先生

「邪魔する、甘露寺は居るか」

「伊黒さん!」

今日はとても朝からお天気が良かった。お部屋に差し込むお日様の光で予定よりも早く目が覚めた。朝から張り切って沢山の食事を用意していたら、伊黒さんの声が玄関の方から聞こえた。慌てて玄関に迎え出れば大きな風呂敷に包まれた荷物を両手に抱えた伊黒さんは心配そうな顔をしていた。

「…名前は」

「まだ寝てるの。…今日は起こさないでおこうと思って、」

そう言って私は伊黒さんを中に通した。伊黒さんは変わらず心配そうな声でそうか、と一言だけ言った。





昨日、いつもは暗くなる直前までなかなか帰ってこない可愛い継子が珍しく私が門の前で帰りを待つより先に戸を開けて戻ってきた。目を真っ赤に腫らせて拭いきれない程涙を溢して泣きながら。

「どっどどどど、どうしたの名前ちゃん!!!???ヤダどこか痛いの!?何があったの!?!」

おかえり、と伝えるより先にその姿に驚いて詰め寄ってしまった。私は名前ちゃんが泣いているのを初めて見た。
いつもは戸の開く音よりも大きな声で「戻りました先生!」と私に呼び掛ける声もなく、ただ誰が来たのか確認しに玄関に向かった私には強すぎる衝撃だった。戻ったことを伝える言葉も出ないほど嗚咽をもらしながら泣いていた。
しゃくりあげて震える肩に手を添えて顔を覗きこむと一層大きく泣く名前ちゃんを思わず抱き締めると背中に回った腕がぎゅう、と私の羽織を握るのがわかった。

これはきっとただ事じゃないわ、と抱き締めた腕に力を込めた。


泣き止むまで何も言わずに名前ちゃんを抱き締めた。とてもじゃないけど、何も言えなかった。どんな怪我をしても泣いたりしなかった名前ちゃんがこんな風に泣くなんて、私の想像以上の何かがあったとしか思えない。その日は「義勇さんにやっと食べて貰うんです!」と朝から大忙しだった名前ちゃん、きっと帰ってきたら色んな話をしてくれるに違いないと思って楽しみにしていたのに。一体この子に何があったのか、ずっと頭のなかをぐるぐると廻った。

「…ごめんなさい、先生」

ひとしきり泣いた名前ちゃんがそう言葉を発したのは丁度いつも名前ちゃんが小走りで帰ってくる位の時間だった。腕の力を弱めて目を合わせると酷い顔で笑う名前ちゃんが居た。あまりにも痛々しくて今度は私が泣き出しちゃいそうになった。

「あの、私……………わ、たし………………」

呼吸を整えながら何かを伝えようとする名前ちゃんはまたじわりと目に涙を浮かべた。
それは言葉を探しているようにも、伝えようにも口にするには苦しすぎるようにも見えた。何か言葉を紡ごうとする度に震える唇に、詰まるような息づかいに私は慌ててしまいそうになった。

「名前ちゃん!」

「!、は…はい……」

少しだけ大きな声が出てしまった私に名前ちゃんは少しだけ驚いた顔をしていた。
私は潤む目をしっかりと見て細い肩に添えた手に少しだけ力を入れた。

「言いたくなったら、言えるようになったら教えてくれればいいの。先生、とっても心配だけど…名前ちゃんがちょっとでも元気になる方が大事だと思うの。私、急いでないわ。」

とにかく、今は泣き止んで欲しい気持ちでいっぱいだった。
泣くことで楽になるのであればいくらだって泣かせてあげるけれど、そんな風には見えなかった。話すのも泣くのも、とても辛そうで。今私の継子に必要なものは休息じゃないかと思った。それが名前ちゃんが求めるものかはわからなかったけれど、名前ちゃんはとっても真面目で頑張りやさんだから。私から休んでいいと言ってあげなきゃダメだと思ったの。私は待てるし、時間は沢山あるって教えてあげなきゃダメだと。

