愛しているじゃ形容しきれない

「ごめんください!」

炭治郎は恋柱邸に着くやいなや、大きな声で中に向かって声をかけた。
今朝見回り調査の任務を終え、世話になった藤の家紋を掲げる屋敷から出立しその足でここまで出向いた。途中持たされた握り飯を頬張りながら、昨晩小雨の降っていた道を少しばかり急ぎ足で進んだ。
水柱邸から一人飛び出した名前の後を追いかけた日からここ、恋柱邸には立ち寄っていなかった。日数にすればたかが数日程であったものの、背中を小さく丸めてなんとかここに帰る姿を見届けたあとからずっと名前がどうしているのか気になってしまって仕方なかった炭治郎は今日ようやく名前に会うことができると思うと落ち着かない気持ちだった。
あれから名前は特に任務らしい任務も与えられていないまま、恋柱である甘露寺の継子として甘露寺の手伝いばかりをしていたらしく、今日もそれは変わらず恋柱邸にいると炭治郎は昨晩任務先から出した手紙の返事で知った。

「いらっしゃい!炭治郎くん」

「甘露寺さん!」

炭治郎を迎えたのは名前ではなく甘露寺だった。
玄関が開かれる前に庭の方からひょこりと現れた甘露寺に炭治郎は驚きを含んだ声をあげた。
甘露寺は「名前ちゃん!炭治郎くん!」とどうやら庭にいるらしい名前に声をかけると少し遠くの方から「はあい!」と声がした。

「炭治郎!おかえりなさい!」

「名前…!」

甘露寺に続いて庭の方から現れた名前に、炭治郎は思わず喜びの声をあげた。炭治郎が思っていたよりも晴れた表情をしていたことに、変わらない笑顔を向けてくれたことに、ひどく安心したのだ。
名前は炭治郎に駆け寄り頭から爪先まで見やると「怪我はなさそうだねえ」と笑った。

「こんなところじゃ何だから、上がって上がって!」

「はい!お邪魔します!」

「積もる話もあるわよね!私、お茶を持っていくから!」

甘露寺は玄関の戸を引いて炭治郎を中へ誘った。お茶をいれると言った甘露寺に二人はありがとうございます、と軽く頭を下げて二人で名前の部屋へ続く廊下を進んだ。炭治郎は名前に「庭で何をしてたんだ?」と聞くと名前は「先生とお花の様子を見ていたの!」と楽しそうに笑った。

「昨日少し雨が降ったみたいだったから、きらきらしててとても綺麗だったんだ〜」

「いつも綺麗に手入れしてるもんな」

「蕾も膨らんできててね、もう少ししたら咲くと思うの!」

名前は自室の部屋の戸を開き炭治郎を招き入れながら近いうちに咲くであろう花の話をした。二人向かい合わせに大きな窓際に座っていつ、誰と植えたのかまでしっかり覚えている名前の話を炭治郎は真剣に聞いた。
あんなに名前のことを心配していた炭治郎さえ、普段と変わらない名前の笑顔や声色に何もかもを忘れてしまいそうになったが、楽しげに話す名前の顔を見つめていると少しだけ目尻が荒れ、腫れているのか赤くなっているのが見えた。

「…炭治郎?」

「あ、すまない…!その、まだ少し赤いなって」

炭治郎が少しだけ眉を下げ悲しげな表情をしたのを名前は勿論見逃さなかった。なんせ炭治郎は表情に出やすいのだ。冨岡の百倍、表情だけで何を思っているか解るのだ。名前は話すのをやめて声に疑問を含ませて炭治郎を呼んだ。は、とした炭治郎は慌てて素直に謝った。話をそっちのけで居たことと、思わずその赤みの残る目尻を凝視してしまったことの両方に。

「ああ、でもこれ、だいぶ良くなったんだよ。小芭内さんがね、薬をくれたの。もう痛くもなんともないんだけど少しだけかさかさするんだ〜」

「…そうなのか…。」

「やだ、そんな顔しないで。どうして炭治郎が悲しむの〜?」

変なの、と名前はくすくす笑った。
炭治郎はどこか居心地が悪くてきゅっと口を結んだ。それもそうだ、炭治郎は一部始終を知っていて、泣きながら帰路を進む背中を黙って見つめることしかできなかったのだから。大切な仲間にかけてやる言葉さえ出てこなかったことを未だ悔いているのだから。
名前は同じように心を痛めてくれる炭治郎の優しさがどこかくすぐったくもあった。人生で一番泣いたといっても過言ではないほど一日泣き続けた名前は数日たった今もこうしてその後遺症のようなものを目尻にこさえているが、甘露寺や伊黒の助けもありにこにことまた笑っているのだ。それを送りあっていた手紙から、かいつまんでしか知らない炭治郎がここにきてこうして心配してくれている事に本当に喜んでいるのと同時に、ずっと冨岡を一心に慕ってきたこと全てを知っている炭治郎に何故か少しだけ情けないような気持ちもしたのだ。当たり前だ、炭治郎の目の前でこっぴどくふられてしまったのだから。

