その日は朝から烏の声を聞くことのない日だった。夜が近くなれば何かあるかもしれないが、正午を回った今時間を持て余していた。
そう言えば昨日、同期である名前が帰ったと聞いていたので少し顔を見るかと名前の生活する屋敷へ足を運んでみれば名前はいつでも出立できるようにと隊服で身なりを整えているものの今日は暖かいからといつも着ている羽織を脱いでいた。昨日帰ったというのに真面目な奴だ。昔からそうだ。

名前は俺がいつ訪ねたとて驚きはしない。俺が柱になる前からの付き合いでこうして時間を共にすることも決して不思議なことというわけでもない。俺が柱になってすぐのころ、こうして訪ねたときは柱として敬わなければならないと思ったのかたどたどしく俺を蛇柱様などと呼び堅苦しく敬語を使うのを一度咎めたことはあったが、立場が変わろうと俺たちに変化はなかった。

名前は俺をいつも居間に通す。居間は大きく開けられいつも丁寧に手入れをされているらしい庭が見え、天気の良い日はよく陽が差し込む。いつもと変わりない景色に溶け込むように俺は縁側に敷かれた座布団に腰を下ろした。
名前はここが気に入っているらしい。いつもここで縫い物をしているのを見る。

「変わりないか」

「勿論、怪我も病気もしてないよ」

「当たり前だこのお転婆」

程なくして名前が茶を持って俺の横に座った。俺に暖かい湯飲みを渡すとへらへら笑いながら俺がくるまで熱中していたであろう刺繍にまた手を伸ばしていた。
言葉の通り怪我も見受けられなければ病にかかってもいないようだ。お互い任務ですれ違っていたので顔を突き合わせて話すのは久方ぶりだ。とは言え、数週間ほどの話ではあるが。

「小芭内くんこそ、ちゃんとご飯食べてた?」

「お前に心配されるまでもない」

「そっか、良かった良かった」

そういえばこの間〜、となんてことない名前の世間話が始まった。俺はちくちくと針を進める名前を見ながらその話を横で聞いていた。針を持つ名前の手は小さくて白い。器用に糸をさばいていくのを見るのも決して初めてではないのだが、いつも注視してしまうのはこいつが少しばかり抜けている所があるからだ。器用で決して頭が悪い訳じゃないのだがどうにも任務以外では緊張感がなく大雑把なところもよく見受けられる。俺が世話をしてやらねばならないこともしばしばある。
いつもへらへら笑って誤魔化しているが俺は気が気でないこともしょっちゅうだ。
たらたらと間延びした声でやれ新しくできた甘味処がどうだなんだと話続ける名前は俺の心配など知りもしない。

「それでね〜そこのおはぎが、ってて、」

「!おい、大丈夫か」

「ビックリしちゃった、あはは、大丈夫〜」

「…派手に刺したな、見せろ」

言わんこっちゃないとばかりに名前の手を取り深めに刺したらしい血がぷくりと滲み出ている指先を見る。
白い指先に赤い鮮血は随分痛々しく見えたが当の本人は平気だとへらへら笑っている。小言の一つ二つくれてやろうかと俺が傷口から目を離し名前の顔を見ると、俺のことなど見てもいなかった。
自分の手先をじっと見て珍しく黙っている。なんだ、どうしたんだ。思ったより痛むのか?

「どうした、痛むのか」

「小芭内くんの手、おっきいねえ」

名前の手がするりと俺の手のひらから抜け出して空いた俺の手のひらに自分の手のひらを重ねてきた。
なんだこいつ、どういうつもりだ。俺の心配はそっちのけか?

「同じくらいだったのに、やっぱり小芭内くんも男の人だ」

俺の手のひらと自分の手のひらの大きさを比べるように合わせるとにこにこと笑って言った。
なんなんだ、どうしたいんだ、俺を。
変わりない関係をこうして築いてきたというのにこいつは。
俺より随分小さな手にいつぶりかに触れて胸のあたりが苦しくなる。
当たり前だろう、お前の言うとおり俺は生まれたときから男で、お前は女なんだ。
手の大きさだけじゃない、触れる手の柔さも、肌の温さも、全部俺とは違うんだ。昔からお前の纏う匂いも、暖かさも、声色も、その笑みだって、出会ったときと何も変わらない。それはお前が変わらず女であって名前だからだ。
解っていなかったのか。お前はずっと俺が、お前と同じ何かだと思っていたのか。甚だ理解に苦しむ。
俺はずっとお前のことを女だと思っていたというのに。

「ちょっと血は出ちゃったけど、もう止まったし、大丈夫」

俺が必死に思考を巡らせている中血の出た指先を一瞥してそう言って笑い、合わせた手のひらを遊ぶように指を絡めてきた。
こいつ、解ってやっているのならとんでもない女だ。承知しないぞ。

「もう子供じゃないんだもんねえ〜なんだか大人になった実感、あんまりないんだけど、っひゃ」

俺の手であそぶ名前の手を掴んで引きずり込んだ。勢いよくバランスを崩した名前は俺の胸にもたれこみ驚いた顔をしていた。そうだ、驚け。そして思いしれ、俺が男で、お前が女であることを。

「あまり煽るなよ、俺を」

「小芭内、くん?」

「何も変わらずに居られればよかったな。生憎変わらないことなど生まれたときに決まっていたことくらいのようだ。俺が男で、お前が女であること、その程度らしい。所詮俺は男で、どうしたってその事実は覆らない。お前がそう思っていなくてもな。」

「なに、どうしたの…?ちゃ、ちゃんとわかるように、」

「解ろうとしていない奴に解るように説明する程俺は馬鹿じゃない。お前が、俺を理解しろ。」

至近距離に身をよじる名前の体をぐっと引き寄せて身動きさえ奪うとこいつの体の柔さに興奮せずには居られなかった。
俺はお前の、俺にはない全てのものに身を焦がしているんだ。お前は昔から変わらない。変わったのは俺の中のお前への関心だ。
間抜けな奴だと思っていたのに、どうしてくれる。お前の言動全てが俺に名前は女なのだと俺に知らしめるんだ。
永遠など信じるたちではないが、壊す覚悟をするくらいなら今の穏やかなこの関係をどうか一生と思っていたのに。どれだけのことを堪えてきたのか、知りもしないで。いつもへらへら笑って済ませて。憎らしい。
お前は本当に何もわかっちゃいない。解らせようとしたこともないが、ここまでとは。

「俺に変化を望ませたことを精々詫びろ」

未だ何も理解が追い付いてない顔で俺を見る名前の顎を掬って唇に親指を這わせた。初めて触れた唇は壊れそうなほど柔く、俺のまだ知らない名前を知りたいと願わずには到底いられなかった。



唇の熱量を教えろ
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