「だって私、明日も明後日も、ずっと名前ちゃんの先生だもの!…だからゆっくりでいいと思うの。…勿論!名前ちゃんが話すことで元気になるなら私全部聞くまで寝ないわ!」

名前ちゃんはいつも私の話を、溢すことなく全部真剣に聞く。私も名前ちゃんの話はなんでも真剣に聞く。鍛練も、お洒落も、恋も全部一緒に考えながら。そうやって私たちは生活してきたの。可愛い妹のようだけど、沢山いる兄弟たちとは違う。突然始まった関係だったけれど、あの日一緒にご飯を食べて色んなお話をして一緒に頑張ることを決めた、私には勿体ないくらい可愛い初めての継子。この子がいつか私に教わることなんか何にもなくなったって、ずっと先生と呼んでもらえるように私も頑張ると決めたの。
可愛い名前ちゃんの一大事に、精一杯寄り添うことができなきゃ先生失格だわ。

名前ちゃんは私の言葉を真っ直ぐ聞き受けたあとぐっと眉間にしわを寄せてきゅっと唇をつぐんだ。
思わず頭を撫でると勢いよく名前ちゃんが私の胸に飛び込んで来た。

「…せんせえ、…今日は一緒に寝ても、いいですか」

細い声でそう呟いた名前ちゃんの背をゆっくり撫でた。
名前ちゃんが素直に甘えてくれたのだと私は解釈した。

「…勿論!!」

私はできる限りいつも通りの声色で、名前ちゃんに言葉を返した。
そのあと泣きじゃくってボロボロになっちゃった名前ちゃんと、一先ず一緒にお風呂に入った。湯船の暖かさに緊張がほどけたのか既に寝てしまいそうな程うとうととしている名前ちゃんとその日は夕飯もそこらにお布団に入った。泣きつかれてしまった名前ちゃんがぐっすり寝入るのを同じお布団で見届けたあと、そっとお布団を少しだけ抜けて急いで伊黒さんにお手紙を書いたの。
いつも伊黒さんが持ってきてくれる、名前ちゃんの好きなお菓子はどこで手にはいるのか聞くために。
明日きっとお腹を空かせて起きてくる名前ちゃんに、美味しいものを食べて貰うために、伊黒さんに名前ちゃんが泣きながら帰ってきたこと簡潔に書きしたためて相談した。
今私がこの子にできることはそのくらいしか思い付かなかった。
夜にごめんねと鴉に手紙を持たせて飛ばし、また名前ちゃんの寝るお布団に戻った。
いつもならお腹が空いて堪らなくなるはずなのに、夕飯も気にならず一緒にお布団に入って仕舞えるくらい私は目の前の継子のことが心配で堪らなかった。

朝陽で起きてしまった私の隣には、痛々しく目を腫らせたままの名前ちゃんがまだ眠っていた。今日はもうお稽古もお手伝いもなんにも必要ないと思って布団をかけ直して寝かせておいた。空気を入れ替えた方がいいかしらと思って窓を見やると、伊黒さんからのお返事が差し込まれていた。
お返事の内容はお菓子やさんの詳細はなくて、買ってこちらに出向くということだけだった。





「…そうか、」

「とにかく、昨日何も食べてなくてお腹を空かせてるはずだから、美味しいものをと思って…ごめんなさい、伊黒さん。ありがとうございます。」

「謝罪も礼も必要ない。俺が心配だっただけだ。…甘露寺は立派な師範だな。」

伊黒さんに手紙では伝えられなかった事を話して忙しいなか駆けつけてくれたことにお礼を言った。伊黒さんの称賛の声も今は名前ちゃんが心配で素直に受けとれなかった。

「…名前ちゃんがいつも通り美味しく楽しくご飯を食べられるように伊黒さんも協力してくれませんか?」

「…いつも通り、でいいんだな」

「はい!…それが正解か、解らないんですけど…」

「"先生"の甘露寺が言うんだ。それが正解だろう。」

伊黒さんはそう言うと、口許が隠れていても笑ってくれたのが解った。迷っていられない、とにかくやれることからやっていかなくちゃと私は一層奮起した。

いつもならとっくに名前ちゃんが起きていて、朝食も済ませて午前の鍛練をしている時間、私は伊黒さんを待たせたまま名前ちゃんのために色んなものを作った。
少しでも元気になってもらえることを祈って。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -