欲しがったのはたった一つ僕のとくべつ
一緒にヒーローになるはずだったのに、コイツはもうヒーローになれないと知った時、俺は多分コイツに気の利いたことなんか何も言えなかったんだと思う。俺が覚えてるのはコイツの笑顔と、コイツの分もヒーローとして人を助けるって決心、はやく一人前になるって覚悟と、絶対失いたくねえって思ったことだった。
「……わたしが、ヒーローだったら良かったのに……」
肩を揺らして泣くのを見ながら、俺はまた何も言えなくなっていた。
俺なりに必死だった。多分それをちゃんとコイツは分かってくれていて、だから俺に必要以上に遠慮してくれていたんだと思う。
会いたいと思っても会いに行く時間をなかなか取れなかったのは事実だ。寂しい想いをさせてしまったのも当たり前だ。それを俺に言い出せなかったのは、コイツもずっとヒーローを目指していたから。ヒーローと関わって今生きているから、なんだと思う。
俺相手にそこまで気を使わなくていい。コイツは俺が優しいからと言うが、優しいのは俺じゃない。優しいのは俺は何も悪くないって全部飲み込もうとしていたお前なのに。
長く一緒に居て、泣いてる姿を見たことは無かった。しゃくりあげながらなく彼女はいつもよりずっとずっと小さく見えた。
元々俺よりずっと小さい彼女に久しぶりに触れた。その小ささに潰しちまいそうになった。一緒にヒーローを目指していた頃の頼れる背中はもうなくて、触れ方を間違えたら最後、一瞬で粉々にしてしまえそうな脆さだけがあった。
ヒーローだったらよかったと泣く彼女にはもう、ヒーローを思わせたあの頃の面影は何一つ残っちゃいなかった。
「私がちゃんとヒーローになれていたら、もっと、もっと焦凍のことをわかってあげられたかもしれないのに……っ同じ苦労がわかれば、寂しいなんて思うことも無かったかもしれないのに……!」
かける言葉が見つからない。たった一人で別の道を歩むことになった彼女の辛さを俺は知らない。ヒーローになった俺をいつも心配してくれて、いつも応援してくれた。だから頑張れた。
俺はずっと、貰ってばっかりだった。
揺れる肩、時折聞こえる鼻をすする音で彼女が泣いていることはよくわかるのに、手で覆われたその表情は隠されていてどんな顔をしているのか俺にはわからなかった。
「私が、私がヒーローだったら……っしょ、との……恋人は自分だって……胸を張って言えたかもしれないのに……っ」
嗚咽に負けて小さくなっていく声に必死に耳をすませて一言一句零すことなく聞き届ければ、まるで心臓を握りつぶされたみたいな締め付けを感じた。
なんて言った? コイツ、今俺になんて言ったんだ。やっぱりこいつもある事ないこと、信じちまったんじゃ。
伏せられた顔の下で目元をごしごしと拭う小さい手が動く。それにつられて揺れる髪に遮られて相変わらず表情は窺えなかった。
何か言葉を掛けてやるべきなのはわかってた。でも何て言えば正解なのかわからなくて、呼吸を整えようとすすり泣きながら深く息をする彼女をただ、ただ見つめることしか出来なかった。
ひくひくとコイツの喉が鳴るのを聞きながら、俺は爪が食い込むほどぐっと手を握りこんだ。どこで間違えたのかわからなかった。
「……そうやって、たらればばかりがチラつくのも嫌だった。なれっこないのに、ね……」
彼女が顔を覆っていた両手を徐におろして膝の上に置けば、垂れた髪の隙間から隠されていた表情が見えた。暗く影の落ちた表情からは、鈍いと言われた俺ですら悲しみ、というよりは空虚のようなものが読み取れた。
「焦凍を困らせちゃうのは嫌なのに、わがままになるほど会いたいのは私だけなのかもって考えちゃうようになって」
「っそんなわけねえだろ……!」
「わかってる……! わかってるのに、そう思っちゃうのが嫌だったの……! 焦凍を信じきれない私も、焦凍にこれ以上を強請る自分も嫌だった……!」
思わず話を遮るように発した俺の言葉に、コイツが頭を振って否定すれば髪が揺れて乱れる。
会えない日々が続いたのも、すれ違うのが日常になっていたのも事実だ。それは変えようがない。会いたかったのはお前だけじゃないなんて、言い訳したってしきれないかもしれない。そう感じさせてしまった時点で、俺の行動力の足りなさは明白だった。
