※夢本「世界一、首ったけ。」収録、サンプルであげていたお話
※これだけでも大丈夫




僕には一日の最初におはようと言って、一日の最後におやすみと言う人が決まっている。

「おはよう、悟くん。」

「…ん、おはよ…」

薄く瞼を開けたらベッドの傍にしゃがみこんで、毎朝僕のことを見つめて起こしてくれる人。
間違いなく昨夜この腕に抱いて寝たのに、次に目が覚めたら彼女はとっくに着替えて美味しそうな匂いを纏って現れる。彼女の匂いとは違う、朝ごはんの匂いだ。

「もうちょっとしたら、朝ごはんだよ。起きて欲しいな〜」

「…ちゅーしてくれたら、起きよっかなあ〜」

「ええ、うーん…起きてくれたらちゅーしてあげるよ」

「じゃあ起きる」

彼女の上目遣いに目も醒めてしまう。彼女と二人で並んで寝るために選んだベッドからそそくさと起き上がって彼女の居る所まで這い出ていく。彼女がちゅーしてくれるって言うんだから、起きないワケない。チョロくて結構、僕は僕にとって価値あるものに対しては努力を惜しまないんでね。
彼女は近づいてきた僕にくすくす笑って立ち上がると僕の頭を撫でて、両手で僕の頬を包んだ。小さい手は少し冷たい。ベッドに座ったまま彼女を見上げると優しい目で僕を見ているものだから、なんだか胸のあたりがぎゅっとした。

「今日も可愛いね。」

「悟くんもかわいいよ〜」

「君にはどーやってもかないっこないよ」

多分世界中の誰もね。そう心の中で付け加えて、彼女のために目を瞑る。僕は彼女とキスをする時、彼女のことを見ていたいんだけど、僕が目を開けてると彼女は絶対キスしてくれないから。
キスするって行為に変わりはないのに、僕からするのと彼女からしてくれるのとでは、何かが違う。どっちも大好きだけど、彼女からしてくれるキスはなんだかくすぐったくて愛しくて、特別に感じる。それは日頃彼女からしてくれることが多いわけじゃないからかもしれないけど、唇を合わせるだけの行為に、こんなに熱心になれるのだから恋とか愛とかってやつは末恐ろしいものだと思う。
目を瞑ったまま、今か今かとその瞬間を待ち望んでいるこの一瞬だって、びっくりするほど楽しくて堪らない。
彼女の存在がこんなにも僕を喜ばせるんだから、きっと彼女なしじゃ生きていけなくなってしまう。そんなことを本気で思うくらい、僕は彼女に惚れている。
とんでもない人だよ。僕をこんな風にさせるんだから。

「ん、」

合図なく唇が触れて、柔らかい感触に胸が踊る。僕の頬に彼女の髪が一瞬掠めて、その存在の近さを感じる。
薄く目を開けば彼女の睫毛が見えて、焦点なんか合ってないのに可愛くてどうしようもない。そっと腕を伸ばせば簡単に彼女の身体に触れることが出来た。するすると身体に沿って手を滑らせていけば彼女の着けてるエプロンの腰紐が手にあたって、彼女の細い腰をぐっと引いて抱き寄せた。
僕の膝に跨るように抱けば大人しくされるがまま収まってくれる。彼女は僕よりもうんと小さいから、僕に抱き込まれてしまうとキスするにはちょっとだけ背が足りなくて、僕を見上げる形になる。体勢が変わったことに合わせて彼女の唇は僕から離れていってしまったから、今度は僕から触れるだけのキスをした。ちゅ、とわざとリップ音を立てれば彼女はぴくりと震えた。

