こんな私を傷まみれにして



 いつか傷は瘡蓋になって、綺麗に剥がれていくはずなのに、運が悪く痕が残って一生背負わなくちゃいけなくなったりするんだ。それでもまだ、傷口がぐちゃぐちゃに膿んでしまうよりは幾分も良いと思う。背負った傷も勲章だって誰かが言っていたように、そこに確かに在ったことを証明するものだと思えたならば、傷跡だって愛しく思えることだろう。
 別れてから一ヶ月が過ぎたって、私の生活はなんら変わりなかった。当たり前に穏やかな日々が続いて、本当に終わってしまった時は何でも呆気のないものなのかもしれないと思うようになった。
 もう振り返らないでおこうと決めて、雄英の頃からずっとホーム画面にしていた彼の写真を真っ先に消して、部屋に飾っていた彼を想わせる全てを片付けた。貰ったものを捨てるのはまだ少し勇気が足りなかったから、一緒に箱に詰めてクローゼットの奥にしまった。彼が泊まりに来た時に置いて帰った服や置き去りになったままの彼の私物も一つにまとめて、返せるタイミングがくるまでクローゼットの端にしまっておくことにした。全部思い出になったらきっと、ちゃんと整理できる日がくると思うから、忘れてしまうまで暗闇に隠した。
 いつかの未来でこれまでの事が、笑い話になって何も無かったみたいになあれと心の底から祈っていた。




「どぅわーーーーっ!? び、びっくりしたあ〜!」
「へへへ、久しぶり〜」
「なんで!? なんでおるん!?」
「所長が行ってこいってお休みくれたんだ〜!」

 数ヶ月前から休暇をとっていた今日、誰にも伝えず訪れたヒーローファンイベントで思惑通り同級生ヒーロー、ウラビティを驚かすことに成功した私はご機嫌だった。
 なかなか忙しい皆に会うことが出来ないのなら、会える場所に行けば良いのだ。ヒーローに憧れた私は勿論ヒーローが好きだった。頑張る皆を応援することはとても楽しいことだった。彼らの一ファンとして、ヒーローに会えることは私の喜びだった。
 今日のイベントにはウラビティの他にもチャージズマ、それから現在世代を問わずに人気を集めているデクが参加していた。ちびっ子ヒーローファンに人気のある三人が集まっていることもあって会場はファミリーも多くとても賑わっていた。こんなイベントに一人で来ることにもはやなんの躊躇もない。今や出久顔負けのヒーローファンとして皆に会えるイベントに足を運ぶようになった私は、どこにでも一人で参戦した。

「も〜! いつも来てくれるんなら言うてってあれだけ……!」
「毎度これだけ驚いてくれると調子に乗っちゃうよ〜」
「嬉しいけど! めっちゃ嬉しいけど!」

 照れているのかなんとも言えない表情で私を迎えてくれたウラビティに「サイン下さい!」と持参したサイン帳を差し出す。ウラビティは「私このサイン帳にサインするん多分五回目!」と笑っていたから「違うよ! この前書いてもらったサイン帳はページ埋まっちゃったからこのサイン帳は一回目!」と訂正したら吹き出して笑われた。彼女はいつも通り、快くサインに応じてくれた。

「もう他の二人には会ったん?」
「ううん、ウラビティが最初だよ」
「イベントのあと予定あったりする……? 他の二人とご飯行こーって話してるんやけど、一緒に行けたり……」
「いいの?」
「もっちろん!」

 サイン帳にすらすらと彼女のサインが滑って描かれていく。少し前までサインを書く手が震えていたのに、もう慣れたらしい手つきは軽快だった。思わず「上手になったねえ」と言えば「そりゃこれだけ貰いにきてくれたら上手になっとかな失礼やもん!」と彼女は少し自慢げだった。

「他のファンに贔屓だー! っていじめられたりしないかなあ」
「も〜 いっつもそんな冗談ばっかり」
「あはは、そうだよね。皆のファンにそんな人は居ないもんねえ」

 書き終えられたサイン帳には私の名前と一緒に「次は絶対女子会!」とメッセージが添えられていた。そう言えば少し前に別のイベントで会ったピンキーとそんな話をしたっけ。楽しいことに関して最も行動力の高い三奈ちゃんはちゃんと計画に動いているらしい。

