れて、いつの間にかその腕の中に居た。そういう気分じゃない。今は何をされても心がざわつく。だから必死に身じろいで傑から離れようとしてもビクともしなかった。

「君が感情的な人間だってことはよく知ってるよ。そういうとこを好きになったんだから」
「……」
「後先考えず感情が身体を動かしてしまう。そういう勇猛果敢で危なっかしいところに何度も助けられたからね」
「……なにそれ」
「自分のことじゃないのに、自分のことみたいに必死で怒って悲しんで、なんのメリットもないのに一人で突っ込んで行ってしまう」
「……」
「君は確かに感情的になりやすい。それを自分で直すべきだと思ってもいる。だから自分なりに色々考えてくれたんだろうけど、そのやり方は許可できない」

 傑の言葉は私を宥めるようで窘めるようだった。いい大人になって日付も変わっちゃいないのに、外を歩くなだなんて私の親でも言いやしない。私をなんだと思っているのか。大事にされていると受け取れれば素直で可愛いのに、今の私は何を言われてもモヤモヤするばかりだった。だから嫌だったんだ。さっさと硝子のところに行って好きなだけ愚痴って、反省したかったのに。

「怒鳴って悪かったと思ってる。けど、私だって感情的になることはある。君は私をどこか勘違いしてるけど」
「……そうやって落ち着いて向き合われることも今の私の感情を逆撫でするの。だから嫌なの。こういう自分にもイライラするの。だから離して」
「そのお願いは聞けないって言ってるだろう?」
「なんで? 喧嘩が泥沼化するに決まってる」
「私が君を夜外に出したくないのも、門限に厳しいのも全部立派な理屈はないよ。これは全部私の感情論でしかないんだよ。わかるかい?」
「は……、?」
「私は君がどんな風に駄々をこねたってこれだけは譲らないし、このスタンスを変えるつもりも無い。嫌だからね。外に出すのが」
「……何言ってるの?」
「私の目の届くところに居てくれないと嫌だって言ってるんだよ。だから悪いけど硝子のところに一人で行かせられない。どうしてもって言うなら硝子を呼びな」

 真面目な顔で淡々と話し続ける傑に混乱する。また正論で殴られると思っていたのに、想像より理不尽というか、屁理屈というか、なるほどそうですか、とはならない理由で今私は怒られている。いや、そもそもこれは怒られているのだろうか。

「束縛野郎って思ったかい? それでいいさ、何とでも言ってくれ。嫌なものは嫌だから仕方ない」
「お、思っちゃいないけど……」
「わかって貰えたのかな? だとしたら嬉しいよ。とりあえず中に戻ろう。ね?」
「ちょ、ちょっとまってよ」
「もう喧嘩のことはいい。なんで喧嘩したかも忘れてしまったよ」

 傑が私のカバンを無理やり奪って強い力で肩を抱く。押し込まれるように部屋の奥へと連行されて、抵抗する間もなかった。一体なんの話をしてたんだった? なんでこんな話になった?

「ごめん全然頭がついていかないんだけど……」
「私は君のことになると頑固で感情的だって話だよ」
「だからそれがなんの話ってことなんだけど」

 傑に連れられてリビングのソファーに落ち着かされる。今私の中に渦巻いているものは圧倒的に疑問だった。ソファーに座る私の前に立って傑が私を見下ろす。大きい身体が私の上に影を作る。その顔はどこか穏やかだった。

「君は感情に左右されないことが大人だと思っているんだろう。そして私がそれに値すると考えている」
「……そ、うなのかな」
「そんな君に真実を教えてあげよう」
「真実?」
「恋なんて所詮、全て感情論なんだよ」

 傑の遠回しで難しい話し方は苦手だった。

「他人なら許せないことも、君なら許してしまう。理不尽に縛り付けて、閉じ込めておきたくもなる。なんでかわかるかい?」
「……なんで」
「好きだからだよ」

 私の座るソファーの背もたれに手をついて、片膝をソファーに乗せて傑が距離を縮めてくる。人肌を感じる距離に一瞬ドキリとする。傑はいつも通り優しく笑っていた。

「君が好きだってことにいくつも理由を紐付けてみるけど、そんなの全部が後付けなんだよ。だって既に落ちてしまってるんだから」
「……難しいよ」
「理屈も屁理屈も、良いも悪いも全部関係ないんだよ。何もかも好きだから、で片付いてしまう。ね、恋なんて所詮感情論だろう?」

 傑は私のおでこにそっとキスをした。優しく諭されるような口ぶりと、遠回しで難しい言葉にイライラが次第と消えていく。代わりにつもる疑問が私の頭を占拠していく。

「……それは私が感情的になりやすいことに関係ある?」
「あるよ。だってつまり、私のせいで感情を揺すられてるんだろう? どうでも良くないから、感情が動くんだろう?」
「……そう、だけど」
「おあいこってことにしよう。些細な喧嘩の仲直りの仕方は一緒に考えよう。君が出ていって反省すると言っても、私はそれは嫌だから」

 大きな手に頭を撫でられて髪が乱れる。視界を一瞬遮ってきた前髪に本能的に目を瞑る。ぱちぱちと瞬きを繰り返して再び傑を見れば今度は私の頬を指先で撫でた。

「……つまり、私が居ないと寂しいってこと?」
「ふふ、それでいいよ。それで君がここに留まってくれるなら、何でもね」

 流れるようにキスをする。喧嘩してたはずなのに、なんでこんなことになったんだっけ。傑は一体何をこんな必死になって私に説いているんだろう。全然わからないけど、傑が私を好きだってことはよくわかる。逆に言えばそれ以外はわからない。
 唇はすぐに離れた。目を開ければ目の前に傑が居た。

「君、実はとんでもない男に捕まってるんだよ。可哀想にね」

恋なんて所詮感情論だ
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