「俺に何か出来ることはないだろうか…!」

「ええ…?!もう十分だよ、今日だってわざわざ任務のあとに来てもらってるんだから…」

「それじゃ俺の気が済まないんだ…何か力になれることはないか…?」

「炭治郎〜……」

炭治郎は痛むほど優しい人だと名前は思った。肩を落として眉を寄せる炭治郎に名前はいたたまれない気持ちになった。
うーん、と名前が考えるように唸ると同時に部屋の戸が引かれる音がして甘露寺が「お待たせ!」と現れた。盆に乗せられた二つの湯呑みと綺麗に切られたカステラが二人の前に出されると炭治郎も名前も「ありがとうございます!」と元気良く応えた。甘露寺は息のあった二人の返事にきゅんとしたのか頬を染め「ゆっくりしていって頂戴ね!」とにこにこと笑い返し、部屋を後にした。残された二人は閉まる戸を見つめ、少しの間部屋の真ん中に沈黙が宿った。

「…これだけしてもらってるのに、図々しいんだけど、」

「!、どうしたんだ?」

沈黙の中、先に口を開いたのは名前だった。少しだけ申し訳なさそうな声色で炭治郎に話しかけた名前は視線をうろうろとさ迷わせ言葉の先を言い辛そうに口ごもる。炭治郎はそんな名前の素振りに何を言われるのかと少し緊張し、同時に何処か期待した。

「そ、相談に乗ってほしくて…」

「勿論!俺で良ければ!」

「う…あの、あのね…」

名前の言葉に食い気味の炭治郎に名前はたじろいだ。言葉に詰まると手で遊ぶのは名前の癖なのか、指先を絡めたりほどいたりしながら上手く言葉を紡ごうとした。

「…た、炭治郎って告白したこと、ある…?」

「………、えっと…?」

炭治郎はきょとんと目を見開いて疑問の声をあげた。そんな炭治郎の反応に対して名前は意を決して発した言葉に恥ずかしがるように頬を赤く染めてぎゅっと目をつむり炭治郎の言葉を待っていた。

「きゅ、急にどうしたんだ…?」

「まずは理由を教えてくれないか?」と炭治郎は名前に説明を求め肩に手を添えて名前の顔を覗き込んだ。ゆっくり目を開いた名前は睫を震わせて炭治郎をじっと見つめたあと大きなため息を吐いた。

「…笑わない?」

「まさか…!!笑ったりするもんか!」

「………、……義勇さんにね、告白しようって決めたんだけどね…なんて言えば伝わるのかどれだけ考えても浮かばなくって」

名前はゆっくり話し出す。名前の口から冨岡の名前が紡がれることは炭治郎にとって想像に容易かった。持ちかけられた相談に説明を求めたものの、それが誰が為のものかは当たり前に理解していた。名前が告白を決心する相手など一人しか居ないのだから。
名前は参考に甘露寺がお気に入りだと言う話題の恋愛小説を読んでみたりもしたのだと炭治郎に言い「でも全然、ダメだったんだ…」としょげて見せた。

「俺に相談する必要なんか無いような気もするけど…それに、名前が冨岡さんのことを好きなのは十分伝わってると俺は思うぞ」

炭治郎は思ったことをそのまま口にした。
名前はいつも、素直に純粋なままの言葉を冨岡に届けていたのだから、自分なんかよりもずっとその思いの丈を伝える術を知っているのではないかと炭治郎は思った。
そして炭治郎は唯一、冨岡の本心に近しいものを感じ取った人間だった。冨岡の言葉に一人飛び出していった名前は知らない、炭治郎の言葉に感情を露にした冨岡を炭治郎だけが知っていた。自ら突き放すような事を言っておきながら飛び出していった名前をひどく心配していた冨岡に、炭治郎は十分なものを感じていた。
だから炭治郎は名前の言葉に首を傾げた。
名前はまるで励ますような炭治郎の言葉にぐっと顔をあげ、背筋をのばした。

「…義勇さんが、あんなことを言ったのはきっと何か理由があるんだと思うの…」

「…うん、俺もそう思うよ」

「私理由を知りたいの。義勇さんがどうしてここまでしたのか…だったら、それを断る理由を私もちゃんと言わなきゃだめだなって思うの。」

名前は真っ直ぐ炭治郎を見つめた。その視線は緊張して揺らいでいるように見えたものの、揺るぎない覚悟のようなものが感じ取られた。真剣な眼差しに穿たれて炭治郎は黙ってしまった。
炭治郎は少しだけ驚いていた。あんなことを言われたのにこうして向き合うことは決して簡単なことではないだろうと、自身にそういった経験はなくとも理解できた。名前を心配して書いた手紙の返事に並んでいた前向きな言葉の数々にだって驚かされていたのに、名前の強さを直接目の当たりにするとそれに相応しい言葉が出てくるのに時間がかかった。
何度も何度も名前の行動や表情、言葉や匂いで恋をしているということがどんな事なのかを隣で見てきた炭治郎は名前に何度も色んな事に気づかされては驚かされてきた。まだ自分には知らないこと解らないことがたくさんあるんだと、隣で一緒に感じてきたのだ。