「後で連絡するから、ぜーったい待ってて……!」
「わかった! へへ、楽しみにしてるね」

 そう言って手を振ってウラビティと別れると私の後ろに並んでいた小さな女の子が私にかわって彼女に駆け寄る。その様子を見ていると、小さな女の子の手にはペンで描かれたウラビティと同じ肉球があった。私はとっても誇らしい気持ちになった。
 その後イベントに参加していたプロヒーローに順番に会うことが叶って、チャージズマには「お前さ〜俺に会いに来る頻度実は低くねえ〜?」と疑われた。全くもってそんなことは無いし、結構足蹴く通っているつもりだったんだけど、学生時代のノリで「げっバレたか〜!」と笑い飛ばせば「ウソだって! 毎回会いに来てくれてるよな!? エッ実はそうなの!?」と自分でふっかけておいて慌てるチャージは面白かった。最後に「後でお前も合流すんの?」と知ったように聞かれて「お邪魔させて頂きます」とわざとらしく頭を下げて別れた。
 このイベントの目玉ヒーローと言っても過言では無いデクに会うのは少し苦労した。彼自身がヒーローオタクであるから、他のヒーローファンと話して盛り上がる様子はいつも通りだったけど、小さな子供たちに囲まれて引っ張りだこになっている彼は見ていて微笑ましかったし、彼らしかった。色んな子に写真をせがまれているデクを写真におさめれば彼とパチリと目が合った。すぐに抜けてくるのはきっと至難の業だろうから、軽く手を振るだけにした。デクはパッと笑って振り返してくれた。彼に貰う何度目かのサインはこの後合流した時にしよう。此処で彼のサインを貰うために待っている人達には少し申し訳ないけど、後でも貰える私がここを譲るべきだろう。




「お、きたきた〜」
「お邪魔します!」
「迷子にならんかった?」
「ヒーローデクが気を利かせて超丁寧な道順を送ってくれたのでなんの問題もなかった!」
「さっすがデクくん」
「僕は別に何もしてないよ、ホームページに書いてあったことをそのまま……」

 イベントのあと、三人が抜けてくるのを待っていたらメッセージアプリを経由して地図が送られてきた。彼らはメディアも注目するプロヒーローだから直接お店で合流する流れは想像出来ていた。少し変わった場所にあった料亭だったけど、分析の得意な出久から送られてきたメッセージで簡単にたどりつくことができた。
 案内された個室はお店の一番奥だった。なかなか一人じゃこないお店に待っているのは大切な友人たちだと思うとわくわくした。何せ、久しぶりに同級生と水入らずだったから。

「とりあえず乾杯しよーぜ!」
「せやねえ」
「お酒あんまりだったよね? ここノンアルコールカクテルも美味しいんだって」
「え〜! 出久さすがめちゃくちゃ気がつく……! プロになってどんどんいい男になってくね……!?」
「あはは、君は相変わらず褒め方にクセがあるまんまだだよね」

 久しぶりに近い距離で、ヒーロー名の必要が無い空間に既に心がふわふわと浮いていた。学生の頃一緒に生活していた時と同じように言葉が飛び交う。ヒーローになった彼らとこうして会える機会は多くない。ヒーローになれなかった私がこうやってプライベートを共にするのは、少しの劣等感は伴えど、ヒーロー事務所で働いてることも手伝って相変わらず共通の話題は多かったからそこまで気後れすることは無かった。誰もヒーローじゃない私を腫れ物みたいに扱ったりしなかった。だから声がかかればどこにだって出向いた。私はプロヒーローである彼らの前に、大切な同級生たちが大好きだった。

「ん〜 いざ酒が飲める歳になっても酒がないと生きてけねえって気持ちはまだわかんねーな〜」
「う〜ん私でんぴはお酒に呑まれるタイプだと思うからわからないままでいいと思うな〜」
「私もそう思う」
「僕も」
「緑谷お前結構言うようになったよなあ!」

 まだ慣れないお酒を少しずつ口にしながら、運ばれてくるものを堪能して、話題になるのは近況や他の同級生の話、最近の母校についてだった。少し前にインターンの受け入れの件で相澤先生に会った話をすれば皆口を揃えて会いたいと言ったし、ヤオモモがテレビCMに出ている話になれば出久も今度CMのお仕事を貰った話になった。お茶子ちゃんが今度チームアップでかっちゃんと仕事する話になれば電気が「こないだかっちゃんあの女優に声かけられてたのになんて言ったと思う!? うっせーブスだよ!? なくね〜!?」と頭を抱えていた。話は本当に尽きなくて過ぎてく時間がいつもの二倍、いや三倍のスピードに感じた。

「……そういえば、最近轟くんとはどうなの?」
「え」
「轟くん、超人気あるもんなあ〜 こないだテレビで付き合いたいヒーローランキング一位! って言われてた」
「アイツマジで年齢を増す毎にイケメン加速してるよな……」

