遮る雲の先の陽を見たようだ
「参ったなあ」
まだ陽の高い時間だと言うのにもくもくと黒ずんだ雲が泣いているのを見上げて私は道に立っていた大きな木の下で立ち往生していた。
先生にご飯の支度にお使いを頼まれてその帰り、こんなにどしゃ降られるとは思ってもいなかった。朝干したお洗濯たちの安否が気になりつつ、いつ止むものかと困り果てるばかりだった。先生のおさがりでもらった羽織も隊服もぐっしょりと濡れてしまった。バケツを返したような雨にこんなところで見舞われるなんて。
回りに建物はない。勿論傘もない。だってとってもお天気がよかったものだから、道に咲くお花を見ながらるんるんでお使いに出たのだから。
今日は先生もなんの任務も入らなかったようで、書かなきゃならない報告書もなく、1日私に稽古をつけてくださったのだ。お屋敷に戻ってから丸1日先生が私の稽古を見てくだったのは今日が初めてで久しぶりに先生とたくさん話して動いていい汗をかいて自分なりに手応えがあった。そして先生が今日は一緒に夕餉を作りましょう!と言ってくださったのだ。お忙しい先生と一緒にお料理できることは多くない。そして先生が最近凝っているらしい、ハイカラなお食事を作るためにお使いに出たのに。
きっと先生も心配しているから、どうか早く止んでくれないものかとただ空を見上げるばかりだった。
「…何してんだ、お前」
「!!…不死川さん!」
空ばかり見上げていたら雨の音に紛れて聞いたことのある声が聞こえた。風柱の不死川実弥さんだった。ずぶ濡れの私をみていつものしかめっ面をさらにしかめて私の方へ歩いてきた。
「えっと、こんにちは!」
「じゃねェだろォ。傘はどうした。」
「持って出なかったんです…お恥ずかしい…」
「……」
「へへへ…」
不死川さんは私を見つめるばかりで何も言わなくなってしまった。
なんだか居心地が悪くて言葉を促すように、誤魔化すように笑ってしまった。不死川さんは小芭内さんとは違ってめちゃくちゃ厳しいし小芭内さんよりさらに怒りっぽい。めちゃくちゃ怒ってる、いつも。いつも怒ってるから、あんまり怖くなくなってしまったけど。
不死川さんは私から一瞬目を離して空を仰いでまた私を見た。
「オイ」
「はい」
「帰るんだろォ。早くしろォ。」
「え、え、あの」
「あ?」
「ま、待ってください…!!」
不死川さんはそう声をかけていきなり歩きだして行ってしまった。
どうやら傘にいれてくださるらしい。ここで待っていても埒があかないし、先生のところに早く戻りたいし、お言葉に甘えさせてもらうことにした。
不死川さんと話す機会はそうない。でも義勇さんからたまにお話を聞く。おはぎが好きらしく、以外と甘党なのだなと思ったのは記憶に新しい。隠の方々も、同じ隊士たちも、不死川さんを怖がる人は多い。勿論私も初めて会ったときはとっても怖かったのを覚えているけど、先生や義勇さんから話を聞いたり、実際に何度か会っているうちに別に怖がる必要はないのだなと思うようになった。こうして私を傘に入れてくれたり、多分、憶測だけど私に歩く速さを合わせてくれたり、本当は良い人なんだと思う。
ただやっぱり、不死川さんに何を話せばいいかはわからなかった。そもそもあまり会うこともない。共通する話題は鬼のこととか、任務のこととか、本当にそのくらいで。
とにかく、無言も居心地が悪い。こうして傘に入れてもらって助かったことを伝えようと不死川さんを見上げた。
「ごめんなさい、ありがとうございます。とっても助かります。」
「…別になんてことねェよ。」
「今度お礼をさせてください」
「いらねェ」
話を続けようと必死で勢いで言ってしまったがお礼と言っても何をすればいいのだろう。
もう私はおはぎを渡すくらいしか思い付かなかった。でも好物を差し上げるのは少し難易度が高いかもしれない。私が用意するものよりももっとおいしいおはぎをきっと知っているだろうし。でも私は不死川さんが貰って喜びそうなものを他には知らないし。どうしよう。
「…い、…」
「うーん…」
「おい!」
「っはい!ごめんなさい!」
