一生分の恋をしている
「はい、今日の訓練は終了です。お疲れ様でした。」
「お疲れ様でした!ありがとうございました!」
アオイちゃんが手を叩いて今日の訓練の終了を告げる。快方に向かう私に昨日から機能回復訓練が始められた。今まで同様、アオイちゃんとたまにカナヲが私の相手をしてくれている。体調も良く怪我も癒えつつある私の完全復帰は近いと思う。
「名前、お疲れ様」
「カナヲありがとう!」
カナヲが私に水と手拭いを差し出してくれる。さっきまで私と鬼ごっこしてたのに、涼しい顔をしているカナヲにはまだまだ敵いそうもない。
私は冷たいお水を気の済むまで体に流し込み流れる汗を拭いた。
「名前ちゃん!」
「!先生、」
名前を呼ばれて振り返ると扉の方から鮮やかな桃色が目に飛び込んできた。先生がぶんぶんと私に手を振って駆け寄ってくる。久しぶりに会った先生に喜びを隠せず跳ねるように私も先生に駆け寄った。先生に飛び付くと先生も私をきゅっと抱き締めてくれた。
「どうされたんですか!」
「勿論名前ちゃんに会いに来たの!」
先生は何か息巻いていた。
私の肩に手を添えて顔を覗きこまれじっと見つめられた。その仕草は母のようで姉のようだった。
「ぜーんぶ、聞かせてね!」
ちゃんとお団子持ってきたの、と先生は楽しそうに笑った。
「きゃ〜〜!!!ほんとに!?本当なの!?」
「………あの冨岡さんが?」
お団子を片手に先生は跳ねるようにはしゃいだ。しのぶさんは啜っていたお茶を落としかけ少し慌てていた。
先生はこの間私のお見舞いに来てくれたとき今度聞かせてと言っていた、その今度が今日だった。言葉のとおりお団子を持って。先生がしのぶさんを引っ張って陽の当たる縁側で始まったお茶会ははじまってすぐ白熱した。
「冨岡さんたらすてき!!きっと物凄く名前ちゃんを心配してたのね…!!」
「確かに…ここに着いたときもすごい血相でしたし、ずっと付きっきりでしたから…とは言え、あの冨岡さんが抱き締めるなんて、想像もできないですね」
「わ、私も…夢だったのかなと思うんですけど…」
話せば話すほど鮮明に思い出してしまう。熱の集まる頬に冷たい自分の手を当てる。こんなに鮮明に思い出せるのに、まるで夢のような話だった。勢い余って義勇さんに抱きついたとて、義勇さんは嫌な顔もせず受け止めてくれる。その度に義勇さんを世界一、近くで感じるものの抱き締められた時に感じたものとは比にならなかった。自分の小ささを知らしめられ、義勇さんは男の人なんだと、意識して自覚していたのに再度認識させられて。容易く包まれてしまった体が義勇さんのぬくもりでいっぱいになって、零距離とはこのことかと。
「夢なんかじゃない!冨岡さんは絶対に名前ちゃんが大切だもの!ああ!もうなんだかすごく焦れったくなっちゃう!」
「冨岡さんたら、普段あんな感じなのにやる時はやるんですねえ。」
「それにしたって、そのまま名前ちゃんを寝かしつけちゃうなんて…!それに名前ちゃんも寝ちゃったなんて…!」
「えへへ……義勇さんが居るとなんだかすっごく安心しちゃって……どきどきしてたのにぐっすりでした……」
私は盛り上がる先生を前に面目なくて恥ずかしくなった。人生で一番の出来事と言っても過言ではない大事件だったというのに、義勇さんに簡単に寝かしつけられてしまったのだから。あそこで、私がもう一歩踏み出して甘えてしまえたら何か違ったのだろうか。そんなこと考えたこともなかったけど。
私は義勇さんが大好きで、義勇さんの近くに居れればいい。優しい義勇さんの側に居たい。ずっとそう思っていた。
「…でも、なんだか怖いんです」
「?名前ちゃん…?」
「……自分が、わがままというか。…欲深くなっちゃいそうで、」
