純白に齧り付け


※前日譚

「悟しつこい!」

 彼女は振り返って僕に向かって声を荒らげた。どう見ても怒った顔をしていたけど、僕にとっちゃ子犬が少し吠えた程度のものだ。

「なにが?」
「もう、最近なんなの! あちこちついて来ないで!」

 彼女が何に対してこんな風に怒ってるのか、何にも気にとめちゃいない風に返したけど理由なんかよく分かっていた。
 僕がずっと彼女について回っていたからだ。任務のない限り、そりゃもうずっと。

「別に迷惑かけてないじゃん」
「めーいーわーくーなーのー!」
「何で?」
「何でって…… 全然仕事進まないの! 悟が居るだけで皆全然足止めて話聞いてくれないし……!」
「いやそれは僕のせいじゃないでしょ、お前が相手されてないだけじゃない?」
「悟が意地悪なことばっか言うからでしょうが!」

 なーんだ、ちゃんと分かってたんだ。ちょっとホッとした。
 もう我慢ならないと彼女は僕を睨む。そんなに力んじゃ集めて回った報告書、ぐちゃぐちゃになっちゃうよ。

 彼女との付き合いは高専に入学した日から今日までで、適当に計算しても十年を超える。同級生だった彼女は僕たちの中で唯一凡人程度の実力で、僕らの学年でたった一人補助監督の道を選んだ。補助監督としての有能さはメキメキと開花して、今じゃ高専に関わる人間皆が頼る人間になった。まあ、それは別になんだっていい。
 問題なのは、彼女の周りの人間についてだ。

 補助監督のエースである彼女はあちこちに引っ張りだこだ。補助監督たちにおいても、呪術師や学生、あとは窓の人間においても男女、先輩後輩問わず彼女を頼る人間は大勢いる。
 僕のことを知らない人間はこの業界に居ないかもしれないけど、僕が知らない人間はたくさん居る。それと同じくらい彼女の顔は広かった。僕の知らない人間が、彼女を知っているなんてことも多かった。僕が知らない人間を、彼女が知っていることも多かった。
 最初は僕の学年は有名人ばっかりだと笑っていたのに、今更どういうわけか彼女の周りに必要以上に悪い虫がつきだした。
 硝子がそれを「人間には二回モテ期がくるって言うからな」なんて日本酒片手に笑っていた。
 全然笑えなかったのは僕だけだった。

 こいつのことを名前で呼んでいたのは僕ら同級生だけだったのに、いつの間にか同じように呼ぶ男が居ることに気づいた。こいつに必要以上に質問をしに来る後輩のボディタッチの多さに気づいた。こいつに対するあけすけな下心を孕んだ誘い文句を耳にすることが増えた。
 気にしてるのは僕だけだった。こいつはバカなのかなんなのか知らないけど、どれもこれも気にしてすら居なかった。名前を呼ばれれば簡単に返事をして足を止め、しつこく質問してくる後輩には甲斐甲斐しく面倒を見てやり、下心なんか気づきもせず都合がつけばイエスと返事を返していた。
 僕はそれが気に入らなくて、彼女のことを名前で読んでいる奴らには「ふーん、僕も名前で呼んでよ」と割り込んで牽制したし、しつこく質問してくる後輩には「それくらい自分で調べらんないの? ていうか何回同じこと聞くの」と彼女の代わりに上司の小言のように垂れてやったし、あけすけな下心を孕んだ誘い文句には「それ僕も行っていい?」と何が何でも二人にしてやるかと邪魔して回った。
 そこまでして硝子に「やっぱりあの子モテ期だな」と笑い飛ばされ「五条にまで釣り上げるなんてあの子も大したもんだ」と言われて初めて僕はこいつが好きなんだって気づいた。

 そこからはもう躍起になって徹底的に潰して回った。彼女の隣でわかり易すぎるくらい牽制して、邪魔して。僕が一緒にいると近づく事も出来ないような奴らはそもそもこいつに不釣り合いだ。それを彼女は仕事が進まないなんて言って怒ってる。
 僕が意図して嫌味を言ってることにちゃんと気づいて居ながら、どうしてここまでしているのかは気づいてなかった。