「寝ぼけてんのかァ?…甘露寺んとこでいいのか」
「あっはい、そうです!すいません!おはぎでいいかどうか悩んじゃって…!」
「はァ?」
あっしまった。言ってしまった。つい。
は、として今さら遅いけれどつい条件反射で口をぐっと手で抑えた。
不死川さんは私を怪訝な顔で見ていた。自分でさらに居心地を悪くしてしまった。
雨はまだ止む気配もなく、ざあざあと私と不死川さんの上に降り続ける。
「…なんで知ってんだ」
「え?」
「……冨岡だなァ」
やっと不死川さんが口を開いたかと思えばどうやら、おはぎのことを言っているらしい。
突然出てきた義勇さんの名前に私は何故かどきりとしたけれど、そのおかげで何について問いただされているのかわかった。
言ってもいいのだろうか。私が口を出していいことなのかはわからないけれど、不死川さんは義勇さんにめちゃくちゃ刺がある。義勇さんも誤解をされるようなことを言ってしまうからだろうなとは思うけれども。不死川さんから義勇さんのお名前が出てくるときはいっつも怒ってるから。
何故か秘密を言ってしまったような、嫌な汗をかいてしまった。
「…えと…あの…」
「……」
「…そ、うです…いやでも違うんですよ!義勇さんは!不死川さんはおはぎが好きらしいから!あげたら喜ぶかもしれないって!義勇さんは不死川さんと仲良くなりたいんですよ!」
視線に堪えられなくなって白状してしまった。義勇さんは不死川さんと仲良くなりたそうだったから私が誤解をさせてしまってはまずいと思って必死に弁明した。
不死川さんは何も言わなかった。歩き続ける道はぬかるんでいて靴を汚していく。何も言ってくれない不死川さんにどう話せば義勇さんのことを悪く思わないで貰えるか考えるのに必死で気にもならなかった。いや、義勇さんは本当に何にも悪いことをしてないし、言ってもないのだけれど。
不死川さんにはそう聞こえたりしないかと、私もまた言葉足らずなのではないかと不安になった。
「うう……どうしてわかったんですか…義勇さんだって……」
「…ンなもん、お前と言えば、冨岡しかいねェだろ」
ばつが悪くなって狼狽えながら聞くと不死川さんは落ち着いた声色でそう言った。
どういうことか解らず不死川さんを見つめることしかできなかった。
そんな私を見て口あいてんぞ、と不死川さんに言われて恥ずかしくなって慌てて顔を反らした。
「えーと……どういう、」
「…あんだけひっつき回ってりゃそう見えんだよォ」
「ええ!」
「お前、よく飽きねェなァ。なんの才能だァ?」
「さ、才能だなんて、そんな」
「褒めちゃねェよ」
狼狽えた私はぱしゃりと水溜まりに勢いよく踏み込んでしまった。不死川さんは前を見て呆れたように話す。
普段から、先生や炭治郎、それから柱の皆さんにも義勇さんの話をすることは何度かあったけれど、不死川さんと義勇さんの話題になるのは初めてだった。いや、義勇さんについての話題かどうか、と言われると少し怪しいけれど、不死川さんが義勇さんに関する話題にこうして乗ってきてくれるのは身に覚えがない。というか、私も選んですることはなかった。
「…義勇さんと居るのは飽きたりしませんよ、多分未来永劫、ずっと!」
「…冨岡の野郎、なんの反応も見せねェのにか」
「なんの反応も見せない…?義勇さん、いっつも私にとっても良くしてくれますよ!いっぱいお話聞いてくれるし、とっても優しいんですよ!」
そう言うと不死川さんは私を横目に見ながら訳がわからない、という顔を見せた。わかりやすく顔に出るものだからビックリしてしまった。思ったより表情に出る人なんだなあ。
どうやら不死川さんはとっても義勇さんを誤解しているらしい。ここは挽回のチャンスだと思って私は義勇さんと不死川さんの仲を取り持つつもりで続けた。
「おはぎのことだって、私がみつけた美味しい甘味処でとっても人気があったのがおはぎで。義勇さんと一緒に行った時に不死川さんの好物だって教えてくれたんですよ!不死川さんが喜ぶかもしれないって言ってたんです!」
「……」
