なんだか無性に、泣きたくなった。

こんな風に一緒に歩くのはいつぶりだろう。
そこの角を曲がれば、義勇さんのお屋敷まではすぐだ。
義勇さんの隣をのんびり歩く。義勇さんはきっといつも、私の歩く速さに合わせてくれてるんだと思う。そう思うのは私ができるだけ一緒に歩きたくて、義勇さんのところに向かうまでのの道のりよりもずっとずっとゆっくり足を進めてしまうから。優しい人だと、いつも思う。
これまでならこの道を歩きながら色んなことを話した。最近食べたもの、先生と見たもの、義勇さんに教えたいこと、義勇さんに聞きたいこと、本当に色んなことを。
でも今日は違った。
お天気がいいですね、とか。あのお花綺麗ですね、とか。
当たり障りも無ければなんの変哲もない世間話を少しだけしただけ。義勇さんはそれら全てに肯定の言葉を返してくれたけれど、それ以上話が大きく広がることはなかった。私がそれ以上話さなかったから。
気まずかったのかもしれない。この間まで次どんな風に顔を向ければいいのかさえ解らなかったのだから。もしかしたら義勇さんも困っていたかもしれない。
でもそれだけじゃなかった。私がいつもみたいに話せなかったのは、そんな消極的なものではなかった。
たまに義勇さんをちらりと見れば必ず気づいてそっと首を傾げて私に視線を向けてくれる。それだけでなんだか、どうしようもなく幸せだった。
そう、どうしようもなかったの。
隣を歩くだけで、こんなに満ちてしまうから。
言葉なんか何にも出てこなかったんだ。




報せがあったのはつい数日前だった。
稽古を終えてお屋敷周りのお掃除をしていたとき、しのぶさんがいつの間にか側に居て「こんにちは」といつもの穏やかな笑顔で私に声をかけてきたのだ。私は驚いて思わず、わあ!と声をあげてしまった。

「し、しのぶさん…!?こ、こんにちは!先生にご用でしょうか…?生憎先生は午後から出ていらっしゃって…」

「いえいえ、今日は名前さんに」

「…わたし?」

「ふふ、丁度出る用事があったのでお手紙より直接お話ししたいと思いまして。」

慌てて私はしのぶさんをお屋敷へ誘ったけれど「すぐ済みますから」としのぶさんは続けた。
私は手に持っていた箒を側に立て掛けてしのぶさんの用件を待った。

「冨岡さん、週末にはお屋敷にお戻りになれると思いますよ」

「!!」

自分でも目を大きく開いたことがわかるくらい、その言葉は私に響いた。義勇さん、良くなられたんだ。本当に良かった。私が慌てて蝶屋敷に飛び込んで行った日から数週間、ずっとしのぶさんからのご連絡を待っていた。しのぶさんはいつも私を助けて下さったから、大丈夫だと解っていて待つことしかできないのはやはり落ち着かなかった。心から、本当に安心した。肩が急に軽くなった気がした。同時に体から力が抜けて私はすとんと地に腰を下ろしてしまった。

「よ、良かった…。」

「あらあらあら、しっかりして下さいな。」

しのぶさんは座り込んだ私に目線を合わせてしゃがみこむとぽんぽんと頭を撫でた。

「…大丈夫ですか?」

「……え、?」

しのぶさんの言う「大丈夫」には色んなものが含まれているような気がした。
言葉だけ聞けば腰を抜かせてしまったことに対してなんだろう。でもそうじゃない、それだけじゃないと思えたのは慈しみに満ちた表情だとか、その声色だとか。怪我の有無を問うたのではないとはっきりわかった。頭の上に感じる優しい手のひらが、私に確信を与えた。
きっとしのぶさんは、私と義勇さんについて「大丈夫」かと聞いているのだ。
思えば腫れ上がった目蓋に小芭内さんがくれたお薬だって、きっと元々はしのぶさんが下さったんだろうから、もしかしたら小芭内さんが何か話したのかもしれない。

