ねえヒーロー、僕に笑って
今日もこの街は平和だった。お天気もいいし、風は冷たいけれど日差しはぬくい。事務所の近くにある公園からは子供たちの声が聞こえてくるし、パトロールから戻ったサイドキックたちは「荷物持ちを手伝ったら貰ったんだ」と大量の蜜柑を抱えていたし、所長は「今日は奥さんの誕生日なんだ!」と朝から言い回っていて、サプライズするとはりきってプランを聞かせてくれたし。私の住む街はとても良い所だ。この街を守りたいと集まった、この事務所のヒーローたちも皆良い人ばかりだ。
そんな事務所で、卒業したての頃は慣れなくて苦戦した事務仕事も今じゃ難なくこなせるようになった。流石にもうすぐ三年目を迎えるこの仕事だ、出来ないことを数える方がずっと早い。請け負った出動要請の報告書や、事件事故の処理報告書、それから皆の勤怠に関することやヒーロー志望の学生インターンに関すること、やることは沢山あるけれど、全部私に任せて貰えることにやり甲斐と信頼を感じていた。都心に事務所を構える大きなヒーロー事務所とは規模は違えど、事務員の少ないうちの事務所で私はとても大事に育てて貰えたと思う。
右も左も分からない、ヒーローになれなかった小娘を立派な社会人にした所長へは沢山の恩義がある。夢を絶たれた私にきっと相当な気遣いをしてくれたと思う。
ヒーローになりたかった。ヒーローになれると信じていた。ヒーローになる夢をその手に掴んだ。その手は簡単に折れてしまった。私はヒーローには、なれなかった。
それでも私は今の仕事が好きだって胸を張って言えた。なりたかったヒーローに関わる仕事ができて幸せだと思ってる。この手で救える命はぐっと減ってしまったかもしれないけど、誰かを助けるために身を挺する人たちを支えることに意味はきっとあるから。
与えられた席で与えられたパソコンに向かって今日も書類を捌きまくる。ヒーローが持ち帰ってきた蜜柑をたまに摘みながら、与えられた仕事をこなす。
今日は来客の予定がある。来年春を目処に、我が事務所に所属するサイドキックのコスチュームチェンジを請け負う担当さんが決まったらしくご挨拶に来てくれるという。ヒーロースーツ、コスチュームは大切だ。ヒーローのイメージやトレードマークを作る。ヒーローの個性を最大限に生かすこともできるし、ヒーロー本人を護るために必要なものでもある。ヒーローをヒーローたらしめる、重要な役割を担うのだ。私は事務員としてヒーローと担当者を繋ぐ仕事をするだけだけど、新コスチュームがどんな風になるのか楽しみにしている。
「……やば! 応接室開けとかなきゃ!」
「お、誰か来るの?」
「そうなんです! 少し外すのでヒーロー達が戻ってきたら報告書忘れないように言っておいてくださ〜い!」
そう言って慌てて応接室の鍵を開けたのが三十分前。すぐにお茶が出せるようにポットの中に水を足しておいたのが二十分前。必要な書類を纏めて応接室に運んだのが十五分前。約束の時間より早く来訪があった為に慌てて玄関に降りたのが五分前。
「俺、雄英サポート科で……! ずっと先輩のファンだったんです!」
私の手を握って目を輝かせる、まだ幼さの残る彼が食い気味に私にそう言ったのが今。
玄関で待っていた、スーツを着た男性二人は間違いなく今日来訪を予定していたコスチュームデザイン会社の人だった。一人は以前一度お話したことのある私よりもずっと年上の人、もう一人は緊張が全身から漂うスーツに着られている新人らしき男の子だった。「お待たせしました!」と慌てて迎えたのもつかの間、私と目が合うなり男の子が私の名前を呼んで「ずっとファンでした!」と言ったのだ。
なんの事やらさっぱり分からない私に彼は自己紹介とばかりに雄英の名前を出した。なるほど、だから私を知っているのかとすぐに納得はした。ヒーロー科は良くも悪くも有名人ばかりだった。特に私の世代は。
「え、えっと……」
「また会えるなんて、ほんと感激しました……!」
「そそそそんな大袈裟な」
彼は私に「握手いいですか!?」と言い、それを隣で見ていたきっと彼の先輩にあたる担当さんに「こらこら、お仕事が先だよ」と笑われていた。
「そっか〜、体育祭かあ。だったらかっちゃん……爆豪くんの方が活躍してたんじゃない?」
「いえ! 俺は先輩が一番かっこよく見えました!」
予定していた打ち合わせが無事に終わって、私は後輩にあたる彼の話を聞いていた。
