「んん?」

 俺の愛用するSNSはその話題で一色だった。
 幼い頃からサッカーが好きでいつの時代も部活はサッカーを選んできたし青春と呼べるものは全てサッカーに捧げた。社会人になった今も会社のサッカー仲間と休みの日にフットサルをしたり試合観戦をしてプライベートは相変わらずのサッカーまみれ。俺からサッカーは切っても切り離すことはできない。サッカーで食っていくことはできなかったけど、サッカーのために生きていくことは変わらない。
 それはSNSにも色濃く反映されていて俺がフォローしているアカウントはどれもサッカーに関わるもので仲良くしているフォロワーさんも皆サッカーファンだ。俺のタイムラインは朝の通勤ラッシュの時間帯だって国内外のサッカーに関する情報が飛び交っている。そこで真っ先に飛び込んできたネットニュースに思わず目を奪われた。

『日本の至宝に熱愛! お相手は一般女性か』

 いや、そんなまさか。満員電車に揉まれる中思わず言葉にしそうになったのをぐっと堪えて記事の詳細をタップした。
 日本の至宝、その言葉は昔からたった一人、糸師冴を表す言葉だ。俺と同世代にも関わらず十三歳という年齢でスペインに渡りその名を轟かせたまさに日本サッカー界の宝のような男だ。サッカー以外に興味を示さない、世間に全く媚びを売らない塩対応もあらゆるメディアで晒され続け今じゃそれが「キャラクター」として成り立ちウケている。何より顔が良いのもあって女性ファンが多い選手だ。サッカーできるだけじゃなくてイケメンってのが与えられすぎてるよなあ。サッカー上手いだけでクソカッコイイのにさあ。まあその顔の良さもあの塩対応でイーブンかもしれないが。いや逆か、イケメンだからあんな塩対応でもファンがついてくるのか。いやそんな訳ないだろ、糸師冴はサッカーがクソ上手いから人気のある選手なんだよ。
 話が逸れた。違うそうじゃない。そう、あんなにサッカーしか興味のないサッカー人間に熱愛なんて正直驚いてしまった。だって過去にあれだけわかりやすく著名な女優やアナウンサーが好意をチラつかせていたのを一刀両断でバッサリ切ってきたのに。あの糸師冴に熱愛。マジかよ
 半信半疑で開いたネットニュースの記事の見出しにデカデカと写された明らかなパパラッチ。何度も試合でその姿を追ったからよくわかる糸師冴で間違いないだろう男と並ぶ女性の背格好に、なんとなく既視感があるような気がした。





「そうそう、そうだ。見た?」
「え? 何を?」
「至宝の熱愛」
「エ」

 会社の一員として与えられてから随分と座り慣れてしまったデスク備え付けの椅子から隣に座っているであろう彼女に向かって声をかける。同期で入社して、彼女がサッカーファンだと知って二年。彼女も会社のサッカー仲間の一員だった。流石に彼女はフットサルしたりしないけど、ワールドカップが開催される時期は皆一緒に有給取って観戦したりして、それを同じ熱量で楽しめる子だった。正直言って好きだった。そりゃこんな可愛い子が同じ趣味を楽しんでいるなんて、気にならないわけがない。だから毎日彼女に話しかける口実を探していた。勿論俺の生活のほとんどは仕事とサッカーで出来ているのだから話すことのほとんどは仕事の話かサッカーの話しかないけど。

「意外だよな、女とか興味無さそうだな〜って思ってたからさ〜」
「あー、そうかも……?」
「オフシーズンとは言え日本に戻ってるってのも結構吃驚した。だって昔は殆ど日本に戻ってなかったって話だったし今もそうなんだと思ってたからさ〜」
「そう……だね、確かに」
「相手一般女性って噂だけど……そういやちょっと君と雰囲気似てるかも?」
「えっいやいや……あはは、褒めすぎだよ」

 カタカタとオフィスのあちこちから鳴り続けるキーボードのタップ音に彼女の返事はやや負けていて歯切れが悪かった。この話題は若干ミスったかもしれない。いつもなら可愛く笑って楽しげに話を聞いてくれるのに、彼女の表情はどこか浮かない感じだった。彼女は糸師兄弟揃って応援してるから、あの二人が話題になればすぐ彼女に話を振ってしまうクセみたいなものがついていた。彼女はあんまり選手の熱愛とか気にするタイプじゃないと思っていたけど、もしかして結構気にする方だったりしたのかも。実際俺のタイムラインの一部層では阿鼻叫喚だったしなあ。慌てて彼女を持ち上げるような言葉で話題の方向性を変えてみたけれど彼女は困ったように笑うだけだった。ヤバいな、絶対ミスった。