「私は何も知りませんよ」

「…っえ?」

「不思議そうな目をしてらしたので。」

しのぶさんは私の心を読んだのか、ふふふと笑って「よしよし」とさらに頭を撫でた。

「詳しいことは何も知りません、けれど…冨岡さんがきっと馬鹿なことをしたのでしょう?あの人を見ていれば解ります。きっと散々な思いをされたんじゃないかと思って。」

「立てますか?」としのぶさんは私より先に立ち上がって手を差しのべてくれた。私は何処かへとやってしまっていた意識を取り戻し、しのぶさんのその手に甘えて立ち上がった。ありがとうございます、と言うとしのぶさんは「どういたしまして」とまた笑った。

「…散々、だったのかもしれません。」

「…と、言うと?」

「…なんていうか…それよりもずっと、色んなことに気づけたので…何か変われたような気がするんです。」

「…そうですか。」

あっという間だったと思う。思い返せば目まぐるしさを感じた。義勇さんと最後に会ってから、味わったことのない感情に名前をつけて必死に答えを出そうとしていた。もがく私をたくさんの人が掬い上げてくれた。

私は今も、昔と変わらず義勇さんのこと好き。

そう、大好きだ。この人以上に愛せる人なんかこの世にはきっと居ないと断言できる。一生分の恋をしていると、私は知っている。
そんな私を大切にしてくれている人がここには沢山居る。私が大切だと思って止まない人がここに沢山居る。
だから鬼殺隊はやめない。縁談も勿論受けない。
解っていることはそれだけだったけれど、私を強くするには十分だった。
もう一度義勇さんとお話するまで、何も諦めたりしないと強く誓っていた。

「…だから!大丈夫です!ありがとうございます!!」

上手に言葉にはできないけれど、落ち込んだままの私じゃないと伝わればと力強く言葉にしてしのぶさんに頭を下げた。頭をあげてしのぶさんを見るとしのぶさんはいつものように、暖かく微笑んで居た。

「…ふふふ、名前さんは立派ですね。流石、甘露寺さんの継子ですね。」

「め、めめ滅相もないです…!でも、先生の継子として相応しくありたいと思います…!!」

「あらあらあら」

しのぶさんは声にだして少しだけ肩を揺らして笑った。少しだけ空気が緩んだ気がした。

「…あの人に見せてやりたいですね」

「あの人…?」

「冨岡さんです」

え、と言葉になる前に驚きのあまり私の声は喉の奥につっかえてしまった。

「冨岡さんはどうしようもないお馬鹿さんなので、随分とご傷心の様子なんですよ。困った人でしょう?」

しのぶさんはやれやれと言ってみせた。義勇さんがどんな様子でいるのか、私は見当がつかずに居た。
ご傷心、なんて。そんな義勇さんをあまり見たことがない私はぴんとこなかった。一体何に、どうして心を傷めているのか。
まだ負った傷が痛むのか、それとも任務先で悲しいことがあったのか、色んな憶測が私の思考に過っていく。
そんな中、私のことを後悔してくれていたらいいのになんて、浅はかな期待をしてしまった事は無かったことにしたかった。
無かったことにできなかったのは、しのぶさんがわざわざ私に話してくれたから。
それから私が、義勇さんに恋をしているから。

「名前さん」

「!は、はい!」

「名前さんが良ければ、お迎えに来てあげてください。」

「お迎え…ですか…?」

「ええ、きっと喜ぶでしょうから。…いつか、冨岡さんが名前さんを迎えにきた時と同じように。」

「!い、行きます!!行きたいです!!」

考えがまとまる前に、そう返事をしていた。
義勇さんに会える、その事実だけで。
会いたい。義勇さんに、会いたい。それだけだった。

「ありがとうございます。またご連絡しますね。勿論ご無理をなさる必要はありませんから、」

「無理だなんて!!」

「ふふふ、良かった。…本当にもう大丈夫そうですね。」

「…ありがとう、ございます。」

「いいえ、私は何も。なーんにも知りませんから、お礼に及ぶことは何も。気になってしまってちょっと冨岡さんを弄くってしまったので謝らなければならないくらいです。」

「そんなことは…!!」

「ふふ、またお話聞かせてください。いつでも、冨岡さんに一発お見舞いしてやりますから。」

しのぶさんはそう言って拳を振ってみせた。何度も何度もこうして私の味方でいてくれるんだ。しのぶさんにはまだ何にも話していないのに、すごくすごく心強くて胸がぐっと締め付けられた。