今回うちのサイドキックのコスチュームを担当することになったらしい彼は、これまでずっと新人として先輩デザイナーのサポートをしていたらしく、自分が担当として付くのは初めてだと言う。つまりこの案件は彼にとって初仕事になるそうだった。先輩デザイナーの指導の元、最高のものが出来るまで頑張りますと意気込みを語ってくれた。フレッシュで眩しすぎた。きっと彼は素敵なデザイナーになるに違いない。
「積もる話があるようなら、私は先に失礼しておくよ」と彼と私に気を利かせた先輩デザイナーさんは先に事務所を出られた。騒ぎを聞きつけた所長は話を聞くなり、「ファンサービスも立派なお仕事だ」と言って私に早上がりを促した。私は彼に新しくお茶を出して、昔話に花を咲かせていた。
「俺、先輩に憧れて雄英に入ったんです」
「ええ!?」
「俺はヒーローになれるような個性じゃなかったけど、ヒーローに関わる仕事がしたいと思うようになったきっかけは先輩でした」
「え、ええ〜〜〜なんか照れちゃうな……」
「カッコよかったです。ヒーローとか、縁遠い職業だと思ってたのにこの人が居る雄英って、何を学べるんだろうってすごく興味を持ちました」
私のいれたお茶を見つめながら、彼は私に何でも話してくれた。
生徒数の多い雄英で、私は彼のことを知りもしなかった。サポート科の知り合いはどの子も同学年の子で、後輩に知り合いは居ない。そんな中でも、彼は私を追って入学しサポート科を卒業したのだと言う。
「学校で見た先輩は、体育祭のときみたいにこう、カッコイイ感じじゃなくて……普通の女の子でちょっとびっくりしたのも覚えてます」
「やめてやめてちょっと恥ずかしい!」
「でもコスチューム着た先輩はいつ見ても頼れるヒーロー! って感じで! そこもやっぱり、俺がデザイナーになろうって頑張れた理由だったんだと思います」
「……そうなんだ」
くすぐったかった。彼の言葉が鼓膜に響いて、少しずつ体温に溶けていく。体の芯に伝わる熱が私を少しずつ温めていった。
彼の夢の始まりに、私が居る。そんなこと想像出来っこない。信じられない気持ちでいっぱいだった。まるでドラマの話を聞いてるみたいだった。
彼は想像以上に私のことを慕ってくれていたらしく、私のインターンでの活動やコスチュームの変化までとても詳しく知っていた。彼の話を聞きながら、こんな同級生居たなと笑いが込み上げた。
「……先輩が、事故にあったのを知った時、俺どうしたらいいかわからなかったんです」
「……ごめんね」
「先輩が謝ることじゃないです! ……せっかく先輩と同じ学校に通えたのに、勇気が出なくて話しかけられなくって、結局最後まで何も伝えられなかったのは俺で……今更ファンだったなんて言ったら、逆に傷つけちゃうんじゃないかって」
「……ふふ、優しいね」
ヒーローになると決まっていたあの頃の私は、ヒーローになれなくなった私に対して周りの友達が、大人が、戸惑っていたことを知っていた。その気遣いこそが、優しさの全てであることも知っていた。その優しさに救われたのも事実だった。きっと彼も、その優しさの一つだった。
彼はゆっくり視線をあげて目の前に居る私を見る。まあるい目が私をしっかり見つめてキラキラと光っていた。
「辛い思いをしたのに、あの後学校で見る先輩はいつも笑ってました。やっぱり、かっこいいなって思いました」
喉の奥がぎゅっと詰まって、胸が苦しい。目頭が熱くなるのを感じて、ぐっと息を飲んだ。
「俺、あの時決めたんです。大好きなヒーローを守れるコスチュームを作れるようになろうって」
どこまでも私を真っ直ぐ見つめる彼に言葉が出なくなっていく。
ちゃんと私を知ってくれていた人が居る。ただそれだけでこんなにも報われてしまう。一生懸命だったことを一緒に追いかけてくれていた人が居た。それがこんなにも幸せなことだったなんて知りもしなかった。
「まだまだ未熟者だけど、先輩のおかげで挫けずここまでくることが出来ました。これからも多分、先輩を思い出して頑張っていくんだと思います」
「先輩はずっと、今も俺のヒーローです」彼がそう言って涙を零すから、私の視界がぐにゃりと歪んだ。私はただ、「ありがとう」と返すことが精一杯だった。
私はちゃんと、誰かのヒーローだったらしい。彼が作るコスチュームが、大切なヒーローを護ってくれるだろうと、彼がうちの事務所を担当してくれることを心から嬉しく思った。