「ん…ふふ、悟くん大好き」

「僕もだ〜〜〜〜いすき、今日もとっても愛してるよ。」

唇が離れると彼女はふにゃりと笑って僕の首に腕を回して抱きついてくる。寝起きに香った朝ごはんのいい匂いじゃなくて、ふとした時に傍に感じる彼女の匂いでいっぱいになる。密着した身体は暖かくて、彼女は今ここに生きているんだな、なんて大袈裟なことを思う。
あーあ、ちょー幸せだな。僕のお嫁さん、めちゃくちゃ可愛いや。

「着替えてお顔洗ってきて。ご飯の準備しておくから!」

「うん、ありがと。今日の朝ごはんなに?」

「ないしょ!」

ないしょ、だって。可愛すぎない?可愛すぎて吹き出して笑っちゃった。
離れ難くて彼女のおでこにキスをして、悪戯心が抑えきれずに綺麗に結ばれているエプロンの腰紐を解いてやった。

「!あ、こら。いけないんだ!」

「僕としては朝ごはん、かーわいい僕のお嫁さんでもいいんだけどなあ〜?」

「っもう!またそんなこと言って〜…!!」

「だって美味しそうなんだもん」

「せっかく作ったのに、いらないなら知らないもん!」

「あははごめんってば」

彼女が僕の膝から飛び退いて後ろ手に腰紐を結び直しながら寝室を出ていってしまう。彼女の残り香がふんわり香って頬が緩む。
怒らせたかな、いや多分大丈夫。彼女の作った朝食にありつくために僕もさっさと支度しよう。今日の朝ごはんは何かな、昨日は彼女特製のおにぎりと甘い卵焼きだったから、今日はお米じゃないだろうな。彼女、僕には勿体ないくらい凄い奥さんだから今日もすごく美味しい朝ごはんが待ってるんだろう。
そんなことを考えながら顔を洗って歯を磨いて、着替えて身だしなみを整える。ずっと彼女のことを考えながら一日が始まる。結婚とかそういうものに執着する方では正直無かったけど、彼女に出会って恋に落ちてからは彼女と結婚したいと思って強い憧れさえ抱いた。結果として、憧れ以上のものを手に入れたけどそれら全ては彼女のおかげでしかなくて、彼女だから欲しいと思ったし、彼女だから今こんなに満ちているのだと思う。
毎晩よく眠れるのも、毎朝起きるのが辛くないのも、彼女が居るから。人は恋をして変わるとか、結婚すると変わるとか、良くも悪くも実際そうなんだと思う。僕も多分、変わった。

「わ、いい匂い〜」

適当に身なり整えて彼女が居るキッチンを覗く。
一緒に暮らす家を探してたとき、彼女からたった一つだけ希望のあった広いキッチン。「使いこなせるように頑張るから」とねだられたのをよく覚えてる。そんなの僕が聞いて喜ばないわけないよね?これから沢山彼女が料理してくれるつもりでいるのが言われなくてもよく解って嬉しくて、そういうことならと思って大きなキッチンルームの部屋を提案したらめちゃくちゃ却下された。僕が持ってきた物件は彼女の思う大きなキッチンより三倍くらい大きかったらしい。ウケるね。まあ確かにデカけりゃいいってわけじゃないし、ちょっと舞い上がりすぎてたよね。彼女の希望の通りのキッチンかつ、彼女がキッチンを使うのに邪魔にならない所で見てられるようにカウンターが欲しかった僕の希望が両方叶う、この家を提案したときも彼女はキッチン以外も立派すぎるなんて色々言ってたけど、ご希望だったキッチンは理想的だったらしく悩み抜いてここにした。今じゃもう完全に彼女のテリトリーだ。彼女が使いやすいように色んなものが並んでいて、綺麗に片付けられている。
僕の家だけど、僕だけの家じゃない。僕の知らないうちに色んなものが増えていく。僕の家だけど、僕が勝手に手を加えられない場所がある。それがちょっと嬉しいなんて知らなかった。
彼女の背に合わせた全部が僕には少し低くて、彼女の持ちやすいように合わせたもの全部が僕には少し小さい。それら全て愛おしい。