「それに義勇さんはいつも私が送る文には必ずお返事を下さるし遠くに出られたときはお土産を下さったりもするんです!ついうたた寝しちゃったときも、羽織をかけてくださったり、とっても素敵な方なんです!」
「……」
「ちょっとー!聞いてますか!不死川さん!」
「…俺には、お前がひっつき回って、適当にあしらわれてるように見えんだよォ。」
「えええ!?どーしてそう見えるんですかー!そんなことないのにー!」
なんだか私も意地が強くなってきてどうにかして義勇さんの好感度をあげようとムキになってしまった。
けれど不死川さんはあまり信じていない様子でもどかしい気持ちになった。義勇さん、ごめんなさい。私じゃ力及ばずかもしれません。悔しい。
「…俺はお前が可哀想に見えてたんだがなァ」
「え?」
「なんでもねェ、ほら迎えだぞォ」
「え!?」
不死川さんが立ち止まり私もつられて立ち止まるととても見慣れた景色が広がっていた。私たちが歩いていた道の先で、傘をさした先生がこちらに手を振っていた。
どうやら、先生が私を迎えにきてくれたようだった。
「先生〜!」
「名前ちゃん!と、えっえっ不死川さん…!?って、きゃー!名前ちゃん、びしょびしょじゃない…!」
「雨宿りしてたところを不死川さんが傘にいれてくださったんです!」
「そうなの…!ありがとうございます!ごめんなさい私がもっと早く迎えに行けば…!」
先生は私を見るなり絶叫していたけれどそれよりも不死川さんと私が一緒にいることの方が吃驚していた。
先生から私の傘を受け取り、不死川さんの傘から出た。
「不死川さん!ありがとうございました!」
「風邪引くんじゃねェぞォ」
「はい!気を付けます!不死川さんも、義勇さんと仲良くしてくださいね!」
「俺は馬に蹴られるのはごめんだァ」
「?馬?」
「そんなつもりもねェけどなァ」
「不死川さんったら…!ふふふ、名前ちゃん一体どんなお話してたの?」
「え?義勇さんは素敵な人だから仲良くしてくださいってお願いしてました!」
先生はなんだか気づいてしまったような顔をしていつものニコニコで私に話しかけた。
私はありのままに話すと不死川さんが大きめのため息をついてじゃあな、と言うので頭を下げた。
「不死川さん、名前ちゃんのこと、ありがとうございました!是非是非私にも名前ちゃんとお話したこと今度聞かせてくださいな!」
「ただの惚気話を聞かされただけだァ、そいつから直接聞け」
不死川さんは後ろ手で私たちに軽く手を振り行ってしまった。
先生はくすくす笑っていて、私はいまいち話の内容を汲み取れずに居た。
「たくさんお話したのね、名前ちゃん!」
「はい!こんなに不死川さんとお話したのは初めてでした!でもなんか、不死川さん、私が可哀想に見えるって言ってて…よくわかんなかったです」
「ふふ、そうなの。不死川さんね、ちょっと名前ちゃんのことが心配だったみたいなの。」
「ええ?」
「冨岡さんに冷たくされて辛いんじゃないかって、ちょっとだけ気にしてたの!冨岡さん、あんまりお顔にでる人じゃないし好意を無下にしてるように不死川さんには見えていたのかもしれないわ」
「え、えー!!?ど、どういう、えっと、ええ?!」
「不死川さんもね、とっても優しい素敵な人なの!」
雨の音なんか気にならないくらい、先生の言うことが頭に響いてびっくりした。それと同時になんだか温かく感じた。そんな風に見えていたのか。通りであの反応だったわけだ。全然わからなかった。からかわれているのだと思った。だってそんなこと、微塵ほどもないのだもの。だから可哀想だと言われたのも理解できなかった。
先生は鼻唄を歌い出しそうなくらいご機嫌だった。
私は私で、もう一度不死川さんとちゃんと話したいなと思った。
義勇さん、義勇さんが不死川さんと仲良くなりたいように、私も不死川さんと仲良くなりたいと思いました。
やっぱりお礼はおはぎにしよう。今度ちゃんと練習して、上手くできたら食べてもらおう。義勇さんも誘って、不死川さんと一緒にお茶できたらいいな。うん、それってとってもいい案じゃないかな。
水溜まりに写った曇天も、なんだか今なら晴らすことができるような気がしてぱしゃんと思い切り踏みつけた。