思えば、悟が熱心に携帯をいじっている時はいつもご機嫌だった。ちらちらと携帯の画面を確認したり、鳴らない携帯を開いたり閉じたりしているときは至極つまらなさそうだったし。
いつも聞こえる着信音と違う着信音が流れれば悟はすぐに携帯を開いていたし、あれはきっと名前のために設定してあったものだったんだろう。
いつも悪態をついている自分の親友は、思い返せば立派に年頃の高校生だったわけだ。最強と自称し、横柄な態度を取る悟もあんな風に甘える相手が居るのだと思うと人間離れした才能を持っていても、悟だって人間で私と同じ年齢の男の子なのだ。
出会ってすぐの頃だったか、具体的なことははっきり覚えていないけれど誰と連絡を取ってるのか聞いたことがあった。あのとき悟は確か「俺の女」なんて中学をこないだ卒業したばかりの男子高校生としては偉く背伸びをした言い方をするものだから、その背伸びに匹敵する女性なのかと勘違いしていたのかもしれない。
背伸びとかそういうことじゃなかった。悟は元来、そういう男だったと今ならわかる。
あのとき「今度紹介して」と言ったし、そのあと話題に「悟の女」が上がる度にそう言っていたが、悟はいつも「そのうち会える」とずっと言っていた。なるほど、こういうことだったのか。
そのうち高専に転学することが決まっていたのならそう言ってくれれば良かったのに、と悟に高専の廊下を歩きながら言えば「俺だって待ってた側なんだよ」なんて健気なことを言うものだからまた驚かされてしまった。
「待ってた側、って?」
「あ〜〜〜〜」
言いづらそうに言葉を濁した悟はがしがしと頭をかいて言葉を選んでいる様子だった。
「…あいつ、あんま強くねえのと、…フツーのガッコでフツーの人間になる予定だったんだよ」
生まれたときから、と言葉を付け足した悟はバツが悪そうだった。
悟の様子をみるに、掘り下げるべきではなさそうだった。
「…あんまり私が首を突っ込んじゃならない話かな」
「いや、俺は別にいーけど。あいつがヤだったらかわいそーじゃん。だから名前に聞いて」
「…………」
「……なんだよ」
「いや、悟…君人を想いやれたんだね」
「ア?喧嘩か?」
「いや、だって普段の君なら自分が良ければ大概のことはどうでもいいだろう」
「俺がよければそりゃそーじゃん」
「ほら」
「名前は別に決まってるだろ」
悟の言葉に鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。いつもなら私がもう少し相手のことを考えてあげなと言うべきところだったのに、悟の方からそんな言葉が聞けるなんて。
驚かされてばかりだけど、悟はいつもと変わらない風だった。
「別って?好きだからかい?」
「解ってんなら聞くなよ。嫌われたくねーの。」
そんな健気なことが言える男だったのかい、君。
ここまでくると彼女が一体どんな女の子なのか、めちゃくちゃ気になるな。
何をどうしたら悟にこんなことを言わせることが出来るんだい。
「名前さあ」
「!は、はい!!」
「…ふ、何驚いてんの。かわいー」
「ご、ごめんびっくりしちゃって…!」
真っ先に整えたのだろう、淡い色のシーツが敷いてあるベッドに勝手に腰かけて名前がテキパキと段ボールを片していくのを見守る。
何度か手伝おうかと声をかけたものの、その度に名前は「だいじょうぶ!」とニコニコと笑うからマジで見守るだけになってる。何してんだろ私。
「あのクズと付き合ってんの?」
「く、……あはは、悟くんと?」
「そう」
ついクセで五条をクズ呼ばわりしたことに一瞬まずったかと思ったけど名前はすぐ笑ってくれた。正直ちょっと安心した。
名前は段ボールから出した衣類を一枚ずつしまう。どれも明るい色の洋服だった。
「うーん、どうだろ…」
「仲良さそーだったじゃん」
「うん、仲良しだよ」
「親に決められた許嫁ってやつにしては思ってたのと違う」
「あはは!ドラマとかでよくあるやつだ!」
私もそういうの大好きだよ〜と伸びた声が心地よい。「だいたいヒーローに拐われちゃうんだよね!かっこいいよね!」と言う名前は、五条の許嫁だと言うのだから育ちの良さは感じるけれど、価値観がバグってるような感じはなかった。五条と出会ったときはやべーの居んなと思ったし今でも坊っちゃんは考えてることがわかんねーなと思うことは沢山あるけど、名前からはそういうのは感じない。
「うーん、私たち親に決められたってわけじゃないから」