「…今度、先生のおすすめのお菓子を持ってお邪魔してもいいですか、」

「まあ、それは楽しみですね。また女の子のお話をしましょう、ね?」

「…はい!!」

「つい長話をしてしまいましたね、うっかりうっかり。」としのぶさんは言い「それでは、また」と笑顔を添えて目の前から何処かへと消えていってしまった。一瞬強く吹いた風が、しのぶさんをどこかへ拐ってしまったようだった。

熱をだして蝶屋敷の方々にお世話になったとき、迎えにきてくれたのは義勇さんで、信じられないくらい嬉しかったことを思い出した。
義勇さんは私の迎えを喜んでくれるとは限らないけれど、そうだったらいいなと思う。
そうじゃなくても、一歩進めたらきっと世界が変わるって信じたい。
世界を変えたければ、自分から踏み出す他に方法はきっとない。



だから私は、今日義勇さんに会いに来た。
とにかく一目、会いたくて。想像以上に足取りは軽かった。




お屋敷につくころにはもうお日さまがてっぺんまで登りきっていた。
義勇さんに「お腹空いてませんか?」と聞くと「…そんな時間か」とだけ義勇さんが言葉を返した。この言葉の真意はきっと、私の問いかけに対する肯定だろう。
水柱である義勇さんのお屋敷には、義勇さんが不在の間も隠の方々がお掃除だったり、必要な書物の整理だったり、蝶屋敷から出られない義勇さんの変わりに色んな雑務で出入りされていた。
しばらくお屋敷を空けていた義勇さんのお屋敷にはきっとなんの食材も無いだろうと、私は馴染みの隠の方に予め用意しておいた軽食と先生のお気に入りのお団子を運び込んでもらっていた。その準備をしている時の私は随分浮かれていたと思う。
おにぎりを握る私の隣で先生が心配そうに、でも嬉しそうにしていたのをきっと私は忘れないと思う。
私の用意した軽食たちはお台所に綺麗に並べられていて、ここには居ない隠の皆さんに心の中で深く感謝した。

「すぐ支度しますから!座っててください!」

義勇さんは少し口を開けて驚いていた。





義勇さんと簡単な昼餉を摂ったあとお茶を淹れるために私はまた台所へと戻った。義勇さんは今日も何一つ残さず綺麗に平らげてくれた。嬉しかった。差し出がましいことをしてしまったかもしれないと少しだけ不安にもなったけれど、義勇さんは「助かる」と私に一言お礼を言ってくれた。吃驚するくらい、穏やかだった。
きっと誰が見ても「いつも」の私たちだった。
義勇さんは何も言わなかったし、何にも触れなかった。私が美味しいですか、と聞けば咀嚼しながらこくこくと頷いてくれたし、おにぎりの具について話せば興味深そうに話を聞いてくれた。
まるで何もなかったみたいだった。

多分、「無かったこと」にするならこのままで居るべきなんだと思った。

お茶の葉に沸かしたお湯を注ぐ手は少しだけ震えた。立ち込める湯気が私に決断を迫るようだった。
このまま、何もなかったみたいに過ごしていけば修復されていくかもしれない。それも、いいのかもしれない。
それ以上を望まなければ傷つかずに済むんだろう。もしかしたら義勇さんもそれを望んでいるのかもしれない。
あるいは、義勇さんにとっては全て終わったことなのかもしれない。これ以上、言うことは何もないのかもしれない。
かもしれない、ばかりが私の頭を占拠していく。
あれだけ伝えようと誓ったのに、今日側に居てこんなに幸せなんだと思ったのに、その時が近づけば近づくほど飛び込むのは怖くなるもので。意気地無し、と一人ごちた。
今日という日まで色んな事を考えて、想像して、心のなかで頭のなかで何回も何回も練習したのに。ここにきて初めて「何も変わらない」手段もあるのかもしれないと知ると揺れた。
どうしてこんなに難しいんだろう。たった一人に恋をしているだけで、どうしてこんなに。