「えーと、あ、そう! 今日行くんだよな?」
「あ、うん。参加するって返事してあるよ」

 気を取り直して完全に違う話題を彼女に投げかける。主語の足りない俺の言葉を彼女はすぐさま理解して首を縦に振った。以前から予定されてた、スポーツバーを貸し切って行われる他部署の部長主催の飲み会に彼女も参加するらしい。付き合いのいい彼女はきっと来るだろうと思っていた。俺も誘われた時は二言返事で参加を決めた。なんてったって主催の部長がこれまた熱心なサポーターだからだ。楽しくなることは見えていた。

「お、やった。じゃあ店まで一緒に行こう。俺一回戻ってくるつもりだし」
「あれ、そうなの? 直帰でも何も言われないんじゃない?」
「せっかくだしさ」

 彼女は俺の言葉に首を傾げる。まあ確かに、外回りからそのまま店に直行するのが一番早いんだけど、それはちょっと勿体ない。
 俺は彼女に定時には戻ってくることを伝えて軽い約束を取り付け荷物を纏めた。彼女は外回りに出る俺に「いってらっしゃい」と手を振ってくれた。ちょっといいよな、こういうの。そう思うと外回りもまあ悪くない。





「お、来た来た」
「……みんな揃ってんじゃん」
「そーそー、今日が楽しみで皆揃って定時退社だよ」

 浮き足立つ気持ちで外回りからオフィスに戻れば俺のデスクの周辺、つまり彼女の傍には数人の同期。全員が今日の飲み会に行くメンバー。誰より先に先手を打ったつもりが一番出遅れる形になったかもしれない。漏れ出そうになるため息をぐっと飲み込んで、その輪の中に俺も入れば荷物を纏めている最中だったのか鞄の中に手を入れている彼女がこちらを見た。

「おかえり」
「……ただいま」
「お疲れ様」

 今のやり取りで全部チャラ! 些細なやり取り全部に気持ちが浮き沈みするこの感じ、なんかいいなあと思うのは病気だろうか。まあ恋の病とか言うもんな。何言ってんだろう俺、外回り張り切りすぎて変になったかな。

「そんじゃあ、とりあえずみんな揃ったし行くか〜」
「部長先にもう着いてるらしいぞ」
「張り切ってんな〜」

 今日の参加者たちは仕事を終えた達成感と羽目を外す期待感で心地の良い雰囲気だった。俺は彼女に「行こうか」と声をかける。彼女はいつものようにニコニコと笑って「うん!」と元気よく返事してくれた。かわいい。
 そこそこ上層階に位置する俺たちのオフィスからエレベーターを使って降りていく。エレベーターの中でもすでにサッカーの話題で溢れていて先程まで仕事をしていたなんて嘘みたいだ。俺の隣に並んだ彼女も話の輪に入って驚いたり笑ったりしていた。かわいい。
 エレベーターを降りてロビーを迷わず進みエントランスの自動ドアを皆で通り抜けていく。首にかけた社員証を皆がなんの合図もなく外し出していよいよ社会人の呪縛を解いた。先頭を歩いていた同僚が店の場所を調べるべくスマホを握ってマップを確認している後ろをついて歩く。会社から歩いて行ける距離だと聞いていたものの、誰も具体的な道順は知らなかった。

「エッ」

 あの交差点を右だとか左だとか、そんな話をしていたら彼女が隣で小さく声をあげた。何事かと思って隣を見れば彼女はどこかを見つめて大きく目を開いていた。

「どうかした?」
「な、なんでもないごめん」
「なんでもねえわけねぇだろ」

 慌てたように彼女は首を振って誤魔化した。それはまるで何かを隠すようだった。どこからともなく別の誰かの声がして俺は思わず彼女が見ていた先に視線を向けた。

「……エッ!?」
 
 次に声をあげたのは俺だった。俺のあげた声に皆の視線が集まるのが視界の端でわかるものの、俺の目は一際存在感を放つ存在に釘付けだった。

「い、糸師冴!?」
「やば、本物!?」

 全員が足をとめてその存在に驚きの声をあげた。高そうなサングラスを掛けていてもそんなもの変装とは呼べない、どこからどうみても糸師冴だった。何度も何度もメディアを通して見た、本物のサッカー選手の糸師冴が往来に居て、機嫌悪そうにこちらに向かって歩いてくる。いや、機嫌の良さそうな糸師冴なんか見たことないけど。

「真っ直ぐ帰って来いって言っただろうが」
「だ、だから何回も先約があるって言ったじゃん……!」

 え。なんだ、何? 何が起こってる?
 俺の隣に立つ彼女が糸師冴に向かってなんか言ってる。彼女は持っていた荷物をぎゅっと抱き締めて困ったような顔をしていた。糸師冴はかつかつとこちらに向かって歩いてくる。いや、わっかんないって。

「俺がわざわざお前のために戻ってきてんのに他に優先するもんなんかねえだろ」
「冴よりもずっと先に約束してたって説明した!」
「だから何だ」
「だっだからなんだ……!?」
「野郎と並んで歩いてんじゃねえタコ。浮気すんなら閉じ込めんぞ」
「い、言い方……! どう見てもそんなんじゃないじゃん〜……!」

