お日様のような人

とてつもなく目蓋が重かった。
その重さが夢じゃなかったのだと私に教えた。

陽が高く差し込んで私を照らし、重い目蓋さえ貫くような光で目が覚めた。目蓋に感じる違和感と、鈍い頭痛、ぼんやりとしている意識が私をなかなか覚醒させてはくれなかった。

昨日、どうしたんだっけ。

一瞬記憶を辿ろうと布団のなかで思考を巡らせると止めておいた方がいいとばかりに頭痛がした。
そうだ、私、昨日。
急に目が冴えて心に穴が空いてしまったような感覚が私を襲った。苦しく胸が締まる感覚が後を追うように私を攻めた。あれだけ泣いたのに視界が揺らぐ。じっと見つめていた天井がじんわり揺らいでいくと視界の隅には私の気持ちとは裏腹にびっくりする程の快晴が映った。私に元気を出してと慰めてくれているようにも、私にとって人生一番の出来事なんかお構い無しに世界は回るのだと馬鹿にしているようにも見えた。
お天気のいい日は大好き。なのにこんな風に考えてしまうなんて自分でも吃驚してしまってごろりと窓の方に寝返りを打った。
それと同時に私のわがままに応えてくれた先生のことを思い出して勢い良く飛び起きた。先生の姿はない。きっととっくに起きていらっしゃる。やってしまった。
一体、今何時なんだろう。私を起こしたお日様があんな高いところに居るのだから、私はとんでもない時間寝ていたのだろう。
何を耽って居たの、謝らなくちゃ。
そう思って慌てて布団を、部屋を飛び出した。


「せ、せんせ…!!」

「…起きたのか」

いつも先生と食事を取る広い居間に慌てて駆け込んだ。
でもそこに居たのは先生じゃなくて、小芭内さんだった。あれ、と思わず声が出た。
小芭内さんは駆け込んできた私に気づくと私にぎりぎり聞こえるくらいのため息をついて私の方に寄って来た。

「お、ばないさん…?」

「甘露寺なら食事の支度をしている。」

驚きながらも小芭内さんを見上げると突然髪を撫で付けられた。わ、と声をあげると「そんな格好で走り回るものじゃない」といくつか小言を言われてはっとした。

「あああご、ごめんなさい、えっと、お、おはようございます…」

「ああ、おはよう。全く騒々しいな。」

慌ててしまったとは言え、寝起きのまま飛び出してきてしまったことを流石に恥じた。こんな格好、両親や先生くらいしか見せたことがない。というか見せるものじゃない。
小芭内さんが乱れた髪をやんわり整えてくれたのに合わせて寝巻きを申し訳程度に自分で整えた。面目ない気持ちでいっぱいだった。

「…痛むんじゃないのか、少し冷やすか?」

「え、…あ、ああ…」

小芭内さんが私の前髪を退けて覗き込んでくると、何を言われているのか解った。違和感があるのものの一応開くことのできる目蓋のことを案じてくれたに違いない。だらしない格好でこんな顔を見せてしまった。私は思わず俯いた。

「一先ず身支度をしてこい。」

小芭内さんはそれだけ言って私を居間から送り出した。
私はごもっともだと素直に部屋に戻ってひとまず着替えた。
小芭内さんがここに来るのは別に珍しいことでもない。だからおどろくほどの事でもないかもしれないけれど、いつもここに私が居るときは必ず私がお出迎えしていたからなんだか不思議な感じがした。まあ、それも私がこんな時間まで寝ていたからだろうけれど。そう思うと情けない気持ちが膨らんだ。

顔を洗うと目蓋がじんとした。濡れた顔を拭いて鏡を見るとひどい顔をした自分が映った。目蓋も目尻も腫れて、こすったのかなんとなくカサカサとした。
寝癖を解いて髪を結わえてしまおうと髪紐に手を延ばしてどきりとした。
雨が降っているだとか、汚れてしまうかもしれない特別な理由がない限りいつも大切に使っていた硝子玉の光る髪紐。
いつの間にか随分と私の生活に馴染んでいた、義勇さんがくれたもの。
私は延ばした手をゆっくりと戻した。

今日はとてもじゃないけど、使おうとは思えなかった。



結局小芭内さんや食事の支度をしているらしい先生を待たせているのではないかと思うと髪を結うのも後でいいかなと思って急ぎ足でまた居間に戻った。
小芭内さんが「今後は少し気を付けろ」とまた粗相のないように私に言った。
そのあと小芭内さんは私を連れて廊下を歩きだした。小芭内さんについて歩けば少しずついい匂いがした。多分、この先に居るのは先生で、そこはお台所だ。
昨日何も言えなかった私に先生は何も聞かなかった。にこにこと笑って一緒に寝てくれた。まず何から謝ればいいかわからない。先生と顔を合わせるのになんとなく緊張した。こんなの、初めましての時でさえ味わうことはなかったのに。

「甘露寺」

「!伊黒さん、」

小芭内さんが先生の名前を呼ぶと小芭内さんのさらに向こうから先生の声がした。いつも通り優しい声だった。

「邪魔をしてすまない、…ほら」

「!…おはよう、ございます…先生」

私の緊張を感じ取ったのか、どうか。小芭内さんは先生の方に私を促した。驚いてしまって、いつものように挨拶をするしかできなかった。おはよう、なんて時間じゃないというのに。

「名前ちゃん!起きたのね、おはよう!」

「あ、あの、先生わたし…」

「あああ〜〜!やっぱり腫れちゃったのね…!?もう少しで終わるから、これで冷やして待ってて…!」

何から話そうかと迷っている間に先生が肩を掴んで私を覗き込んだ。先生はいつもと変わりなくて、昨日の出来事なんか無かったようだった。けれどとてもとても私の目蓋を心配してくれていたのか、冷たい水に晒してあった手拭いを私に用意してくれていたのだから、無かったわけもなければ、忘れてしまったわけでも、気に止めていないわけでもないのは十二分に解ることだった。先生は私にうんと気を遣って、優しく接してくれているのだ。
なんだか、泣きそうになった。