強く胸が締め付けられる感覚がして、息苦しい。
何のためにここに来たんだ。一体なんのために。
自分にそうやって問いかけて大きく深呼吸をした。
むやみに震える心臓を落ち着かせたくて。

「…だいじょうぶ」

他の誰でもない私自身に言い聞かせる。
沢山の人に肩を支えてもらって、涙を拭って貰って、背中を押して貰ったんだ。こんなところで揺らいじゃだめだ。
だって伝えなくちゃ一生後悔する。間違いなくそう思う。変わらない関係を望むのも美しいことかもしれないけれど、私はちゃんと義勇さんの言葉で全てを知りたい。
だから、私の全てを話すって決めたんだ。
ここで「何も変わらない」ことを選んだって、私は変わらなければならないんだ。だって私は義勇さんが好きだから。義勇さんが好きなままじゃ、「何も変わらない」関係はきっとこの先上手くいかない。義勇さんを好きでいることを辞めるなんて、そんなことはきっと不可能だと思う。今更、どうにかしてしまえる程の想いじゃない。堪えられなくて抱えきれなくて溢れてしまう程なのだから。どれだけ我慢したってきっと私はまた義勇さんが好きだと思ってしまって、義勇さんを困らせてしまうだろうから。

一歩進むために、私はここに来たのでしょう。義勇さんがそれを望んでいるか、いないかなんてそれこそ聞かなきゃ解らないことだ。
ずっとお側に居たいって、伝えなくちゃ。
義勇さんが私の特別なんだって、知ってほしい。
覚悟を込めるようにお盆に並べた湯呑みにお茶を注いだ。



淹れたばかりのお茶と、先生のお気に入りのお団子をお盆に乗せて義勇さんの居る縁側に戻る。緊張しているのが自分でもよく解る。お盆を持つ手が震えてしまうんじゃないかと少しひやひやした。ちゃんと自分が呼吸をしているのか、どうやって足を動かしているのか解らなくなりそうだった。もしかしたらもう少しで私の全てが変わってしまうかもしれないと思うと、頭のなかまでめちゃくちゃになってしまいそうだ。
一歩ずつ一歩ずつ、義勇さんの元へ足を進める。慣れたことだったのに今はこんなにも緊張している。心臓の脈打つ感覚が大きくなればなる程息苦しい。
嗚呼、どうか止まって。死んでしまいそうだから。

淹れたばかりのお茶が溢れないようにじっと手元を見ていた視線を恐る恐る上げると、燦々と陽が射す縁側が私の視界を占める。
義勇さんはお庭を眺めて居た。
その後ろ姿が、なんだかとっても眩しくて。
見慣れた義勇さんの背中が、どうしようもなく恋しく感じて。

「…おかえりなさい、義勇さん」

思わずそう言葉にしていた。ほぼ無意識だったけれどちゃんと私の声は届いたらしい。
義勇さんはゆっくりと私の方へ振り返った。

「…ああ、ただいま。」

私を捉えた義勇さんの表情が少しだけ和らいで、細められた目に自然と釘付けになった。
ぎゅう、と胸のあたりが一際苦しくなった。
ああ、もう思い悩むのも躊躇するのも止めた。
なんだか無性に、泣きたくなった。

「…沢山、聞いてほしいことがあるんです。義勇さん。」

どうか聞いてくれませんか。
私はこんなに、義勇さんが好きなんだってこと。
私一人じゃもう、整理しきれないくらい大好きなんだってこと。
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