「…名前はすごいな。」

炭治郎は眉を優しく下げ、きゅっと目を細めて柔らかく笑った。ありきたりな言葉しか出てこなかったが、炭治郎はその言葉に堪えきれない程の感情を乗せた。
理不尽なことを言われたというのに、真剣に考えてちゃんと答えにたどり着いていた仲間を尊敬すると同時に、目の前でころころと表情を変えながら一生懸命恋をする名前に愛しいものだと、それは恋心や劣情を含まない、兄が妹を可愛がるような親愛に近い感情を抱いていた。
名前は炭治郎の穏やかな表情に緊張が絆されたのか、ふにゃりと頬を緩めてみせた。

「…ほんとはねえ、ちゃんとわかってるんだ」

名前は日当たりの良い部屋の窓から見える空を見上げてぽつぽつと話した。

「あんな事言われたんだから、告白したって面倒がられるだけかもしれないし、もしかしたらこれを最後に嫌われちゃうかもしれないって。」

名前は見上げた先の空を裂くように飛んでいった鳥を視線で追ったあと、また炭治郎を見てにこりと笑った。炭治郎は表情を変えずに名前の話を黙って聞いて、相槌に深くゆっくり頷く。
二人の間には鬼との激しい戦いだけではきっと培えなかった信頼や、絆が目に見えるようだった。形のあるものではないが、窓から差す陽がそれらを照らして形が捉えられるのではと思うほど名前の言葉に嘘偽り、隠し事はないと、また炭治郎はなんの下心もない優しさを名前に与えているのだと感じられる澄んだ空気が流れた。

「それでもちゃんと伝えて、ちゃんと答えを聞かないと、一生後悔するって思って仕方ないんだ。なんでだろう。」

「義勇さんには迷惑な話、だよね」そう言葉を付け足した名前が苦笑いを見せる。
名前はあれからずっと考えていた。納得のいく言葉が欲しいと思いながら、それがどういうことなのかを何度も何度も考えた。この恋はわがままかもしれないと。相手のことを、冨岡のことを思うと自分の感情は迷惑甚だしいものなのではないかと何度も何度も悩んだのだ。それでも抑え込めるほどの想いではなかった。どうなったっていいから、ちゃんと伝えたいと感じるほどこの想いは形を成して膨らんでいた。そこまで名前は言葉にはしなかったが、炭治郎は名前の少しの言葉と表情と、匂いからなんとなくそれらを感じ取っていた。
炭治郎は一度目を瞑って、一度大きく息を吸う。ぱっと目が開かれるといつも名前が頼りにしていた、前向きで力強い優しさのある炭治郎が居た。炭治郎はそっと拳を名前の前に差し出した。

「…全部に理由が必要だとは、俺は思わないんだ。名前が冨岡さんに感じる感情全てを表す言葉があるかなんか、誰もわからないと思う。言葉にできない程の気持ちを言葉にするなんて、柱になったって出来るとは思わない、俺は!言葉にできないなら、そう言ってしまえばいいと思う!」

名前から持ちかけられた相談に最初は困った顔をしていた炭治郎は、自信を持って答える。

「誰かから借りる言葉より、名前の口から出るままのほうが冨岡さんにはきっと伝わるよ。…ずっと、そうしてきたじゃないか」

背中を押すように力強く名前に語りかけたあと炭治郎は「俺が言うことなんて当てにならないかもしれないけど…」と情けなさそうに笑って誤魔化した。すると炭治郎が差し出した拳にこつりと柔らかな衝撃が訪れた。

「………、うん。ありがとう、炭治郎。…だいすき!」

名前は歯を見せて今日一番笑ってみせた。
炭治郎は合わせられた拳に感じるほのかなぬくもりに心が満たされたようだった。名前の様子を案じて締め付けられていた胸が解れていくのを感じた。
きっと大丈夫だと、炭治郎は思っていた。
どうなったって、こうやって名前は前を向いていくのだろうと炭治郎は確信していた。

「義勇さん、任務に出てるんだって。…早く帰ってこないかなあ」

名前はいつものように冨岡を想って言葉にした。
いつかの日と同じように、早く会いたいと祈るような声で。
炭治郎は「そうだな」と言って同じように祈った。
どうか冨岡が、名前の言葉にならない程の想いを受け取ってくれますようにと。
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