決して俺を責めない彼女にいたたまれない気持ちになっていく。全部俺が悪いのに。一人にして、寂しい思いをさせて、不安にさせた俺が悪いのに。俺が謝ると俺は悪くないって謝るお前に、かける言葉が見つからない俺をいっそ怒鳴り散らしてくれればいいのに。
「こんな風に考えちゃうから、もうこの関係は私の身の丈に合ってないんだと思ったの、だから……だから別れようって言った」
吸った息が狭くなった気道をどうにか抜けてひゅ、と音が鳴る。
ゆっくりと彼女は顔を上げて俺を見る。ようやく交わった視線に、喜びよりも緊張が走った。
「……焦凍、別れよ……?」
「っいやだ……!」
嫌な予想ばかりが当たる。目を見て放たれた言葉にぶん殴られたみたいだった。心臓が痛くてはち切れそうだ。考えるより先に飛び出て言った言葉が拒否をした。
他に好きな奴なんか居ないんだろ。俺のことがまだ好きだって言ったじゃねえか。全部俺のためについた嘘なんだろ。そんな顔すんなら、もういいじゃねえか。
「お願い、お願いだから」
「俺のことが嫌いじゃないなら考え直してくれ……!」
「もう私じゃだめなんだよ……!」
「俺はお前じゃなきゃ駄目なんだ!」
本能に任せて出た言葉は想像以上に怒気を孕んでいて思った以上に大きな声が出た。俺の声に驚いたのか怯えたのか、びくりと肩を揺らしたコイツは唇を震わせたあと、何も言わずにきゅっと唇を結んでしまった。
「……寂しい思いをさせたのも、俺が察しが悪くてお前にばっかりしんどい思いをさせてたのも、それこそ全部俺の勝手だった」
みっともなく縋り付く俺の口から滑り落ちていくこれは懺悔だと思う。許されたいと心から願ってた。それはここまでコイツを一人にしたことに対する罪についてじゃなくて、隣に立つ権利を剥奪されてしまった罰についてだった。
「余裕、無かった。プロになって、忙しいを理由にしてた。お前が笑って許してくれるのに甘えてた。俺が優しいんじゃない。お前が優しすぎたんだ、俺に」
俺に対して一つも責めないこいつに、罪や罰なんて考えは無いだろう。怒りもしない、俺が謝れば謝り返される。自分のために別れを切り出したらしいコイツは俺を傷つけたと謝った。全部俺が悪いのに、全部俺が償うべきなのに。
そんな俺に突きつけられた別れはまさに罰だった。絶対失いたくないと思っていたのに、手放さなきゃならなくなるなんて考えもしなかった。コイツが幸せになるならと諦められたらカッコよかったかもしれねえ。けどそんなこと出来るわけもなかった。
ちゃんと謝って償いたい。できることなら隣に立って、これまで俺が出来なかったことを。与えられた罰とは違う形で、俺は許しを得たかった。
「……はやく独立したかった。独立して、事務所構えたらお前を迎えに行くって……勝手に決めてた」
触れてもいいのか、一瞬躊躇したものの堪えきれずに彼女の膝に転がっていた力のない手に手を伸ばした。俺の指先が柔らかい彼女の手に触れたらもう、考えるより先に繋ぎ止めたいとその手を強く握ってしまった。
「何言ったって言い訳にしかなんねえけど、お前が居なきゃこんなに頑張れたりしなかった。お前を想うとはやく一人前になりたくて、必死だった。お前が見てるって思ったら何でも出来る気がして、お前に託された分もって、俺なりに応えようとしてるつもりだった」
俺の思っていたこと、考えていたことがコイツにとって正解なのかわからない。多分、正解じゃないからこの手を離さなきゃならなくなったんだと思う。それでもちゃんと言わなきゃならないと思った。結果として全部すれ違っちまったけど、俺にとってお前が全部だったって。
「……強がらせてごめん。いつだって、俺を照らしてくれたのはお前だったから、俺が居なくても大丈夫なんだって多分そう思い込んでた。はやく迎えに行ってやりてえって、そればっかりだった。辛い思いをさせて悪いと思ってんのに、……お前が会いたかったって、寂しかったって、思って泣いてくれたならバカみてえに嬉しい」
黙ったまま俺の話をじっと聞く彼女の表情は、何かを堪えるみたいにぎゅっと歪んでいた。それがまた愛しくて、謝りたい許されたいと罪悪感が俺を占めてるはずなのに、ワケわかんねえ多幸感が湧き上がってくる。