 皆が糸師冴に道を譲るようにしていつの間にかあの、あの糸師冴が俺の目の前に居た。糸師冴は彼女のすぐ正面に立ち止まって何をするかと思えば勢いよく彼女の鞄をふんだくった。彼女は糸師冴の行動に慌てた様子で「ちょっと!」と声をあげるも糸師冴は相手にする様子すら見せず、俺たちを見回してばちりと俺と目が合う。

「……ッチ、」
「さ、さえほんと、目立つから」
「うるせえ。帰るぞ」

 糸師冴が舌打ちした。美形の舌打ちが普通に怖くて思わず肩が揺れて心臓に嫌な緊張感。もう何にも言えなくて二人の会話をただ皆が凝視して聞くだけだった。糸師冴は踵を返して来た道を戻ろうとする。彼女は慌てて糸師冴にとられた鞄に手を伸ばすも、ほんと一瞬で何がどうなったかわからないうちに糸師冴の腕に腰を抱かれていた。

「さえ……!」
「うるせえ騒ぐな目立つだろ」
「っ、ご、ごめんなさい! また穴埋めします……!」
「するなそんな事。さっさと仕事辞めろって言ってんだろ」

 彼女は諦めたように糸師冴の足並みに合わせて忙しく足を動かしながら振り返って俺たちに謝った。見てることしかできなかった俺たちはその後ろ姿を見送る。先頭を歩いていた同僚だけが辛うじて「気にしないで」と慌てて腕を振っていた。

「お前いい加減誰のモンなのか自覚もてよ」

 遠ざかっていく二人の声が少しづつ小さくなっていって、最後に聞き取れたのは糸師冴の言葉だった。彼女は糸師冴から離れようとしているのか身体を捩りながら糸師冴に何か言っている。抗議してるんだろうか。怯んで何も言えなくなった俺とは大違いだ。

「……え、何? なんだったんだ今の、夢?」

 二人の背中が完全に見えなくなるまで俺たちはそこに立ちすくんでいた。誰かが現状確認の言葉を零して現実に引き戻されるようだった。ぼんやりと脳裏に残る、あの二人の後ろ姿が今朝見たネットニュースと重なった。



 週明け、出勤すれば必ず俺より先に来ていた彼女はデスクに座っていなかった。空っぽのデスクをぼんやりと見つめながらそりゃそうか、となんとなく納得してしまった。
 彼女が糸師冴に拐われるように連れて行かれたあの日、予定通り飲み会に行ったものの、口の軽い同僚は「糸師冴に会った!」と嬉々として語ってしまい、事の顛末全てを話してしまった。俺を含む数人は話すことじゃないのではと慌てたけど、そこに集まっているのは全員フットボールを愛した人間たちだったのだ。どんな理由であれあの糸師冴に会ったという事実に興奮を隠せないのは皆同じだった。糸師冴のスキャンダルは事実で、その相手が隣に座っていた彼女だったなんて。自分はなんにも関係ないのにすぐ傍に存在していた非日常を思うとドキドキした。
 彼女が仕事を休んで三日後、彼女が仕事を辞めることを人伝に聞いた。このまま有給消化になるらしい。そしてそのすぐ後、彼女が隣のデスクに顔を出さないまま、糸師冴の入籍が報じられた。彼女の退職が寿退社であることはあの日その場に居た俺達には明白だった。
 糸師冴は日本に置いていった恋人を迎えに来るために来日していたとあらゆるメディアが色めき立ち日本の至宝の結婚を祝った。サッカー選手のプライベートに口を出すのはナンセンスだと思っていたけどこればかりは気になって色んな記事を読んでニュースを見てしまった。地元の幼馴染だと確証のない情報が何処かしこにも並んでいる。糸師冴と言えばもうずっとスペインのイメージだったけどそう言えば鎌倉出身だったっけ。彼女も鎌倉って言ってたような気がする。どこからどこまでが本当の情報かは置いといても、彼女はずっと俺の隣で仕事をしていたのだから相当な遠距離恋愛だったに違いない。記事では「糸師選手に世界一理解のある一般女性」と関係者が語っている。違いないだろうな。だってずっと一緒に仕事して、ずっと一緒にサッカーを楽しんでいたのに糸師冴の影なんか一切感じなかったし。
 糸師冴が入籍を発表したあと、SNSでは彼の左手薬指に着けられるようになった指輪が話題になった。特定班と呼ばれた主に女性サポーターによってその指輪がとんでもない額の物だと知る。きっと彼女の左手薬指に同じものが輝いているんだろうと思うと住む世界の差を見せつけられたみたいだった。
 かくして俺の淡い片想いは想像せぬ形で幕を下ろした。隣のデスクに居たのは同じ趣味を持つ可愛い同期なんかじゃなくて、糸師冴のシンデレラだったというわけで。

隣のデスクにシンデレラ
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