※夢本「#コンビニエンス・ユートピア」後日談
※これだけでも読めます
※モブ視点


 最近推しが結婚した。私の人生の最推しだった。正直病んだ。

 私の人生の最推し、その名も五条悟。これまで国民的アイドルグループを推してきた私が、まさかの祓ったれ本舗というコンビの芸人を推すことになるとは、数年前の私では到底想像もつかないことだった。祓ったれ本舗、通称祓本はメディアに出るや否や、そのキャラクターの濃さや漫才の尖り具合が瞬く間に人気を生んだ最強コンビだった。何よりもルックスがアイドルや俳優顔負けで何で漫才やってんだろうと何度も思った。いや漫才もキレッキレなんだけどぶっちゃけ顔面だけで食っていける。股下とか正直二キロくらいあると思う。あと声、声もいい。笑い声とか堪らないんですよ。出来ないことを数えた方が早いくらいなんでも出来るし、全然気取ってない。気取る理由がないし自信満々で一言多くてもなんにも気にならない。だって本当にすごいから。こないだバラエティ番組で無茶ぶりされ、今人気を博してるアイドルグループの新曲の振り付けを一発見ただけで完コピしたのは凄まじすぎて卒倒しかけた。元ドルオタの私を殺す気かと思った。私がプロデュースするから今からでもアイドルやろう。世界狙えるよ。いやでもうちの推しこんなに凄いのにアイドルなんかにしたら二度と生で拝めないかもしれない。今だって会えないし。コンサートなんかやったらチケット取れる気しないしやっぱり一生今のまま居よう。どこまでもついていくよ。
 違う、話が大きく逸れた。取り乱した。そう、推し、推しが結婚した。つまり五条悟が結婚してしまったのだ。
 遡ること数カ月、その日は突然訪れた。推しのスキャンダルが朝イチで流れた。相手は人気女優。そのニュースを見てそのあと仕事どころじゃなかったのは言うまでもない。正直同じ時期に人気を高ぶらせた二人だったから、共演も多かったし共通点もあった。慌てて女優のSNSを見たら匂わせかと思うほど似たような持ち物が見つかったり、似たようなタイミングで同じような呟きがあったりしてこれは黒だと思った。あの日私は一度死んだ。そしてその日ははじめて悟がSNSを一度も更新しない日になった。その事実だけで心も死んだ。
 推しの言葉で否定して欲しかった。いやでも推しの幸せを祝えないオタクなんて……という気持ちもあった。しかしながら推しの幸せを祝う気持ちと切なくて苦しい気持ちは相反しないと思う。両方持ってていいものだと思う。だから悟の幸せを祈れるように一日溺れるように悲しんだ。立ち直ったらもう一度悟を一生懸命推すために。頼むからこの人気女優が世界一いい女であれと思いながら。
 ところがどっこい、スキャンダルが報じられて二日、なんと事務所から出た声明文は「事実無根」だった。そう、つまり悟とあの女優は付き合っていなかった。結婚秒読みなんて報じられていたくせになんてことだ。しかしこの声明文を信じていいのかもよく分からなかった。私は悟の言葉で本当のことが知りたかったのだ。だって事務所ってすぐ良いように隠す気がするから。
 悟のSNSが更新されないまま、私は事務所の声明文を見た同担界隈、そして相手方の女優のファンの人々、それから全く関係ないくせに祝ってやれないオタクにあたりのキツイ外野の呟きを右往左往、情報収集と傷の慰め合いに徹していた。何してんだろうと思ったけど推しのために働き推しのおかげで生きている私にとってこれは生存本能と言えた。何よりSNSで言いたいことをなんでも言いプチ炎上もへっちゃらな悟が黙っていることこそ全てを肯定しているように見えてしまってならなかったのだ。
 声明文が出たその日の深夜、私は寝る前のルーティンになっている悟のSNSのチェックと同担たちの呟きチェックに勤しんでいた時、事件は起きた。

『お前らのせいで俺のプロポーズ台無しなんだけど』

 数日ぶりの悟の呟きは一斉に拡散されバズりにバズり、トレンドを独占し、界隈を震撼させた。私はここで二度死んだ。婚姻届のようなものを書いている女性の手が写った写メに、私はもう混乱してその夜眠ることができなかった。
 翌日、悟の事務所から新たに出た声明文は「五条悟は一般人女性と婚約した」というものだった。取り急ぎ行われた記者会見では一連のスキャンダルについて、そして急な婚約に至った理由が語られ、悟はずっと私たちに全く勘づかれることなくそのお相手の一般人女性と長く付き合っていたことがわかった。それこそ私が悟と出会うよりもずっと前から、悟はただ一人を愛していたらしい。私はその日仕事を休んだ。そしてそれから二ヶ月と少しして、悟は無事に籍を入れた。悟はその日もSNSで「世界で一番幸せにしてやるわ」と呟き、その呟きにはでっかい花束に隠れてほとんど見えない、恐らく奥さんの写真が添付されていた。その呟きもありえないくらいバズった。
 大前提として語っておくけど、私は悟の結婚に対してマイナスなイメージは一切ない。結婚したからと言って担降りする気はサラッサラにない。今日も今日とて悟のことが世界で一番好きだ。推しが愛する人と一緒になれたことは喜ばしいことだと思う。同時に虚無感はあったもののそんなものは簡単に塞がった。何故ならば結婚したあとの悟の供給が凄まじかったからだ。