「なんか手伝える?」

「ううん、悟くんは座ってて!」

彼女に背を押されてダイニングに押し込まれる。毎日僕の予定に合わせて朝起きて、僕のために毎朝違う朝ごはんを用意してくれる彼女は今日も朝早いというのにすごく楽しそうだった。今日は何だかとっておきの悪戯を秘めているような表情だ。
今日は僕が喜ぶ献立なんだろう。匂いと、彼女の表情で何となく解る。
今日も手伝うことを許されずダイニングテーブルの僕の椅子を引かれる。「今日もありがとう」と彼女の頭を撫でて大人しく椅子に腰掛ける。彼女は僕ににっこり笑いかけてまたキッチンに消えていってしまった。別にこうしようと決めた記憶はないのに、一緒に暮らしだしていつの間にか僕の椅子はこっち、彼女の椅子はその向かいと決まっていた。僕の座る場所には既に毎朝用意されるフルーツジュースがグラスに注がれていて、色を見るに今日はリンゴだ。今日彼女が選んだプレースマットは華やかな赤いチェック。その上にはフォークとナイフ。匂いから察しても今日は洋食だなと思っていたけど、ナイフか〜。
もう間もなく目の前に現れるであろう朝ごはんをあれやこれやと想像する。正直なところ、匂いである程度予想はついてしまっているけど、考えるのが楽しいからいいんだ。

「はい、お待たせしました〜!」

両手で大きなトレーを持った彼女が満を持してダイニングにまた現れる。すごく楽しそうな声色が心地よい。彼女はトレーをテーブルにそっと乗せた。

「わ、ホットケーキだ!」

「えへへ、上手に焼けたよ〜」

お皿には均等に焦げ目のついた綺麗なホットケーキとバター、その横には小さいカップにいくつかフルーツが混ざったヨーグルトが一緒に盛ってある。彼女が僕の前に置いたお皿には少し大きめのものが三枚、もう一方、彼女のお皿には小さめのものが二枚。一気に甘い匂いが立ち込めて食欲を刺激される。

「朝ごはんにホットケーキって、夢あるね〜」

「ね、小さい頃憧れたよね!」

彼女が僕のホットケーキにメープルシロップを垂らしていく。少しずつ艶を帯びていく魅惑の円形に、アラサーになったってわくわくする。
彼女がホットケーキを作ってくれるのは初めてではないけれど、頻繁に食卓に並ぶものでは無い。それも朝ごはんに出てくることは思い返しても一度あったような気がする程度だ。ホットケーキよりはフレンチトーストの方が朝の登場率は高い。

「珍しいね、朝ごはんにホットケーキ」

「…は、もしかして嫌だった…?」

「まさか!僕の反応見てそれ言う?僕ご機嫌だよ?」

「良かった〜!」

彼女は一瞬やってしまったと言わんばかりに顔を青くしたけれど、僕の言葉に簡単に表情を綻ばせた。僕の言葉一つで色んな可能性を導き出して僕を気遣った言葉をかけてくれる。優しいなんて言葉では片付けられないくらい僕は彼女に想われてるんだと思う。
彼女が僕のものと彼女のもの、両方にシロップをかけ終えるとエプロンを外して、それを彼女が座る椅子の背もたれに掛けてから座った。

「悟くん、今日からちょっと忙しいって言ってたから」

「え?」

「朝ごはん、ちょっとでも元気がでるものがいいな〜って」

どうかな、と彼女が僕を不安げに見つめて首を傾げる。僕は彼女の言葉に思わず呆けてしまった。
そう、確かに彼女の言葉の通り今日から僕は少しの間仕事という仕事が立て込んでいる。任務や可愛い教え子たちのことで帰りが遅くなる日が続きそうだと数日前に彼女に、確かに言った。でもそれは単純に家のこと殆ど全てをやってくれている彼女に要らぬ手間をかけてしまったりしないように、前もって分かっていることは伝えたというだけで、忙しくなるからどうして欲しいとか、そういう話をしたわけじゃない。

