綺麗になったと哀しむなんて

「名前、すごく喜んでましたね!」

「…ああ、」

名前を甘露寺さんのお屋敷に送ったあと、俺と冨岡さんは冨岡さんのお屋敷に帰った。
冨岡さんに淹れたお茶を持って行くと冨岡さんは日輪刀を研いていた。俺が突然話しかけると一瞬何かを考えたような顔をしたあとなんの話をされているのかわかったらしく簡単に相槌を打った。

帰り道に見つけたお店で冨岡さんが名前に髪紐を贈っていたのを思い出す。冨岡さんのにおいも、名前のにおいも、それはもう優しくて愛しいにおいがしたんだ。
とくに名前のにおいはとっても色濃くてその表情からも十分に受け取れたけど幸せの絶頂と言ってもいいような、ありとあらゆる幸せなにおいがした。嬉しさとか、喜びとか、いつも冨岡さんの隣にいるときに名前から香るにおいも一層濃くて。俺は人一倍鼻が効くから名前がどんなに喜んでるかを多分冨岡さんより遥かに理解していた。
冨岡さんは冨岡さんで、少し不安なにおいもしてた。名前が冨岡さんの言動に追い付けずにきょとんとしていた時なんかわかりやすかった。名前が素直に受けとるまで、ちょっと不安そうだった。なんとなく解る。人に贈り物をするって、喜んでもらえるかわくわくもするけど、不安にもなるから。そういうことなんじゃないかと俺は思っている。

「俺あのお店初めて知りました。冨岡さん、名前にあげた髪紐を外から見つけてあのお店に入ったんですか?」

「ああ、そうだ」

「やっぱり、あんまりにもじっと何かを見てたのでそんな気がしました。」

急に立ち止まってお店に入ってってしまった冨岡さんはずっと何か一つを見ていてそれ以外には興味がなさそうだった。お店には色んなものが置いてあったけど他を物色することはなかったし、即決で決めていたし。悩んでるようなにおいもしなかった。

「名前によく似合いそうでした!」

「…ああ」

冨岡さんは日輪刀を撫でつつ返事をするとなんだか優しくて穏やかなにおいがした。少しだけ表情も和らいだような気がする。

「名前はすごく驚いてました。冨岡さんが自分に贈り物をしてくれるなんてって、そんなにおいがしました!急に贈り物なんて、何かの記念とかだったんですか?」

冨岡さんはなんでそれを名前に贈ったのかについては話さなかった。さすがにそこまでにおいではわからない。あんまりにも急な行動だったし、名前もすっごく驚いていたし、贈るに相当する何か記念があったような感じではなかったから聞いてしまった。
俺は冨岡さんのことが大好きな名前が好きだし、なんだかんだと名前を大切にしてる冨岡さんが好きだ。出会ってからずっと二人の関係を見守っているけど、俺の知る限りでは冨岡さんが名前に贈り物をしているのは初めて見た。出先のお土産としてお菓子を買って戻ってきたりしてることは何度も見たけど、こんな風に何かを贈るのは他になかった。間違いないと思う。だって名前は冨岡さんと話したことも、それが嬉しかったことみんな、俺に話してくれるから。

「…随分綺麗になったと思った」

「え?」

冨岡さんは俺の問いかけに日輪刀を触る手を止めてぼそりと小さな声で言った。
日輪刀を鞘に戻してそっと側に置き思い直すようにまた黙ってしまった。
冨岡さんは部屋の開かれた窓から見える月に視線を動かしてじっと見つめていた。

「いつかどこかへ、行ってしまいそうだと思った」

月を見たまま視線を外すことなく小さな声のまま冨岡さんは続けた。うっすらと月明かりに照らされた横顔は寂しそうに見えた。さっき冨岡さんから感じた優しくて穏やかなにおいは少しずつ薄まって胸が少し詰まるような、切ないにおいがした。
俺は何も言えなかった。
てっきり健気に冨岡さんを慕う名前に、いつも頑張ってるからとか、ご褒美のようなものなのだとばかり思っていた。
予想していた理由など一つもかすりもしなかった。
俺は冨岡さんの言葉や、においから必死にその意味を汲み取ろうとした。

「…名前が…誰かにとられてしまうと、思ったんですか」

冨岡さんは視線だけ俺を一瞥してまた月に視線を戻した。冨岡さんから切ないにおいと一緒に、髪紐を贈ったときに香ったにおいとは少し違う、苦しくて重いような、不安なにおいがした。
言葉や、においだけでは冨岡さんの思ってること全部を知ることは難しいけれど、俺は色んな疑問に自分で辻褄を合わせて俺なりに理解した答えを義勇さんに投げ掛けた。
俺には名前が、冨岡さんじゃない誰かにとられてしまう気がしたという風に聞こえた。そういうことなんだろうか。これは名前が冨岡さんと幸せになってほしいと思う俺の都合のいい解釈なんだろうか。
冨岡さんは確かに名前をとっても大事にしてる。冨岡さんの回りにはそう思わない人もたくさん居るけど俺にはにおいで十分にわかる。でももしかしたら、それ以上の気持ちがあるんじゃないのかと思ってしまった。これも、俺が二人に幸せになってほしいと思うわがままにすぎないのかもしれない。けれど、どこかに行ってしまいそうだったから、髪紐を渡したのなら、どこにも行ってほしくなかったのではないのか。どこかに行ってしまいそうな名前を送り出したくて餞別に渡したのであれば、冨岡さんからこんな切なくて苦しいほど不安なにおいはしないと思うんだ。

冨岡さんは何も言わなかった。
何が不安なんですか、冨岡さん。名前は多分、冨岡さんの居ないところになんかきっと一生行きたいと言わないと思います。俺にはわかります。名前が、どれだけ、どんなに、どれ程、貴方のことを好いているのか。全部わかってるとは言いません。でも、俺がそう断言できるほどの想いを俺は名前の口から聞いて、においで感じ取ってるんです。

そう、言いたかった。

「あんなもので、繋ぎ止められるとも…繋ぎ止めていいとも、思わない。」

冨岡さんがやっと口を開いたと思ったらただそれだけ肯定でも否定でもない言葉が返ってきた。
俺はどうすれば、どう言えば欲しい答えが貰えるのかわからなかった。
冨岡さんが月からまた日輪刀に視線を戻し、手にとって立ち上がった。

「…忘れてくれ、」

最後にそれだけぽそりと呟いて、冨岡さんは部屋を出てった。
冨岡さん、あなたは名前が綺麗になったと言っていたけれど、誰のために名前があんなに綺麗になったのか考えたりはしないんですか。
誰が名前を綺麗にしたと思うんですか。
俺にはわかります。冨岡さんには、わからないんですか。

俺は一人部屋に残され、冨岡さんの置いていった湯飲みに映る月を見ていた。

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