「なんで僕が意地悪なこと言ってるかは考えないワケ?」
「なんでって、そりゃ悟の暇つぶしでしょ……?!」
「ウケる、僕そこまで暇じゃないんだけど」

 僕と彼女しか居ない高専の廊下は少し寒い。怒る彼女の声は古くなった校舎に響く。

「お前、もうちょっと自分が女なんだって自覚したら?」
「……は……?」

 一歩、また一歩。彼女との距離を詰めて行く。大きな目が不思議そうに僕を見つめていた。間抜けな顔だな、これから僕に何をされるか分かってないんだろうな。

「易々と名前なんか呼ばせてさ〜 お前は友達気分なのかもしれないけど、相手はそんなわけないじゃん」
「……なんの話……?」
「いつまで経っても仕事を覚えない後輩も、可愛がってるつもりなら馬鹿もいいとこだよ。べたべた触らせてさあ。僕が居なきゃお前とっくに食われてるよ」
「は……?」
「すぐ誘いに乗っちゃうし。二人で飲みに行ってはいサヨウナラ、なわけないでしょ」

 僕が一歩近づく度に反射的に一歩後ずさる彼女がいよいよ壁とぶつかって、彼女の真上に僕の影が重なった。逃げ道を遮るように彼女の顔の真横に手をつけば、思ったよりも大きな音が鳴って彼女がぎゅっと目を瞑った。

「さ、さとる……?」
「お前分かってないだろ、自分が女として見られてるって」
「な、何勘違いしてるのかわかんないけど、別に皆そんなんじゃ」
「バッカじゃないの? お前がそう思ってても相手はそうじゃないって話してんの。話聞いてた?」
「な、なんでそう言いきれるの!?」
「はあ? そんなの僕が男で僕もそうだからに決まってんじゃん」

 強気に言い返す彼女はやっぱり何も分かってなくて、イライラしたから顎を引っ掴んで唇を奪った。
 彼女はくぐもった驚きの声をあげて、顎を掴む僕の手を退けようと必死に抵抗したけど雑魚すぎて痛くも痒くもなかった。暴れだした彼女の脚の間に膝を挟み込んで、彼女の腰を引けば小さい彼女は簡単に持ち上がってつま先立ちになる。不安定な身体を支えるためか必死に掴まれた手によって僕の仕事着は皺を寄せる。

「ん、んう……っ」

 無防備な唇に割って入れた舌で無遠慮に口内を犯す。ぐちぐちと唾液が絡まる音と彼女の喘ぐような声が廊下に響く。誰が通りかかったっておかしくないこの場所で、十年の付き合いになる同級生に劣情をぶつけた。

「ッ! ……痛いな、噛むことないでしょ」
「っは、ぁ……!」

 貪るように彼女の唇を食んでいたら思い切り舌を噛まれた。力では僕に敵わなかったけど、確かにこれなら彼女にも軍配が上がる。流石に舌を噛まれちゃ僕だって痛い。仕方なしに唇を離せば彼女の唇は唾液で濡れて、苦しそうに肩で息をしていた。

「……お前、そんなエロい顔できたんだ」
「っちょ、ちょっと……!」
「男は怖い生き物だってちゃんと解ろうね」

 仕事着にスカートなんか選ぶからダメなんだよ。彼女の太ももに手を這わせてスカートの裾から指を滑らせていく。薄いストッキング越しの体温は生温くてやけに生々しく感じた。

「っや、やだやだ……!」
「こーいうこと、簡単にされちゃうんだよお前。ちゃんと危機感持たないから。あーあ、かわいそ」

 スカートをずり上げるようにしてその中に手を差し込んでいけば彼女は不安定な脚をばたつかせて身じろぐ。
 これからの事なんか考えてない。このままここでこいつを抱いてしまうかどうかも、これから先こいつと僕がどうなってしまうのかも、数時間後僕達はただの同級生のままなのかも、全部。まあなるようになるか。ここまでしちゃったら、今更取り返しなんかつかない。内腿に手を滑らせて柔らかさを確かめるみたいに揉めば彼女はびくりと震えた。

「っ〜〜〜バカ!!」
「っ痛!!」

 ばちん、と大きな音が鼓膜まで響いてキンキンするくらいの衝撃が両頬を襲った。いや両頬って、両頬ビンタってそんなことある? 彼女は勢いよく両頬目掛けて両手で平手打ちしてきた。じんじんと両頬が痛んでひりひりと熱を持つ。こんな荒技使われるなんて思ってもみなかった。

