「おはよう、はやいね」

「あ、傑くん。おはよう」

夏油傑は朝が得意な方ではない。寝る前に設定したアラームに起こされ、嫌々ながらに毎朝起きる。自分で朝が得意でないことをよく理解しているからこそ、視界のぼやける眠気眼が再び閉じてしまう前に無理矢理身体を起こして二度寝のリスクを排除するのだ。
夏油傑は朝が得意な方ではない。けれど、己をよく理解し律することに関しては同級生の中でも頭一つ分抜きん出ていた。だから基本、毎朝一番最初に朝食を摂りにくるのは傑だった。
まあそれも、つい一週間ほど前までの話だが。

「卵焼き?」

「うん、傑くんはお出汁の方がいいかな」

「私の分もいいのかい?」

「卵焼きでよければ」

「ありがとう、じゃあお願いしてもいいかな?」

傑はキッチンに立つ名前の手元を確認して声をかけた。
毎朝傑が起床してすぐ、水を飲みに共有スペースを目指せば、そこには既に名前が身支度を済ませた状態で立っていることが殆どだった。
一週間も経てば見慣れてきた制服姿で、生徒が自由に使うことのできるキッチンで朝食を拵えている名前に傑も驚かなくなった。最初こそ、自身が早起きな方だと自覚があったために、名前の活動時間の早さには驚いたものだが、こう毎日毎朝顔を合わせていればそれも普通のことだろう。
傑は冷蔵庫の中に保管しているミネラルウォーターを取り出してペットボトルの蓋を捻る。手際よく朝食の準備が進められているのを横目に見ながら。
ここでは予め頼んでおけば食事は用意しておいて貰える、と越してきたばかりのときも、こうしてキッチンに立つ名前を初めて見た時も傑は丁寧に名前に説明した。その時名前は「ありがたいね」と言ったものの、結局一切頼らず三食自分できっちり用意している。物凄い生活力だと傑は感心せざるを得なかった。同級生の中では最も生活力があり、まともな生活をしている自信があったというのに、名前が転校してきてからは何も言えなくなったものだった。
おまけに名前は自分の分だけではなく、ここにきた翌日朝から、当たり前のように悟の分の食事も担っていた。これには傑もぎょっとした。悟はそれを物凄く喜んでいたけれど、ここまでできる女子高生、なかなか居ないだろうと。
バランスのとれた食事には悟に限らず硝子も食いついた。結局名前がきて一週間経つ今では、誰かが頼まずとも名前が同級生全員分の朝食をまとめて用意してくれるようになってしまった。
今日の朝食の献立であろう卵焼きが目の前で焼かれ、その隣の鍋には味噌汁が完成してあった。ミネラルウォーターを取り出したときに冷蔵庫の中にあったボウルの中身も献立の一つだろうか。傑は飲み干したペットボトルを小さく潰しながらぼんやり考えた。
きっとここで傑が名前と出会わなくても、名前は傑の分の朝食を用意しただろう。傑は自分の分もいいのか、と勝手に用意して貰える前提なしに聞いたものの、名前のことだから予め要らないと言われない限りとりあえず用意してくれるんだろうと、この一週間でなんとなく名前の人間性のようなものを掴み始めていた。

「何か手伝えるかな」

「ありがとう、じゃあとりあえず着替えて用意してきて」

「それは手伝いには入らないよ母さん」

「あはは、出来のいい息子が居ると助かるなあ〜」

傑は名前の隣に立って冗談を言ってみせる。名前もそれを楽しげに返す。
たった一週間と言われてしまえばその程度だが、名前という存在は傑の生活に少しずつ馴染みつつあった。それも名前の人間性が手伝ってのことだろう。
見た目の通り、でも年齢には少し見合わないほど誰に対しても懐が深く、年齢相応に冗談の通じる名前の存在は心地よかった。
名前に言われた通り、まずは身支度を済ませてしまい、そのあと手伝うことにしようと考えた傑は名前に「すぐに用意してくるよ」と言ってぐっと身体を伸ばした。名前は「うん、待ってるね」とにこやかに返す。
窓の外はもう随分と陽が高く登っていた。名前の柔らかな笑みは太陽を思わせた。