「……はあ〜〜〜……」

「さ、悟くん…?」

「…ありがとう…大好きだよ…」

「?う、うん…?私も大好きだよ…?」

大きめのため息を吐いて頭を抱えた。やっぱり僕のお嫁さん世界一だと思う。
僕は彼女が僕のために用意してくれるもの全部が大好きだし、毎日ご飯美味しいし今日の朝ごはんがどんなものでもご機嫌だったと思うけど、僕の好みから朝ごはんを考えて、僕を元気づけようとしてくれてることが最強に嬉しい。
めちゃくちゃ元気出た。朝彼女に起こして貰えた瞬間からめちゃくちゃ元気だけど。僕今なら多分なんでも出来るよ。

「…食べてもいい?」

「うん!召し上がれ!」

彼女と一緒に手を合わせて頂きますをする。早速フォークとナイフを手に取ってバターをホットケーキに滑らせてナイフで食べやすい大きさに切る。切り分けられたふわふわの生地の間にメープルシロップが流れ込んでいく。なんかもう食べなくても美味しい。大袈裟で結構、お腹より先に胸がいっぱいになっちゃったから仕方ない。

「…んん〜美味しい!」

「ほんとう?」

僕が口に運ぶまでじっと僕を見つめるだけだった彼女がパッと花が咲くように笑う。
毎日色んなものを沢山作ってくれるのに、毎日毎食僕の反応を不安そうに窺うんだからいじらしくて堪らないな。君のご飯が僕の口に合わないなんてないのに。君が作ってるんだから全部美味しいよ。
彼女は僕の反応を見届けて、ようやく自分のお皿に手をつけだした。

「いや〜どうしよ、今日は絶好調な気がする。元気出すぎちゃった。」

「…へへ、喜んで貰えたなら良かった!」

「わざわざありがとうね」

「ううん、悟くんのこと一番応援してるのは私だからね!こんなのお礼を言われる程の事じゃないよ!」

ぐっと握り拳を作って、彼女は強気な表情で言って見せた。すごい頼もしいな、こんな可愛い子が僕のこと応援してくれてんの?うっかりやりすぎちゃいそうなくらい可愛い。
なんで僕こんなにこの子に愛されてんだろ。たまに幸せすぎて疑問だよ。
朝ごはんを口に運んでいく僕を見ながら楽しそうににこにこと笑って、彼女が僕に確かめるように「おいしい?」と聞いてくるから「吃驚するくらいめちゃくちゃ美味しい」と素直に返せば「愛情を沢山詰め込んだ甲斐がありました!」と嬉しそうにまた笑った。

「…なんでそんなに僕を喜ばせるのが上手なワケ…?」

「え、ええ…?」

朝からフルスロットルで可愛いを爆発させてくる彼女に思わず真顔で問いかけてしまった。いや、僕は真剣に疑問に思ったから聞いたんだけど、彼女は僕の反応に驚いたのかさっきまでノリノリだったのに困ったように苦笑いをした。

「う、うーん…悟くんが大好きだから、かな…?」

「…ハ…?」

「喜んで貰いたいなって、いつも思ってるから…?とか…?」

彼女は僕の問いかけに顎に手を当てて必死に考えを絞り出したように言う。言い終わったあとにちょっと恥ずかしいね、と付け加えて照れ笑いした。可愛すぎてもはや頭痛がしてきたな。

「…僕、幸せすぎてどうにかなっちゃうよこんなの…」

「へへ、喜んでくれてるなら嬉しいなあ」

「…今日仕事行くのやめよっかな…」

「なんで!?」

だってこんな可愛いお嫁さん、お家に置いて仕事に行くなんて馬鹿馬鹿しくなってくるって。
あーあ、僕のお嫁さん今日も世界一可愛いや。

おはよう世界、最愛をはじめよう。
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