「両手でビンタは流石にナシでしょ……」
「バカ! ほんとバカ!」
「それは僕のセリフなんだけど」

 熱を持つ両頬を摩って彼女を見つめれば顔を真っ赤にして目を潤ませていた。まあ無理もない、無理矢理なことしたのは事実だ。謝るつもりはないけど。

「っとにありえない……!」
「自業自得だよ、僕がこうしなくてもいつかどっかの悪い奴にこうされてた」
「そうじゃない! そういう話してない!」
「はあ?」
「ばか! ほんとにばか!」

 僕をぽかぽか殴りながら罵声を浴びせてくる彼女はただひたすら僕に馬鹿だと言う。失礼なやつだな。少なくともお前よりは危機感もあるし賢いのは間違いないのに。だからこうやって教えてやったのに。
 愚図る彼女に埒があかなくなって僕を殴る両手をまとめ上げて動きを封じた。

「そういう話じゃないって、じゃあ何」
「っもっと、もっとやり方あるでしょ……!?」
「そんなの選んでたら横取りされちゃうかもしれないじゃん」
「されないよ!」
「だからお前のそういうところが、」
「私悟のことが好きだもん!」
「……、……え……は、……?」

 青天の霹靂。子供みたいに愚図って暴れていた彼女から発せられた衝撃的な事実。そんなことある? いや、全く予想してなかったんだけど。
 思わず脳みそが考えることを止めてしまった。情報を理解しまとめるのに時間がかかる。なんて言った? こいつ、僕のこと好きって、そう言った?

「……や、ちょっとまって……マジ……?」
「こんな嘘つくわけないじゃん……!」
「……あ、そ……そうなの……」

 僕を睨むように見つめる彼女の表情に曇りはない。マジで? 流石に僕に都合が良すぎない? うわ、どうしよ。嬉しくって信じられない。

「……やり直して」
「え?」
「やーりーなーおーしーてー!」
「何を?」
「告白!」

 彼女の動きを封じていた手を解放してやり、逃がすまいと抱き込んでいた身体をそっと降ろしてやる。喜ぶ僕と反対に彼女はどこかご立腹な様子だった。まあ当たり前か、めちゃくちゃしちゃったしね。

「告白? なんで。もう両思いってはっきりしたじゃん」
「あんなの嫌! 何年片思いだったと思ってるの!?」
「え、ウソでしょ」
「いいから早くやり直して!!」

 完全にご機嫌ななめな彼女に捲し立てられる。なんか今更格好つかないし、一体どんな告白を求めてんのかもよくわからない。だって僕告白したことないし。まああんな告白よりはどんな告白もマシなもんかもしれないけど。
 腕を組んで少し考える。目の前で怒る彼女の目にはまだ涙が見えた。

「……無理矢理なことしてごめん」

 そっと彼女に手を伸ばして狭い肩を抱き寄せる。彼女は大人しく僕の胸におさまってぎゅうとしがみついてきた。背中をぽんぽんと優しく叩いて頭を撫でてやれば、ぐすりと鼻を啜る音がした。

「……ね、好き。僕のものになって」
「……七十点」
「厳しい〜!」

 彼女の返事に思わず笑う。まさかこの僕が採点されるなんて。それも満点じゃないなんて。意地っ張りな彼女らしくて可愛いと思ってしまった。

「……まあ、でも合格点ギリギリ」
「マジで?」
「仕方ないから、悟のものになってあげてもいい」

 彼女の腕が僕の背中に回って身体が密着する。無駄に遠回りしちゃったな。まあ結果オーライだからなんでもいいけど。

「……他の男に捕まっちゃうんじゃないかって、気が気じゃないからさあ。僕のものになったってちゃんと言って回ってね」
「ええ、それは嫌……」
「じゃあガンガン見せつけていくしかないね」
「っちょ、ここ廊下!」
「今更〜〜〜」

 抱きしめた彼女の唇にもう一度噛み付く。噛まれた舌も叩かれた頬もじんわり痛いけど別にどうでもよくなった。
 まあ、そのあと真っ赤に腫れた頬を見た教え子たちに爆笑の嵐を提供したのは言うまでもないけど。







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