「はよ〜」

「あ、おはよう硝子ちゃん」

「おはよ名前、今日のゴハンなに?」

「卵焼きとおにぎりだよ」

「おにぎり」

「そう、おにぎり」

名前と傑が朝食の準備を済ませた頃に寝巻きのままの硝子がのそのそと現れた。名前の隣に立った硝子からはふんわりとタバコの匂いがした。名前は硝子からするタバコの匂いは嫌いじゃなかった。
テーブルには名前の言った通り、卵焼きとタコの形に切られたウインナー、おにぎり、それから味噌汁と小鉢にはおひたし。硝子はそれらを眺めてにんまりと笑い「良い嫁さん貰ったわ」と名前に寄りかかった。名前はそれを聞いて嬉しそうに笑った。

「クズ共は?」

「傑くんが悟くん起こしに行ってくれてるよ」

「ふうん」

硝子は名前に寄りかかったまま話を続ける。出会って一週間、名前と硝子はその距離感からもわかるように完全に打ち解けていた。数少ない同級生、それも同性、硝子が友達になろうと言って手を差し出した日から二人はあっさり意気投合していた。
硝子は名前に、不思議な雰囲気を感じていた。暖かくて柔くて守ってやらなきゃならない細さを感じるのに、傍に居ると安心して包まれているような気がするのだ。ふにゃふにゃとしているのに、その生活力の高さや日々垣間見える賢さが少しばかりギャップがあったのかもしれない。硝子は名前を、不思議な子だと評価付けていた。
そんな名前を硝子は気に入っていた。

「こら、硝子行儀が悪いよ」

「今日のメシなに〜?」

硝子が朝食に並んだウインナーを摘んで口に放り込んだのと合わせて傑と悟が顔を出す。
名前に言われて身支度を先に済ませてあった傑は、硝子と同じくまだ寝巻きのままの悟を連れてテーブルまで足を進める。傑に起こされてようやく身体を起こしただけの悟の頭には寝癖がついたままだった。
名前は「おはよう悟くん」と声をかけると悟は「ん」と短く返事を返して名前の頭をぽんぽんと撫で、その大きな体躯を名前の身体に預けるように傾けた。

「お?おにぎり?」

「そう、おにぎり」

「うまそ〜」

悟がテーブルに並んだ朝食をじっと見つめれば名前が「中身の具は内緒だよ」とにこやかに笑った。悟が名前の言葉に「また内緒かよ〜」と軽く笑う。
なんてことないやり取りの中を、細かく分析していくとそこには確かに二人が共有してきた時間がある。悟が何か言う前に、名前が返事をする。その返事が大それたものではなければない程、絆の深さを感じるのだ。
名前も悟もそんなこと意識してはいない。けれど、年齢に合わないほど死線を超えるような経験を詰んだ傑や硝子には、そこらの大人よりもそれを機敏に感じ取れた。
ここに居る全員が年齢に見合わない人間だった。
たった十数年しか生きていないのに、運命を共にすると決めた二人も、そんな二人を興味深く、親愛深く見つめる二人も。

「結局一週間ずっと名前に頼りっぱなしになっちゃったね。本当なら私たちが助けてあげるべきところだったのに……」

「え?」

「慣れない生活に、私たちの分の食事まで用意してたら疲れもするだろう?」

「あはは、全然平気だよ。お料理は苦じゃないから」

「名前のメシうまいだろ」

「悟は名前に甘えすぎだよ」

誰が決めたわけでもない、定位置に全員が順番に腰掛ける。悟の隣には傑、傑の目の前には硝子、その隣には名前が収まるようになった。

「名前が来てからほぼ毎食名前になんとかしてもらってるだろう?自立しな」

「出たよ傑の小言」

「真面目に聞きな。名前は悟のお母さんじゃないんだよ」

「はあ?」

傑の説教じみた言葉に悟は分かりやすく機嫌を悪くした。
悟や硝子が名前の作る食事に慣れきってしまいつつある中、傑だけはこのままではいけないだろうと思っていた。名前の穏やかさや、優しさから、無理をしていても顔には出さないだろうと。これから名前だって任務を受け持って同じように生活していく。苦労することもあるはずで、そんな中こうして食事を用意することに義務感を抱かせてはならないと思っていた。
名前の作るものは美味しくてあたたかい。傑だって喜んで食べていることに違いはないが、このままでいい訳がないと思っていたのだ。
悟は傑に対して掛けていたサングラスを上へズラしてぐっと睨んだ。悟と傑の言い合いをよそに硝子だけが一人「いただきます」と手を合わせた。