コイツの目に俺が映ってるだけで、信じられないくらい安心した。
「……上手く言えねえ。気の利いたことも思いつかねえし、この先どうすればいいのかもまだわかんねえ。でも、でも」
俺の言葉に何も返さない、握った手を振りほどかない彼女をいい事にそっと距離をつめて、その目に吸い込まれちまうんじゃないかってくらい視線を絡めた。
「……お前がどうしようもなく好きだ、だから……別れたくねえし、他の奴に取られたくねえ」
泣いて赤くなった目はまだ潤んでた。彼女の濡れた睫毛の向こうで大きな瞳が揺れるのが脆くて儚くて、できる限り優しく言葉をかける。それにぎゅっと握りしめていた手がぴくんと反応したものの、その手を離す気には全くならなかった。
「ほんの少しでもまだ俺のことが好きなら、まだ俺のもんで居てくれないか」
目の前の彼女の額にこつりと自分の額を合わせれば、俺たちの距離は呼吸が触れ合う程に縮まる。
「絶対、今度こそ泣かせねえ。一人で抱え込ませたり絶対しねえ。……すぐに上手く出来るようにはなれないかもしれねえけど、二度とお前にそんなこと言わせねえ」
握った手を絡めとって手のひらを合わせるように握り直せば控えめに彼女の指に力が入る。小させえ手が壊れちまわないように優しくしてえのに、握り返されたか弱い力に歯止めが効かなくなっていく。思わずもっとと距離を詰めれば彼女の目が細められて、じゃれ合うように鼻を擦り合わせた。
「……好きだ。もう一度、あと一回だけでいいから、……俺と付き合ってくれ」
心臓の脈打つ音がうるせえくらい聞こえる。多分コイツにも聞こえちまってるんだろうな。
やっと酸素が全身に回る感覚がして、まるで生きていることを実感するみたいだった。まだなんの返事も貰ってないくせに、触れたことを拒否されなかっただけでこんなにも満たされる。
「……わ、わたし……きっと困らせちゃう……焦凍のこと、いっぱい困らせちゃうよ……」
「お前が他の誰かのもんになっちまうより困ることなんかねえ」
「めんどくさいって、疲れるって思われちゃうかも」
「お前が俺の事ばっかり考えて生きてくれたら俺は嬉しい」
「……わたし、ヒーローじゃないよ……?」
「……お前はずっと俺のヒーローだ。俺が、こんなに頑張れんのはお前のおかげだ」
身体を離してもう一度目を合わせれば悩ましく眉を寄せたまま、潤ませた目で俺をじっと見つめる彼女に気持ちが昂る。いつも俺を優しく勇気づけてくれた彼女とは違う、切なく甘えるような表情に体温が上がる。
「……こんなの、他の誰かに簡単に攫われちまう」
「え……?」
「……なんでもねえ」
見たことねえくらい可愛い顔するもんだから、さっきの光景が頭を過ぎって思わずぽろりと本音が零れた。俺の知らねえ男の隣を歩く姿なんか一生見たくねえ。心臓が止まったかと思った。もう手遅れかもしれねえって絶望した。きっとあと少し遅かったら、俺がいつまでもいじけてたら、取り返しがつかなくなってたんだろう。
怖くなって小さな身体に腕を伸ばして抱き寄せる。抵抗なく俺の胸の中まで倒れ込んできた身体に腕を回して、ぎゅっと力をこめる。このまま、何処にも行けねえように閉じ込めておけたらいいのに。
「……焦凍」
「ん……」
「だいすき……っ」
「っ俺も、だいすきだ」
小さな腕が俺の背中にそっと回されてぎゅっと服を掴まれたのが感触でわかった。抱きすくめた腕の中から聞こえた小さな声はちゃんと耳を通って脳に届く。信じられないくらい肩が軽くなって、俺の中から何かが消えたみたいだった。かわりにどっと湧き上がった多幸感に個性が洩れたんじゃないかと思うくらい身体が熱を帯びた。
「ごめん、ほんとごめんね……っ私何にも知らなくて」
「知らなかったのは俺もだから、お前は何にも悪くねえ」
「ちゃんと話せば良かったのに……!」
「全部俺のためだったんだろ、じゃあ全部俺のせいだから、もういい」
「でも」
「もういいんだ、お前が俺のこと好きなら、何もいらねえ」
二人寄り添ってまた泣いた。泣きすぎて頭痛えって言ったら、私もってコイツが笑ったから、俺もつられて笑った。初めて見た泣き顔も、久しぶりに見た笑顔も全部、意味わかんねえくらい好きだった。