 思わぬ方向に舵を切られた会話に思わずぎょっとする。いや、少しずつ皆に言っていくつもりだったし、会えば必ず聞かれていた質問だからタイミングを見て話そうと思ってはいたけど、急に来た。いや、急ってわけでもないか。同級生の話の流れで、この話題が持ち上がるのは当たり前のことと言ってもいい。私の心の準備ができていなかっただけだ。

「轟くん、忙しそうにしてるからさ」
「……そうだねえ」
「……え〜と、……ちゃんと会えてる、のかなって……?」

 きっとどのタイミングでこの話をしても空気は悪くなるだろうから、出来るだけ最後に回そうと思っていたんだけど、ここで嘘をついたって仕方がない。できるだけ気丈に、とっくの昔の話だとばかりに思い出を語るつもりで言い切ってしまわなきゃ。

「いやあ、轟のことだから忙しくしててもどうせべったりなんじゃねーの?」
「あはは、うーん、別れたんだよ、ね」
「……は?」

 空気が変わったのを肌で感じた。紛れもなく私の一言で、この個室の温度はぐっと下がった。皆が目を見開いて私を見つめていた。どうやらここに居る皆は誰も知らなかったらしい。彼はあんなに親しくしている出久にもまだ何も言っていなかったのか。

「別れ、た?」
「うん、そう」
「い、いつ?」
「少し前……、一ヶ月くらい前かな」
「……まって、マジ?」
「あはは、大マジなんだあ、これが」

 誤魔化すようにグラスに口をつければからり、と氷がぶつかる音がした。できるだけ波風立てないように、いつも通りを装ったけど心臓はバクバクとひどく音を立てていた。
 そりゃ同級生が破局した話なんか、誰も笑っちゃくれないと思う。皆私たちのことを応援してくれていたし、何事も二人で一つのように扱われてきたし、漠然とそれが続くんだと私も思っていたから。きっと皆もそれを信じてくれていたから。

「う、うそやろ……?」
「ううん、本当。……てっきり皆はもう、聞いてるかなと思ってたけど……焦凍、話してなかったんだねえ」
「……なんで? なんで別れたん……?」

 信じられないとお茶子ちゃんの表情が訴えかけてくる。できるだけ笑い話にしたいというのに、誰一人そんな雰囲気は無かった。皆の空気感にのまれてしまったらきっと私も痛手を負う。深く息を吸って気持ちを落ち着けようと試みたものの、そう簡単に私を縛り付け出した緊張感は消えてくれなかった。

「……他に、好きな人が出来たんだあ」
「……好きな、人……」
「うん、だから私が悪いんだ。焦凍のこと傷つけちゃった」

 彼についた嘘と同じ嘘をみんなにもつく。良心が痛まないかと聞かれれば罪悪感はあるけど、本当の理由を言えるはずもなかった。だって彼らはみんな、焦凍と同じヒーローなんだもん。ヒーローとして日々奔走する彼に、会いたいと言えない、会えないことが寂しいからなんて、とてもじゃないけど言えやしない。きっと優しい皆は自分を重ねて傷ついてしまうし、私の言葉を受け止めて何も悪くないのに罪悪感を覚えるに違いない。ヒーローじゃない私にヒーローの焦凍との交際はもう釣り合いが取れないなんて言えば最後、きっと皆はそんなことないと私を必死に慰めて元気付けようとすると思うから、この嘘で貫き通すんだ。全部私が悪くていい。だから彼に味方してやって、相応しい人を選ぶように言って欲しい。私も私に相応しい人と出会えることを信じて生きていくから。いつか全部が思い出になったら、この嘘の片思いも失恋にかえて笑い話にしてみせるから。

「や〜、なんかごめん、ちょっと空気悪くしちゃった! この話終わりにしよう!」
「いや、俺の方こそわりぃ……」
「でんぴに謝られるとさらに空気が重くなるじゃんか……別に隠してたわけじゃないからほんとに気にしないで! ていうかこんなじとっとされると気まづいじゃん……」
「や、そーかもしんないけどさあ……」

 話題を変えようと笑ってみせたものの、軽いノリがうりの電気が分かりやすくしょげていた。この中に悪い人なんか誰もいないのに、こうやって人のために感情を起伏させる優しい人ばっかりなんだ。私の大切な同級生たちは。
「気を取り直して乾杯しとく?」と電気に言えば彼は覇気のない声で「お〜……」と言った。

「……どんな人なん?」
「へ?」
「好きな人、どんな人なん?」

 私がグラスを片手に電気に乾杯を促した隣で、お茶子ちゃんが真剣な顔をしていた。思わずその表情にドキリとした。

「……素敵な人、だよ」
「……そっか」

 思いついた言葉をそのまま吐き出した。私の言葉にお茶子ちゃんはそれ以上掘り下げて来ることは無かった。







×
「#総受け」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -