失敗した。こんな大きな喧嘩になると思ってなかった。私が悪い、でも私が悪いだけじゃないと思う。
 玲王と同棲をはじめてもう二ヶ月が過ぎようとしている。庶民の私には縁遠いタワーマンション上層階、二人で住むには些か大きすぎるこの家は当たり前に玲王が選んで買ったマンションだ。エントランスからエレベーターを使ってこの家にたどり着くまでもそこそこ時間のかかるこの家はセキュリティがあんまりにも整っていて他の住民の生活音もしない。外に車が通る音も聞こえない。つまり私が閉じこもった寝室は私の啜り泣く声以外無音で兎に角孤独を掻き立てた。

 玲王と喧嘩した理由は玲王が決めた門限だった。私が心配だという理由で玲王はとっくに成人している私に対して門限八時と言いつけた。いやいや、残業したら余裕でそんなの守れないよ、と初めは笑っていたし玲王らしいなと思ってもいた。玲王の口から過剰なルールが飛び出してくることそのものは驚かなかった。だって玲王だし。あの時は「善処するね」と笑って受け流していた。
 ところが玲王は本気で八時までに帰ってきて欲しいらしく、八時前になっても家に居なければ「もうすぐ八時だけど今どこだ?」と連絡を寄越してくるのだ。私は素直に残業していれば「職場」と答え大体帰れる時間を連絡する。すると玲王が迎えに来てくれる。それは構わなかった。むしろ優しいと思っていた。ところが例えば飲み会だったり、友人と遊びに出かけていて八時を回ろうものなら「ちゃんと門限守らないとダメだろ」と玲王から小言を言われるのだ。最初受け流したせいで肯定と取られたそのルールは玲王によって厳しいものになっていった。
 結果として本日三度目の門限破り。玲王は本気で怒って私は泣きながら抗議。現在寝室に籠城中。
 正直舐めてた。玲王だって凪くんや千切くんと遊ぶんだから私が友人と遊んで少し遅くなることくらい想像できるだろうに、あんなに怒られるとは。いつも優しくてなんでも笑って受け止めてくれる玲王が怒るとこんなに怖いのかとビビり散らかして泣いてしまった。かっこ悪いし恥ずかしくてややヒステリックに言い返してしまった。
 玲王がこの門限に本気なんだと気づいてから勿論努力はした。でも門限八時なんて成人した今無理がある。休日時間を割いてくれた友人達に門限のことを伝えるのもしんどかった。私だって友達と仕事のことを忘れて思い切り遊びたいから予定をつけているわけだ。時間をチラチラ気にするのも疲れるし、失礼だなと思う。門限を理由に席を立てば周りに「彼氏ちょっと束縛強キツくない?」と玲王を異常な恋人のように扱われるのには特にもやもやした。
 最初からちゃんと話し合っておけばよかったのだ。そんなことわかっていて、ちゃんと後悔している。泣き止んでちゃんと話せるようになったら玲王に謝ってちゃんと相談しようと思う。でもまだ涙がとまらない。怒られるなんて大人になってからほとんど無かったから、びっくりしてしまったんだと思うけど。
 玲王はまだ怒ってるだろうか。玲王と喧嘩したことなんか無いから怒った玲王がその後どうなるのかわからない。玲王ちょっと極端だから別れようとか、そんな話になったりしたらどうしよう。想像に不安な気持ちが膨らんでどんどん気が小さくなっていく。閉じこもったはいいものの、どうやって出ていこう。玲王は今何してるんだろう。

「なあ、」

 扉が叩かれる音と名前を呼ぶ声に肩が揺れた。扉の向こうに居るのが誰かなんて考えるまでもない。玲王が寝室の扉の向こうに居る。
 玲王の方から声をかけてくれるとは思っていなかった。心臓がバクバクと音を立て出して緊張感が私の呼吸を苦しめる。辛うじて「なに」と返したものの嗚咽で上擦った声は玲王に届いたか不確かだった。

「……入っていいか?」

 玲王の声はいつもよりなんだか弱々しく聞こえて、怒気を感じないものだった。怒ってはいなさそうで少しだけ安心した。
 入っていいかと許しを乞われて少しばかり思案する。まだ涙でぐちゃぐちゃの顔を袖で拭って一度深呼吸をする。思ったよりも早く向き合うチャンスがやってきて、まだ何も整理出来ていないまま扉へ向かって足を進め、返事の代わりにドアノブを引いた。

「……目ぇ、真っ赤だな」
「……れお」
「ごめん、怖かったよな」

 ゆっくり開いた扉の向こうにはすごく悲しげな顔の玲王が居た。私を見るなり両腕が伸びてきて優しい動きで引き寄せられる。ああ、よかった。いつもの玲王っぽい。怒ってる玲王じゃない。

「……ごめんなさい」
「ううん、俺もごめんな。怒ったりして」

 何から話せばいいか分からなくて一先ず仲直りを試みる。玲王はちゃんと許してくれて一安心した。抱きしめられるままその身体を頼りに寄り添う。玲王はぎゅうぎゅうと抱きしめる力を強くした。

「門限、破りたかったわけじゃなくて」
「わかってる、そんなつもりないってちゃんと」
「でもやっぱり、せっかく友達に会えたのにって思っちゃうし」
「そうだよなあ」

 玲王は私の言葉にちゃんと耳を傾けてくれた。甘えるように胸元に擦り寄れば私の頭に玲王の手が乗って優しく撫でられる。

「でも俺も意地悪したかったわけじゃなくて、ホントに心配で気になるから、早く帰ってきて欲しくて」
「……わかってるけど……」
「せっかく同棲始めたのに、一緒にいる時間が短いなんて寂しいしさ」
「……そうかも、だけど……八時はちょっと早いし……それに」
「それに?」
「……門限の話すると、友達が彼氏束縛キツくないかって、皆が玲王の悪口言い出すから、嫌」

 私の頭を撫でる手が止まる。急になんの反応も見せなくなった玲王を不思議に思って見上げると、目を丸くして私を見つめる玲王と目が合った。「玲王?」と呼びかけても玲王はじっと見つめたまま動かず、ぺちぺち叩けば突然大きなため息を吐いてさらに強く抱きすくめられた。

「えっ何? 何?」
「もお〜〜〜俺のカノジョかわいい〜〜〜……!」
「えっなんで? 今どこにその要素あったの?」

 突然いつもの調子で私を愛で出した玲王に混乱する。首元で頬ずりするようにぐりぐりと懐いてくる玲王に疑問符がとまらない。なんでこうなったのか分からないけど仲直りは成功したと思ってよさそうだ。私の涙もいつの間にかスッパリ止まっていた。

「そっか〜〜〜俺お前の友達に束縛ヤベー奴だと思われてんのか」
「まあ、うん……そう……」
「だって心配なんだから仕方ないじゃん、な?」
「え〜」
「でもお前の友達が俺たちの結婚式に来るって時にそんな風に思われるのはちょっと心外だしなあ」

 突然話が飛躍して完全に玲王が通常運転にハンドルを切ったことを察する。さっきまでのしおらしさは何処に行ってしまったのだ。玲王らしいけど、あの喧嘩はなんだったのだ。いや仲直りできたらからいいけども。
 玲王は私を抱きしめたまま「う〜ん」と考えるように唸ったあと「じゃあ八時を過ぎるなら俺がついて行くのは?」とまるで名案かのように提案された。「それもっとヤバい彼氏だよ」と言えば「何でたよ世の中のカップルどうなってんだよ」と納得いかなさそうに言い返された。

「せめて九時! 九時にしてほしい!」
「無理! 本音を言えば六時に帰ってきて欲しい!」
「小学生じゃん〜!」
「八時以上は譲歩しない! 心配で死ぬ!」
「大丈夫だってば私玲王がGPSつけてるの知ってるんだから!」
「な、バレ、いや、えっ知ってた!?」
「知ってた! 友達にバレたらヤバいと思って知らないフリしてた!」
「だって気になるんだから仕方ないだろ〜!?」

二十時に時限爆弾
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