結局私は先生に挨拶をしただけで、冷たい手拭いを持ってまた小芭内さんの後ろを歩きながら今居間に戻った。
腫れて熱を持った目蓋に冷たい手拭いはとても気持ちが良かった。小芭内さんが「強く押し付けるものじゃない」とたまに呆れたように言ってくれた。

「ごめんなさい!お待たせしました!」

先生が居間にたくさんのお皿を持って現れると途端にいいにおいが立ち込めた。お手伝いします、と声をかけるといつものように手伝わせてくれた。先生はたくさん食べる人だ。とは言えいつもの朝食とは全然違う品々に驚いた。どれもこれも、好きなものばかり。
小芭内さんはいつもどこに行ってもあまりお食事を摂られない。今日も俺はいいと言っていたけれど先生は問答無用と言うように小芭内さんの分のお皿やお箸を私に運ぶように渡した。

「お腹空いちゃった〜〜!ふふふ、皆で頂きましょ!」

先生が座って楽しそうに言ったのに合わせて私はいただきます、と手をあわせた。
名前ちゃん昨日何も食べずに寝ちゃったでしょ、と先生があれも、これもと色んなものを勧めてくれた。言われてみればそうだった。昨晩のことを思い出して申し訳なくなったけれど先生は何も気にしてないのか、「なかなかお店で食べるようなものは簡単には作れないわね〜〜」と作ったものを頬張りながら考えるような仕草を見せた。それに対して小芭内さんが色んな言葉で先生を誉めていた。私には先生の作るものが世界一おいしい、と言っているように聞こえた。相変わらずだなあと思った。

「…小芭内さん、今日は先生と何かお約束だったんですか」

「…いや。お前の好きな菓子を届けるついでに、お前の顔を見ていこうと思って待っていただけだ」

「…わたし、の?」

何と無しにいつものように疑問を投げ掛けたつもりだったけれど、返ってきた答えはいつもとは違った。
小芭内さんは一度目で語りかけるように先生を見ると、先生はお箸を置いて頷いた。

小芭内さんから聞くに、どうやら先生が私のために小芭内さんに手紙を書いてくれたらしかった。事の顛末を聞いたあと、私はこんなに気を遣わせてしまって申し訳がないという気持ちと、何も知らないのにこんなにしてくれる先生に形容しがたい気持ちになった。小芭内さんは「良い師範に恵まれたな」と私に言った。

「…おばないさんも、です」

「…?なんだ、」

「ありがとうございます、小芭内さんも。私すごく、恵まれてますね。幸せ者ですね、」

自然とまた涙腺が緩んだ。
不思議な感覚だった。あれだけ泣いて愚図ついたのだから、普通ならきっと腫れ物のように扱われるのだと思っていた。たくさん心配をかけて、謝らなくちゃと思っていた。気を遣わせないように大丈夫だと伝えてできるだけ早く立ち直らなければと思っていた。
でも先生は違った。
話したくなったら話してくれたらいいと私に言って、元気が出るようにと色んなことをしてくれて、いつも通りに笑ってくれる。でも何をそんなに泣いていたのか話しにくくならないように、触れてはいけない話題にはせずにちゃんと向き合ってくれているのだと思う。
私は緩んだ涙腺をぐっと堪えて先生を見た。

「…心配をかけてごめんなさい」

「…ふふふ、違うの。私は名前ちゃんの先生なんだから、いっぱい心配したいの。だから目一杯心配させてくれたら、嬉しいんだけど…」

私は先生の言葉にぎゅっと手を握ってたくさん息を吸った。

「先生、名前ちゃんがちょっとでも元気になれるならなんだってする!…って言っても、伊黒さんに手伝ってもらっちゃったけど…」

「…俺にも心配させてくれ」

先生と小芭内さんが優しく私を見ていた。
ずっとこの世の終わりのような気分だった。昨日、一人で歩けば歩くほど自分から何もかも無くなっていくような感じがした。たくさんたくさん助けてもらったのに、誰になんて言えばいいのか解らなかった。もうそれならばいっそ全部無かったことになればいいのにとさえ思った。
義勇さんに喜んで欲しくて頑張った私も、私が義勇さんを好きだってことを知ってる人も、義勇さんを好きな私も。全部全部なかったことになれば救われるかなと思った。

「…わたし、すごい、幸せ者だなあ」

全部無かったことにならなくて良かった。
大きなものを失くしてしまった感覚は変わらないけれど、私には他にも大事なものがあって、私を大事にしてくれる人が居る事を噛み締めた。
じん、と体が熱を持って胸のあたりにつっかえていたものを解すようだった。

「…聞いて、くれますか?」

聞いて欲しいと思った。今ならちゃんと言える気がする。
昨日あったこと、私が感じたこと、これからどうしたらいいのか、わからないこと。
私を大切にしてくれるこの人たちに話したいと思った。

「…聞かせてくれるの?」

「…えへへ、心配して貰えるなんて贅沢なこと…甘えちゃってもいいんでしょうか」

情けない気持ちを笑って誤魔化した。
二人が肯定しかしないと知っていて、そんなことを言ってしまった。

「…もっともっともーっと甘えてくれていいの、そしたらきっと私、もっともっともーっと、名前ちゃんに元気になって貰うためにいろんな事が出来ると思うの!」

だから聞かせて欲しいな、と先生が私に笑って小芭内さんが黙って頷いた。
居間に差す暖かいお日様の光がようやく心地よく感じた。
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