心臓を引きずり出されたようだった

一瞬、死んでしまったのかと思うくらいだった。

「………、…え…?」

聞こえていた鳥たちのさえずりも、吹いていた風の感触も、浴びていた陽の温もりも、この世の時間も。
無意識にしている呼吸も、瞬きも。ずっと義勇さんのことばかりだった頭の中も、義勇さんの隣にいると煩く騒ぐばかりの心臓すらも。
全部全部、全部。無かったみたいに止まってしまった。
義勇さんの言葉を一つ理解して、飲み込むだけのことが出来なくて真っ白になった。全部夢だったのかもしれないと錯覚するほどだった。何もわからなかった。
私を引きずり戻すようにぶわりと大きな風が吹いて私の視界を髪が遮った。反射的に閉じた目をゆっくり開けると義勇さんがこちらを見ているだけだった。どこからが本当で、どこからが幻だったんだろう。じんわりと鼓動が、意識が、呼吸が戻ってきて私という生き物を甦らせた。
私は、義勇さんから目を反らすことが出来なかった。

「…義勇、さん」

「…心配には及ばない事だ。変わらず、お前の家は穏やかだった。」

「…そう、ですか」

「主人も女将も、お前をいたく誇りに感じている様子だった。何も案ずる必要ない。」

「…それは…よかったです…」

いつもと何ら変わりのない声色ですらすらと話す義勇さんは私よりも家のことを知っている様子だった。私が鬼殺になる前、任務でなくともわざわざ足を運んでくれていた義勇さんだから、きっと私が知らないうちにまた様子を見に行ってくれたのだろう。私も誘ってくれたらいいのにと何度か言ったことがあるけれど、前もって予定して行っているわけではなく思い立った時に出向いているようだった。
義勇さんの冷静な声に私の意識も透明になっていく。
それと合わせて、嫌な汗が伝うような、不穏な感覚が私を段々と襲った。

「二人には迷惑をかけた」

「…迷惑…?」

「全部…俺の我が儘だ。俺に頼まれて、やってくれている。」

ひゅう、と呼吸が詰まって上手く酸素を取り込めなくなった。
義勇さんの視線が私を変わらず捉えて逃げ場等どこにもないと言わんばかりに私を少しずつ追い詰めた。何かの聞き間違いか、幻聴か、その類いのものだったのかと私に期待をさせた声色のまま、全て夢幻でも冗談でもなんでもないと。
感じたこともない緊張感だった。よもやこの感覚は緊張であっているのかも怪しいくらい味わったことのない感覚に私の手のひらはじわりと汗を滲ませて震えた。

「…名前」

そんな私をよそに、特別優しく呼ばないで

とは言えなかった。私を見る義勇さんの落ち着いた素振りと私が人生で経験のない程の何かにあまりにも温度差があって、頭が混乱しそうだった。
得体の知れない恐怖が私の背筋を滑り降りて私たちを暖かく照らしていた陽さえも感じ取れなかった。
この人に出会って初めて、もう何も言わないで欲しいと願った。
これ以上何も聞きたくないと首を振って視線を反らして耳を塞いだ。子供みたいだ。初めて私は、義勇さんを拒絶をした。

「名前」

先程よりも少しだけ力の籠った声がして、耳を覆った腕を掴まれた。



「鬼殺を辞めて、……見合いを受けろ。」



殴られたような感覚、なんてものじゃなかった。
心臓を引きずりだされたような、致命傷なんて負ったことがないから比べることなんかできないけれど。私が知る限り人生で一番、苦しいと体が訴えた。
いっそ何も聞こえないふりができたらよかった。
何も知らないふりをして、とぼけて笑い飛ばせればよかった。でもそんなこと、できなかった。私はずっとずっと義勇さんのことをたくさん知りたくて、義勇さんの仕草や表情の少しの変化をどうにか受け取ってきた。義勇さんは本気だと嫌でもわかった。

この人は私に他の誰かと一緒になれと言っているのだ。


「っ冨岡さん!!」

その声に掴まれた腕の力が少し緩んだのがわかった。
そっと顔をあげるとぐっと眉間に皺を寄せて見たことない顔をしている炭治郎が見えた。そうだった、さっきまで一緒にご飯を食べて、くだらない話をしていたんだった。遠い昔のことみたいだった。