「名前が母親なわけねーだろ、何言ってんだよ面白くねーこと言うなよ傑」

「悟が名前にしてもらってることはそれと変わらないって言ってるんだよ」

「あはは、落ち着いて落ち着いて、ね?」

二人の会話に熱がこもっていくのを感じ取った名前は、変わらず穏やかな声色で仲介に入る。名前の隣で硝子は味噌汁を啜った。

「私は平気だよ、一人分だけ作るのも難しいし……作ってあげよう、っていうよりは、初日からうっかり悟くんの分も用意しちゃったって感じだから」

「……うっかり、でそうはならないと思うんだけど」

「あはは、そうだね。でも本当にそんな感じなの。二人分も四人分もあんまり変わらないし、美味しいって言って貰えたら嬉しいし、気にしないで」

名前は傑の怪訝な表情にも笑顔を返した。その表情に嘘偽りは感じられなかった。
傑を宥めるように言った名前は「いただきます」と硝子に続いて手を合わせた。傑はそれを黙って見ていた。
傑はまだ納得はいっていないものの、これ以上あれこれと口を挟もうとはしなかった。
一つ溜息をついて傑も「いただきます」と手を合わせる。悟はそんな傑を見てお返しのように舌打ちしてから箸を取った。

「ん〜ダシ効いてて美味しいコレ」

「ほんとう?」

「ん」

「良かった」

真っ先に食べ進めていた硝子が卵焼きを口に含みながら喋る。硝子の前に置かれた丁寧に巻かれた卵焼きはダシで味付けされている。硝子は気に入った様子でぱくぱくと口に運んでいた。

「硝子は完全に名前に胃袋掴まれたね」

「私の嫁は料理が上手いからな」

「誰の嫁だって?」

「私」

「俺のンだバカ」

傑も硝子に続いて卵焼きを箸で切り分けて口に運ぶ。硝子の言う通りダシが程よく効いていて、傑も「ホントだ、美味しいね」とすぐに感想を零した。名前は「お口にあったなら良かった」と二人に返した。
硝子が自信満々に言った言葉に、悟だけが語気を強めて反応していた。

「悟くん」

「なんだよ」

「おいしい?」

「ん、うまい」

「そっか、へへ、良かった」

名前が悟に問えば悟は迷うことなく答える。
大きな口にばくばくと放りこまれていく朝食に、わざわざ問わずとも悟が気に入って食べているのは明白だが、間髪いれずに帰ってきた応答に名前は嬉しそうに笑った。

「悟のは甘いの?」

「なにが?」

「卵焼き」

「は?」

「私たちのはお出汁だけど、悟のは砂糖で味付けされてるのかなって」

傑は悟の食べている卵焼きを一瞥して言った。悟は何を言われているのかわからない様子で口を半開きにして傑を見つめた。

「そうだよ」

「やっぱり」

「? なんだよ、やんねーぞ」

「要らないよ私には私のがあるから」

悟に投げかけられた質問に答えたのは名前だった。
甘党な悟にだけ、味付けの違う食事が用意されている事実に硝子も傑も驚かなくなったし、察しがつくまでになっていた。あまり気にしていないのは悟だけだった。悟だけが、それを当たり前に食べていた。

「悟、君は自分がどれだけ恵まれてるか、少しくらい考えた方がいい」

「あ?んだよ、また喧嘩か?後でにしろって寂しんぼかよ」

「悟」

「ごちそうさま〜」

悟に溜息をつく傑、傑を煽る悟、二人をよそに手を合わせて食事を終える硝子。名前は三人の真ん中で楽しげに笑っていた。
まだ何も知らない。気になるけれど、聞けずに居た。傑も、硝子も。
明らかなまでに尽くされていて、それを当たり前のように享受している悟。不可解なまでに、いっそ現実的ですらないほど悟に世話を焼いている名前。
婚約者だと悟はいつも声を大きくして語るけれど、あの五条悟の婚約者はここまでのことを強いられるものなのか。
どう見たって、ここ数日で出来上がった関係性ではないことに触れられずに居た。慣れた手つきで悟に尽くす名前に、何も聞けずに居た。
名前がにこやかに笑うから、二人とも何も言えなかったのだ。

聞いたところで、自分にどうこうできる気はしていなかったのだ。
まだ、踏み込んでいいところに自分は居ないと、なんとなくそう思っていたのだ。

未だ不可侵の太陽





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