視線を下げて写った自分の手の指を絡めて遊んだ。機能回復訓練でぶつけたのか、ひっかけたのか、親指の爪が割れていた。
「…もう一度、ああやって、抱き締めてもらえないかなって。…そんなこと、思ったことなかったのに」
義勇さんに触れることを許されている、と思っている私は思うままに義勇さんに手を伸ばしてきた。それを拒まれたことも怒られたこともない。義勇さんはいつだって、私を受け入れてくれた。私が褒めてほしいと言えば撫でてくれた。ねだれば、義勇さんはいつも私のお願いを聞いてくれる。色んなお話を聞いてもらって、色んなことを教えてもらって、義勇さんの隣に居ることを当たり前に許されてきた。それだけでも十分なのに。それだけでこんなに幸せだったのに。
もう一度義勇さんに触れられたいだなんて。
図々しくて、わがままで、随分と貪欲なことを考える自分に驚いてしまった。はしたない、みっともない。
「…義勇さんに、幻滅されちゃいますかね」
いきなり話に重りをつけてしまったことを悔やんで努めて明るく、笑って見せた。先生たちにも幻滅されてしまうだろうか。女の子なのに、慎ましさが足りないとはわかっていたけど。まさか自分がこれほどとは。義勇さんに似合う女の人になりたいとあれだけ頑張ったのに。
上手に笑えていなかったのか、先生もしのぶさんも私を見て笑ってはくれなかった。
「素敵なことよ」
「…先生?」
先生は先ほどまでの勢いとは打って変わって、柔らかく笑って私の頬をきゅ、と包んだ。
「…どんどん欲しくなってしまうなんて、どれだけの物を与えられても足りないなんて。誰かにそんな風に求めてもらえることなんか人生できっと沢山はないもの。」
「…でも…はしたない、と思いませんか…私、」
先生の声がすごくすごく優しくて私の不安の隙間に沁みるようだった。先生が私の頬を優しく撫でてじっと私を見る。大きな先生の目に映る私は随分と湿気た顔をしていた。
「名前ちゃんは、恋をしてるんだから。それでいいの。」
私の髪をくしゃくしゃと撫でて先生はいつもの、花が咲き誇るような笑顔を見せてくれた。
私は先生から目を反らすことができなかった。
「誰も幻滅なんかしないわ!だってこんなに一生懸命、恋をしてるんだもの!」
先生の明るい声は陽だまりを更に暖かく感じさせた。しのぶさんがふふふと小さく笑っていた。
「そうですね、そんな人が居たら、こうしてやりましょうね」
「そうよ!私も手伝うわ!」
しのぶさんが握った拳をぶんぶん振って、先生も拳を上げて見せた。
何故かとっても目頭が熱くなった。
先生はたまに母のようで、いつも姉のようだった。けれど私の不安の隙間に沁みて暖かく解かしていく、先生はやっぱり私の先生だった。剣士としても、女の子としても、先生は私に色んなことを教えてくれる。
「きっと少しわがままでいいの。きっと誰だってそうだから、遠慮してちゃだめだと思うの!こんなに好きなんだから、仕方ないって教えてあげちゃいましょ!」
強気の先生はまた楽しそうに話した。私の頬が思わず上がって、声を出して笑ってしまった。
一生懸命、私はたった一人、義勇さんに恋をしている。
誰かを初めて好きになって、毎日同じ人のことを考えて生きている。今何をしていて、昨日何を食べていたのか。少しでも可愛いと思われたくて目一杯お洒落して。会いたい、触れたいと思ってしまう。
初めて好きになった人が義勇さんでなかったら、こうはならなかったかもしれない。
私に恋を教えた人。
あなたが私をどんどんわがままにさせてるなんて、あなたは知りもしないかもしれない。側に居られたらいいと思っていた私を変えてしまったのはあなたで、きっともう後戻りなんかできない。
この恋のやめ方を私は知らない。
きっと今、私は一生分の恋をしている。