凛と一輪、尊き君へ

「これを、名前の所までお願いしたいんだ」

随分と天気の良い日だった。それでも俺の気持ちは晴れたものではなくて、ずっとずっと喉より下、心臓より上あたりにつっかえたままのもやもやがあった。
鴉に書き上げたばかりの手紙を持たせて飛ばした。宛名は、昨日一人飛び出してしまった名前へ。



「っ冨岡さん!追いかけてください!」

あんなに楽しく一緒に食事を摂って、穏やかな午後を過ごしていたのに状況は一変した。兼ねてより名前は悩んでいた。ご両親からの手紙に、ずっと悩まされつつも名前なりに答えを出して精一杯頑張っていたんだ。鬼殺を辞めろだなんて言われなくなるくらい強くなるって、大好きな人が居るから縁談も受けられないって、一生懸命だったのを俺は知っている。
眩しかった。色んな匂いがした。
ひたむきに前に進む名前を俺だけじゃなくて、色んな人が知っている。今日はさらに一歩踏み出した日だったんだ。
下心なんか感じさせないくらいのただひたすら純粋な気持ちで、冨岡さんの好きなものを一番美味しく作れるようになりたいってたまに顔をしかめたり、とびきり笑ってみせたりしながらずっと頑張ってたんだ。
なのに。

「どうしてあんな事を言ったんですか…!」

立ち上がって座ったままの冨岡さんを見るとその表情に変わりは伺えなかった。俺はここ最近で一番混乱したし、怒っていた。
信じられなかった。あれだけ名前を悩ませていた元凶が冨岡さんだなんて。冨岡さんなら何か知っているかもしれない、助けてくれるかもしれないとすら思っていたのだから当然だ。もう何もかも、滅茶苦茶だ。

「…本当に、…冨岡さんが…言ったんですか…?」

声を荒げる俺に見向きもしない冨岡さんは黙ったままで、恐る恐る嘘だったと、悪い冗談だったと言って欲しい気持ちで、最後の祈りのように震える声をできるだけ冷静に絞り出した。
冨岡さんはちらり、と俺に一瞬視線だけ寄越すとまたどこかへと視線を投げてしまった。

「…ああ、俺が頼んだ。」

「っどうして!どうしてですか!?」

「……」

「何か言ってくれなきゃわかりません…!」

藁にもすがる想いは呆気なく砕かれた。
冨岡さんは嘘をつくような人じゃない。冗談が言えるような人でもない。解っていたけど、信じたくはなかった。
俺は冨岡さんのことが大好きな名前が、名前のことを大切にしている冨岡さんが大好きだった。
いつか大事な仲間の名前の気持ちが実を結んで欲しいとさえ思っていた。
ひどく心が軋んだ。
誤魔化すように、なんとか笑った名前だけが脳裏にまだこびりついていた。

「……その方が、良いからだ。」

「良いって、そんなの説明になりません…!」

「…名前のためだ」

「っ名前のためって…名前があんな風に笑うことが、名前のためなんですか!?」

俺が聞きたいことはそんなことじゃない。
いつもと同じ声色で話す冨岡さんを捲し立てた。それはもう無我夢中で、納得ができる理由が聞けるまで気が済まない俺は冨岡さんが返した言葉を掘り下げるように何度も問い返した。
それでも冨岡さんはわざわざ名前のご両親にまで頼ってそこまでした理由を話してはくれなかった。
冨岡さんだって、名前が特別冨岡さんを慕っていたことを知っていたはずなのに。こんな残酷なこと、考えられない。
もし名前のことをそんな風に見ることができなくてこんなことをしたと言うのなら、やり方はどうあれ納得もできる。
けど、そうとは思えないほど冨岡さんは痛く名前を大切にしていると二人を見てきた俺がその憶測を飲めずに居る。
何か理由があるに違いないと。

「…っいいんですか!?冨岡さんがしていることは、名前が、名前が他の人と!…っ他の人と一緒になるってことですよ…!?」

思わず出過ぎたことが口から飛び出していった。
名前が冨岡さんのことが好きだと知っていても、冨岡さんにこんなことを言うのは違うだろうと思っていた。けれどここまで言わせたのは目の前にいる冨岡さんだ。この人が俺に、この人の気持ちを知らなきゃならないと思わせたんだ。

「……え、」

俺の言葉が届いたのか、冨岡さんから突然、ひどい匂いがした。俺は思わず目を見開いて、その匂いを必死に辿った。
それはもう、憎しみような、嫌悪のような、恨めしいような。
嗅ぎ分けるには難しいほど色んな匂いがした。
でもこれは多分、妬みだ。

「、俺がそう頼んだんだ。…そうなれば一番良い。」

冨岡さんは何もなかったような素振りで突然立ち上がって屋敷の奥へと入って行ってしまった。
それに合わせてまるで掻き消されるように匂いは消えた。でも俺は確かに、感じた。
どこが、どこが一番良いんですか。

「そんなのちっとも思ってないじゃないですか!冨岡さん本当は、」

「っ嗅ぎ回るのも大概にしろ!!」

怒声を響かせ、冨岡さんは俺に振り返った。
先程までの変わりのなかった表情はどこに行ったのか、突き刺さすように俺を睨んでいた。凄みのあるその立ち姿に怯んでしまって出かかった言葉は引っ込んだ。殴られたのではないかと思うほどの圧を感じた。
怒り、切羽詰まった焦りが匂いから感じ取れる。冨岡さんは不躾な俺に腹を立てているのだろう。
それでも俺は納得できなかった。

「…っなんでですか…ちゃんと、ちゃんと名前に話してあげてください…こんなの…」

「……」

「…名前が、可哀想です…。」

苦しくて堪らなかった。
名前を思えば尚更胸が締め付けられて、苦しさを逃がすように拳を握った。結局何も言ってくれない冨岡さんにままならなくて俯いて何を言えばいいのかと考えた。

「…名前を、追ってやってくれ。」

「!…、嫌、です。…それは、俺の役目じゃないと思います、ちゃんと、」

「頼む。…すまない。」

先程の怒声とは違い、ひどく優しい声が俺に投げ掛けられる。顔を上げて冨岡さんを見やると、見たことない顔をしていた。
すがり付くような、懇願が目に見えて受け取れた。ぐっと寄せられた眉間に、まるで神さまに祈るような、叶いもしない願いを必死に言葉にしているかのようにも見えた。
あんな風に突き放しておいて、この人一体何を言ってるんだ。
俺が追いかけたって、きっとダメなのに。

「…っ、ちゃんと、ちゃんと名前に話してあげてください…!絶対に…!!」

もう何も言えなかった。
俺が何を言ったってきっと答えちゃくれないんだろう。頑なな拒絶に、裏腹な願いを俺は聞き入れて一人飛び出した名前を走って追った。わけが解らなかった。

来た道を本気で走った。名前が甘露寺さんのお屋敷にちゃんと帰ろうとしていると信じて。探していた後ろ姿はすぐに見つかった。
小さく背を丸めて、覚束ない足取りで、一歩ずつ帰路を辿っていた。手で必死に顔を拭っていることだけが後ろからも見て取れた。
風にのって、あまりにも惨い匂いが鼻をかすめた。
俺はその後ろ姿にかける言葉が見つからないまま、名前が無事にお屋敷に入っていくのを見届ける事しかできなかった。
名前がお屋敷に入ったあと甘露寺さんの大きな声が聞こえて、物凄く安心した。甘露寺さんが居てくれて本当に良かった。




俺は俺が情けなくて堪らなかった。
側に居たのに、冨岡さんから何も聞けず、名前が泣いているのに見ている事しかできなかった。今頃、名前はどうしているだろうか。
本当は顔を見たいと思う。けれど、俺が今出向けば名前はきっとまた誤魔化すように笑うと思うんだ。強がってみせると思うんだ。俺はそんなことをさせたくはないから。
だから一先ず、手紙を書いた。
会う暇ができたら顔が見たいと、それはいつになったって構わないからちゃんと休んで欲しいと、できるだけ気を遣わせないように言葉を選んで。


気を紛らわせるように1日鍛練に励んでも昨日の今日ではなかなか身に入らなかった。こんな事じゃいけないと思っていても気になる仲間のことばかりが頭を占めた。
昨日のことが嘘だったら良かったのにと、傾き出した太陽を見上げた。
それに合わせて、見上げた空を突っ切るように鴉が俺のもとに戻ってきた。

名前からの手紙を携えて。
慌てて手紙を受け取ればいつもの小振りで揃った文字が並んでいた。俺の隣で鴉が少し小言のようなものを垂れていたけど耳に入らなかった。
気を遣わないで欲しいということ、気まずい思いをさせて申し訳ないということが書かれていて、こんな時まで優しい言葉を返してくれる名前に胸が締め付けられた。結局気を遣わせてしまったのは俺の方だった。更に滅入らせてしまったのではないかと不安になりつつ読み進めれば手紙の最後には「ちゃんと義勇さんに話を聞くまで何も諦めない」と、予想していた言葉とは全く違う内容が書かれていた。

「…すごいなあ、名前は」

打ちのめされているに違いないと思っていた。
いや、きっと打ちのめされていたんだ。でも、ちゃんとまた前を向いているんだと思う。
何も解決しちゃいないけれど、少しだけ、安心してしまった。
お互い伝令の無かった日に会おうと、「私も炭治郎に会いたい」と名前は手紙を締めた。

「本当、かっこよくて眩しいな。」

人に恋をするということは、こんなに強くなれることなんだろうか。
心配だとか、そういう気持ちが募っていたのに、それよりも何よりもただ単純に早く名前に会いたいと思った。
一生懸命冨岡さんを慕う、名前に。
ずっとこの恋の側に居た。これからも側に居ると思っていた。だから最後まで、側に居させて貰えるだろうか。
紛れもなく、ただ一人に恋をするこの強さの味方になりたい。
この恋にこれから向き合っていくことはきっと勇気が必要なことだと思う。逃げ出したってきっと誰も怒ったりしない、誰も咎めたりしない。それなのに転ぼうと挫けず立つ名前がかっこよくて、眩しくて堪らなかった。

花が開いておらずとも、こんなに美しいのだと。
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