「なんでそんなこと、俺も、きっと名前も納得できません!!」

炭治郎が義勇さんに詰めよって居るのが見えた。
見苦しいところを見せてしまった。子供みたいに嫌がって宥められるように言い聞かされて、炭治郎のことは頭にもなかった。
きっときまずい思いをさせてしまった。炭治郎は義勇さんと兄弟弟子にあたるのに。私のせいで何か拗れたら大変だ。
ぼんやりと何かやり取りをしている二人を眺め、そんなことを考えていた。
もう、よく解らなかった。

「とにかくちゃんと話を、」

「炭治郎、」

「!…名前」

炭治郎が義勇さんから私に視線を寄越すと自然な流れで目があった。
心配そうに私を見つめる炭治郎になんだか居たたまれなく感じて私は頬をかいた。
義勇さんに掴まれた腕をやんわりほどくと義勇さんは炭治郎から顔を反らしてまた私を見た。

「…帰ります。ごめんなさい、私…わ、たし…」

震える声をぐっと押し込んで努めていつも通りで居ようとした。
二人の側から立ち上がって、言葉を探した。
できるだけ笑って、何事もなかったみたいに、炭治郎が心配そうに私を見るから、平気だよって伝わるように。

「…あ、明日も!先生とお稽古だし!…長居しちゃって、ごめんなさい!」

それじゃあ、と二人の言葉を待たずに踵を返した。
炭治郎が一度私の名前を呼んだのを聞いたけど聞こえないふりをした。


見慣れた道を慣れた足が勝手に進んだ。
行きはここに来るのに随分空回って、炭治郎を巻き込んで大騒ぎしたから、なんだか道が広く感じた。
そんなことをふと思えば今日のことが走馬灯みたいに頭を駆け抜けた。

義勇さん、美味しいって言ってくれてよかったな。
炭治郎がなんでも話しちゃうから全部義勇さんにばれちゃったし、義勇さんもいっそ全部笑ってバカにしてくれたら恥ずかしくなかったのに全部聞き留めちゃうんだもん。
でもいつも付き合ってくれた炭治郎たちにも、先生にも、それから宇髄さんたちにもお礼と、報告しなきゃなあ。

「…報告、しなきゃ、なあ」

帰りかたなんか思い出さなくても、色んなことを考えていてもちゃんと足は先生の待つお屋敷に向いていた。
傾きだして隠れていく陽に照らされて真っ直ぐ前を見て歩くのは眩しく感じたから足元を見ていた。

「…っ、なにを、…どう言ったらいいんだろ、」

誰に話しかけているわけでもないけれど、胸に引っ込めておく場所が無くてぽろりと言葉が漏れ出た。それと合わせてぽたりと雫が地面に落ちるのを見た。
思わず立ち止まってしまった。

「っ…う、……ぎゆ、さ……っ」

絶対に嬉しい報告をするんだと決めていたの。
皆とってもとっても優しくて、ずっと私に頑張れって言ってくれていたから。あんなに頑張ったから大丈夫って言ってくれたから。私もこんなに手伝ってもらったんだから大丈夫だって思ってた。
勿論結果は大丈夫だった。
でも全然、大丈夫じゃなくなった。

「義勇、さ…っひ、う、…っぅ、」

なんで、どうしてって頭を廻っても誰も答えちゃくれないし、私じゃ答えは出せやしないのにそれだけが私の頭をしめた。
だって私、ずっと義勇さんが大好きなのに。
こんなに大好きなのに。
義勇さんにずっとずっとずっと恋をしてるのに。

義勇さんだって、知ってたはずなのに。

一度溢れだしたら止まらなくなった涙を必死に脱ぐって羽織を濡らした。炭治郎の前で泣き出さなかった私を褒めてやりたいくらい際限なく涙が零れた。あの場で強がった自分に驚きすらした。受け止め切れてなかっただけなのかもしれない。だって何が起こってるのか解らなかったんだもん。こんなはずじゃなくて、勿論こんなつもりもなくて。私はただ、ただ、どうしようもなく義勇さんが好きだっただけで。

先生が私に贈ってくれた羽織をこんな風に台無しにしたくはなかったけれど、そんな余裕は私になかった。
義勇さんの前で私を占めた緊張感とか、得体の知れない恐怖とか、人生で経験したことない程の「何か」が

失恋なんだと今更知った。
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