「傑には向日葵がよく似合うね!」

 眩むような暑さ、人が暑さを理由に死ぬのがよく分かるくらい、今日は酷暑だった。少しでも暑さを紛らわせようとしたのか、幼馴染が水場に掛かっているホースで遊びだしたのを花壇の端に腰を掛けて見ていた。彼女が投げ捨てた上着を丁寧に畳んで、ホースから飛び出る水飛沫を浴びる彼女を見ているだけで暑さが和らぐような気がした。とはいえ、ずぶ濡れになった彼女を見ているのは些か目に毒だったけれど。今日はイエローのキャミソールか、と透けたワイシャツを見て頭を抱えたくなった。人が来る前に辞めさせて、さっさと寮に帰して着替えさせなければ。
 どれだけ私が根気よく面倒を見たところで、彼女の無鉄砲さはそう簡単には直らない。もう十年以上一緒に居るのだ。こうして水場で勝手に水浴びを始めてしまうことだって初めてじゃない。いつもなら悟が一緒になって大騒ぎをしている所だが、今日悟は朝から任務に出ていて居ない。そのためか、今日はまだ慌てるほど危ないことは起こっていなかった。
 元々幼馴染としてずっと近くに居たけれど、高専に来てよりいっそう同じ時間を共有することが増えた私たちの距離は、幼かった頃より更に縮まった気さえする。
 もう何も、知らないことはないんじゃないか、そう勘違いさせてしまうくらいに。

「向日葵? 私に?」
「うん!」
「……逆じゃないかな、君の方が良く似合うと思うけど」
「傑の方が似合う!」

 ホースからじゃぶじゃぶと水が溢れて、既にずぶ濡れの彼女を伝う。楽しそうに笑う彼女は、時折ホースの口を潰して水の勢いを楽しんでいた。ふと私に向かって振り返り、じっと私を見た彼女はまた突拍子もないことを言った。
 私が腰をかけた花壇、私の丁度真後ろに咲いている大輪の向日葵を指さして彼女はさらに眩しく笑う。濡れた髪から滴る水が彼女をより輝かせた。

「こういう可愛い花は私には不釣り合いじゃないかい?」
「どうして?」
「どうしてって言われてもね……」

 今ここに悟が居ないことを少し安心した。こんな話、悟が聞いていたら息を切らして笑っただろう。
 いざどうしてか、と聞かれると返答に迷った。向日葵は夏に咲く花で、確かに私の名字は夏油、夏繋がりと言われればそれまでだけれど、明るく眩しく、青空の良く似合うこの花は断然彼女向きだろう。
 考えたことはなかったけれど、彼女には向日葵がとても似合う気がした。大きく口を開けて笑う彼女に、大輪の向日葵は世界一似合うだろう。大きな花を両手いっぱいに抱えて、楽しげに日差しの下で笑う彼女は想像に容易かった。
 想像しただけなのに、何故か堪らなく彼女が儚く見えた。

「似合ってるっていうか、似てるのかもしれない!」
「……似てるって、私と向日葵が?」
「うん!」
「……ごめん、流石の私もちょっと何を言ってるのかわからない」

 ホースを片手にぐしょぐしょになった靴と靴下を脱ぎ捨てた彼女は、私に向かって飛び跳ねるように近づいてくる。あーあ、今日は洗濯が大変そうだ。泥まみれになってしまった靴下を見てそう思った。

「真っ直ぐ生えて、大きいところとか!」

 彼女が私の傍に立つと私に小さく影が落ちる。影の大きさだけでも十分彼女の小ささはわかる。彼女を見上げることはここまでの人生でそう多くはなかったな、と逆光の下で見つめてふと思った。
 ぱしゃぱしゃとホースから止めどなく溢れる水が少しずつ私たちの足元に水溜りを作る。地面から跳ね返ってくる水飛沫が、私の制服を控えめに濡らしているのがその冷たさで分かった。

「ずっと前を見てるところとか!暖かいとことか!」

 屈託なく笑う彼女の言葉に時が止まったような気がした。
 ぽたぽたと彼女の髪から、顎から、睫毛から、零れ落ちるように滑っていく水滴が私を濡らす。真っ直ぐ生えて大きいだとか。ずっと前を見ていて暖かいだとか、私はそんなに出来た人間じゃないよ。そういう風にあるべきだと思って見様見真似に生きてきただけだよ。そう言えなかったのは、彼女にそう思われて居たかったからかもしれない。
 ぼんやり彼女を見ていたら「ね、そっくりだね!」と彼女は付け加えるように言って私の手を引いた。

「っ、こら、あぶないだろう?」
「傑は向日葵だね!」
「……そんなことを言うのは君だけだよ」

 彼女に手を引かれながら、ばしゃばしゃと音を立てて彼女が作った水溜りを駆ける。これだけ濡らしたって、きっと一時間も経たずにこの水溜りはカラカラに干からびてしまうのだろう。
 今日は雲ひとつない晴天、彼女によく似合う青空が眩しい日だから。
 私の手を引いて水場に戻った彼女は、手にしていたホースを目一杯掲げた。彼女の手にぐっと力が入るのが見えたと思ったら、勢いを増した水がシャワーのように降り注いだ。

「私だけ知ってたらいーよ!傑は向日葵だって、私しか知らなくていー!」

 彼女はとびきり笑ってみせた。降り注ぐ水滴が一粒一粒光を吸って輝く。虹でも掛かりそうなくらい鮮やかに見えた。
 いつもそうだった。彼女が笑えばどんなこともどうでも良くなってくる。彼女の笑顔には不思議なパワーがあった。この世の悪いものなんか全部焼き尽くしてしまいそうなくらい、とびきり眩しく笑う。憂いも悩みも全部焼かれて小さくなって最後は灰になって飛んでいってしまう。彼女の笑顔に照らされてしまえば最後、吹き飛んで浄化されてしまうに違いない。そう思わせるだけの何かがあった。
 その笑顔に何度も何度も助けられて、救われて、身を焦がしてきた私を彼女は知っているのだろうか。

「……向日葵か。そうだね、そうかもしれない。それなら君が太陽かな」

 私が向日葵に似ているというのなら、君が太陽なんだろう。向日葵は太陽に向かって花を開いているらしいから。君が太陽だと言うのなら、私は向日葵で間違いないだろう。目を離せないくらい眩しくて、目を逸らせないほど輝いて、愛しくて放っておけない。私の心をいつの間にか焼き焦がしていることにもきっと気づいちゃ居ないんだろう。なんて罪深い太陽なんだ。手が届かないくらい高いところで、私を照らし続けてさ。誰にだって優しい君が、私にだけ微笑んでくれることはないだろうに。君をただ見つめる私に気づいているのなら、もうさっさと楽にしてくれたらいいのに。私が向日葵で、それなら君は太陽で、そんな君によく似合う花は向日葵で。ただそれだけのことに浮かれている私を君は気づいちゃ居ないだろう。
 彼女が私の太陽なんだって、今更気づくだなんて馬鹿みたいな話だ。当たり前にあり続けた存在が、特別であったことを人はいつも後から知る。太陽がそこにあり続ける特別さを、当たり前だと思っている。愚かな生き物だ。いつまでもその頭上に太陽が昇ってくると信じている。いつ誰に太陽を奪われたっておかしくはないのに。
 ちゃんと分かっていたから、その手を離さず隣に居たのに。彼女が私の太陽だなんて当たり前のことに今更気付かされるなんて。

「私が太陽かあ じゃあこんなに暑いのは私のせい?」
「ふふ、そうなるかもね。ほら、そろそろ寮に戻ろう」

 何年一緒に居たって、いまいち掴みどころのない彼女のことを全部知ったような気になっていた。
 紛れもなく、私のことを虜にしているのに。私だけ知ってたらいいなんて、独占的な殺し文句を容易く吐いてさ。そうやっていつも私を振り回すんだ。私の想像を超えた言葉で、行動で、私を滅茶苦茶にするんだ。
 私なんかに、君の全てを知ることはきっと出来やしないんだろう。だから眩しくて堪らないんだろう。手が届かないものほど、美しく見えるとはよく言ったものだ。

「……知ってるかい? 向日葵は太陽に恋をしているから、太陽を見上げているんだって」

 それならいっそのこと、その眩しさで焼き尽くしてくれないか。
 きっとこの夏の暑さも、空の青さも、君の前には跪くから。

向日葵は太陽を知る
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