「へえ、そういうのもあんの?誰が決めたの」
「悟くんだよ」
「………クズが名前を許嫁にしたってこと?」
「まあ、そうかな」
一つ段ボールを片しきった名前は音を立てながら全身使って段ボールを潰す。何にもできないお嬢様なんじゃないかと思って最初声をかけたものの、全部杞憂だった。五条より余裕でしっかりしてるし、生活力ありそう。
「無理矢理?嫌じゃないの?やめときなあんなやつ」
「あはは、悟くんてばここでもそういう感じなんだね?」
私の言葉に何を察したのかは解らなかったものの、その言葉は五条との付き合いの長さを思わせた。五条が囲ってる女なら、そんな風に言わないでとかなんとか言って噛みついてきそうだと偏見を持っていたけど、本当に偏見だった。
許嫁と言うだけあって、名前から感じられるそれらは恋人とかそういう関係全部通り越した夫婦みたいな。それも熟年ってかんじ。何を言われても余裕のある返事を返す名前は五条に対して絶対的な理解を持っているようだ。懐の深そうな女だなとぼんやり思った。
「無理矢理かあ、まあ人によってはそういう風に見えるかもしれないなあ〜」
「嫌じゃないんだ?」
「うん、そうだね。あの通り、悟くんとっても優しいし大事にしてくれてるって伝わるしね。選んで貰えた私がラッキーなんだよ〜」
まあ確かに、あの五条が女一人にあんな風にべたべたひっついてんのは想像できなかった。誰が見てもバカップルだった。らしくないなとも思うけど、五条っぽいと言えば五条っぽい。多分名前のせい。
五条にしては思ったより見た目が子供っぽいというか、随分可愛らしい子にご執心じゃんと思ったけど、話してればわかる。絆されてんだなあいつ。この柔らかいかんじとか、慈愛に満ちてそうな感じとか、名前っていう人間性に。ちょっと納得する。
ああいう刺々しくブラフはって、威張り散らしつつプライド高く生きてるやつには名前は暖かすぎそうだ。
出会って数時間、名前のことなんか何にも知らないけど裏表のなさそうな表情とか、素直な反応を隠さずに向けてくる声とか、そういうのがいい子じゃん、五条には勿体ないなと本気で思った。
「何歳からの付き合いなの」
「四歳くらいだよ」
「やば、よく付き合ってられんね」
「何も特別なことは何にもないよ。一緒に居たら時間が勝手に過ぎてっちゃっただけ。」
同じ歳なのに見た目に合わず達観したことを言う。こういうとこから器のでかさを感じるな。五条と逆じゃん。
「許嫁ってどんなかんじ?」
「え、どんなかんじ…?うーん…普通だと思うけどな」
「許嫁ってのはこの時代にはフツーじゃないよ」
「あはは、まあそうだよね。でも、なんだろ…フツーなんだよ」
「何がフツーなわけ」
「所詮肩書きだよってこと」
名前の言い放った言葉がどことなく寂しく部屋に響く。気のせいかもしれないけど、なにかを悟ってる風な言い方に言葉が詰まった。
「…どういう意味か聞いていいやつ?」
「え?そんな面白い話じゃないけどなあ」
「………やっぱやめとく」
「硝子ちゃん?」
ベッドから立ち上がって私の言葉に手を止めてしまった名前の傍にしゃがみこむ。近くで見ても、この子かわいー顔してんな。五条こういうのがスキなんだ。意外っちゃ意外だけど、わかるっちゃわかるな。純情純粋っぽくて、守ってやりたくなる感じね。あいつもフツーの男だな。
「ね、仲良くなろ」
「へ」
「聞くんじゃなくて、解るようになりたいからさ」
「………」
名前に向かって、さっき夏油がやってたみたいに手を差し出す。
別にトモダチとかそういうのにこだわったことないけど、この子はうまく付き合ってけそうな感じがしたし、何より気になる感じがする。
あの五条の許嫁ってどんな子なのかとか、あの五条がこだわる女の子って他と何が違うのかとか、なに考えて生きてんのかとか。バカな女じゃないことはよく解ったから、せっかく同性の同級生だ。長い付き合いになるような、そんな気がした。
「え、えと…」
「イヤ?」
「ままま、まさか!まさか!!」
私の手を両手で勢いよく掴んできた名前は顔を真っ赤にして「よろしくお願いします!」と慌てて口にした。
「あいつら、俺たち最強とか宣ってやんの。」
「あはは、言いそうだね悟くん。」
「私ら二人の方がつえーよって見せつけてやろーね」
「う、うん!うん!!」
私の手を必死に握りしめてくる名前は、女の私が見ても健気で可愛かった。
いつか革命を起こそうよ