 私の推し、五条悟はそのルックスや言動から長らく「遊び人」の肩書きを欲しいがままにしていた。ぶっちゃけ私も悟は遊んでると思っていた。遊んでても仕方ないくらいのポテンシャルだったから。しかし今更になってよく考えればどれもこれも根拠の無い噂話にしかすぎなかった。悟がスキャンダルされたのはあの一件だけで、悟が良くない理由でトレンド入りするのはいつも過激な言葉で正論パンチを連発している時だった。悟は芸能人と噂になって真相を問われればすぐに引用して否定し、加えて要らないことを言って相手を怒らせていたくらいだ。
 私も周りも皆、悟の結婚で悟という人間の見方が大きく変わった。根拠もないのに勝手に思い込んで決めつけていたことを恥に恥じて担降りしようかと思った。降りれなかったけど。勿論担降りした人も沢山居た。それも悟への愛情の形だと思うからそれでいいと思う。振り返れば悟はずっと、本当に奥さんを大事にしていたんだろうと思う。
 結婚してからの悟は隠す必要がなくなったためか、聞かれればぺらぺらと新婚生活について語ってくれた。しばらくはバラエティに呼ばれればプロポーズのことや結婚後の生活について問われ、好き放題答えては傑に頭をはたかれていた。悟の生活は本当に幸せそうだった。
 奥さんとの馴れ初めは実家が近くて幼馴染だったらしい。悟は有名な進学校、超難関大学を卒業していることはファンに限らず頭脳派芸人としても有名だったので皆が知っていたけど、話を聞くに高校と大学は違ったらしい。幼い頃から一緒に居て、何時から好きだったのかと聞かれたら「覚えてねーくらい昔」とどこでも答えていた。いつから付き合ってたのかと聞かれたら「中学卒業する時」と答え、どっちから告白したのかと聞かれれば「俺」と切り捨てるように答えていた。誰も悟の彼女については知らなかったらしい。なんなら二人の両親にも話していなかったらしい。悟の学生時代を知る人は高校で出会った傑とばかりつるんでいて、女の子と一緒にいる所はあまり見たことがないと皆が口を揃えて語っていた。傑もそれを肯定していた。悟はずっと、彼女の存在を周りに語らなかった。なるほど、通りで悟の母校の先輩やらが奥さんについて影も知らないわけだ。悟の性分なら彼女が居ることを言いふらして自慢してもおかしくないと思っていたけど、悟曰く「いい女は隠したくなる」らしい。その発言に傑は「とかなんとか言ってるけど、彼女がいじめられたりしないか心配だったんだろう?」と補足していた。うちの推しは自分の価値をよくわかってる。違いないわ、悟を巡って女の醜い争いが起こるのが私には見える。それを防ぐための徹底的な管理体制、恐るべきストイックさ。私の推しは完璧を具現化したような男だな。親にも言ってなかったとかある? 私が仮に奥さんの親ならある日結婚相手に五条悟を連れて来られたらひっくり返って泡を吹くわ。いくら幼い頃同級生だったと言ったって、一体何年前の話よ。ていうか改めて思うけど十五、六で付き合いだした彼女と今まで続いてたってヤバすぎない? 干支一周すんじゃん。マジ愛でしかなくない? おめでとうすぎる。
 無駄話も混じったけれど、かくして悟は見事、長年付き合った彼女を隠し通したままフィニッシュを迎えたのだ。これは完全に私の一個人的感情にすぎないけど、美人の女優と結婚されるより、私たちの知りえない幼馴染の彼女と結婚される方が心穏やかだった。だって誰にも入り込む隙間ないじゃん。同業者と結婚する有名人は離婚するのも早かったりするし、お相手が幼馴染と知らされた時に悟は絶対幸せになるなと確信した。にしたって悟と幼馴染とか、一体前世で何したん?

 結婚後の悟は何かに許されたように奥さんの話をするようになったため、私たちファンの間ではまだ見ぬ奥さんの解像度だけが上がっていく。唯一悟の奥さんと会ったことがあるらしい傑曰く、悟の奥さんはとても綺麗な人らしい。でも悟は奥さんのことを「世界一可愛い」と言っていた。綺麗なんか? 可愛いんか? どっちやねん……。
 悟の惚気っぷりは想像を超えていて、これまで遊び人等と噂されていた男とは思えない程だった。悟のSNSには専業主婦になったらしい奥さんとの新婚生活について呟かれるようになり、時折奥さんがしでかしたドジっ子エピソードなんかも投稿される。これまで傑の話と趣味の話ばっかりだったのに、と皆驚いていたがひた隠されていた真実が公になっただけだった。悟はきっと、ずっとこの人とたくさんの時間を共有していたのだ。同棲を挟まず結婚してから一緒に住むようになった悟はまだたまに奥さんに生活について怒られることがあるらしい。怒られる度に何かお詫びを買って帰っていて、たまに何がいいかを皆にSNSを通して聞いたりしている。それが喜ばれたかどうかを見守るのが最近の私の楽しみだ。
 悟は結婚してからぐんと人気の幅を伸ばした。良い旦那さんになろうと頑張る悟を、皆が見ていたからだった。そんな悟を見ていて、私は少しずつ誇らしくなっていった。悟が奥さんの話をする度に、奥さんのことが大好きな悟は本当に素敵だと胸が締め付けられる思いだった。奥さんの素性はまだ誰も知らない。でもきっと悟が大好きな人ならきっと素敵な人なんだろう。謂れもない「遊び人」の肩書きを欲しいがままにしていた推しは、今じゃ「愛妻家」芸人の肩書きを得ている。まだまだ旦那さんとしては勉強するところが沢山あるだろうけど、そのあたりは奥さんが一緒なら大丈夫だろう。私奥さんのこと悟越しにしか知らないけど。今度トーク番組に呼ばれればいいな。愛妻家芸人として。

 悟が結婚してから肌身離さず身につけられている左手薬指が、一等眩しく感じた。
 あーあ、推し結婚しちゃったんだなあ。まあ、担降りとか一生無理だから、嫁ごと推すかあ。

推しの結婚
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