「準備出来たか」
「あとちょっと!」
「さっきもそう言ってただろお前」

 今日は冴ちゃんとお買い物、もといデートだ。冴ちゃんが結婚を報告するうんと前からこの結婚生活は準備してきたものの、やっぱり一緒に暮らし出すとちょこちょこ足りないものが分かってくる。初めは足りないものは全部ネットで買うつもりだったけど、もうコソコソしなくてもいいと言われるとじゃあやっぱり現物を見て買おうと思って冴ちゃんのお休みにお買い物に出ることにした。
 ロードワークから帰った冴ちゃんとブランチをしてお買い物に出る予定だったのに、思ったより準備に時間がかかって、起きてからずっと身支度をしている私をロードワークをこなしてシャワーを浴び、身支度を済ませた冴ちゃんがずっと私を待っている。ごめん本当に。だって世間に知られちゃってから、冴ちゃんとデートに行くのは初めてなんだもん。堂々と歩けると言ったって、私はあの糸師冴の奥さんなんだよ。ちょっとでも綺麗に見られたいじゃん。
 なんとか纏めた髪にアクセサリーを着ける。これは結婚した時にお母さんが譲ってくれた物。数十年立っても綺麗に輝くあたり、やっぱりブランド物が高いのには理由があるんだなと思わされる。次はネックレス。これは冴ちゃんが結婚する前にクリスマスプレゼントで贈ってくれたもの。
 首の後ろにチェーンを回して指先で留め具のツメを引っ掛ける。なかなか穴に留め具が通らないのを見ていた冴ちゃんが「貸せ」と言って私の背後に回った。

「ん」
「ありがと!」

 冴ちゃんの手に渡ったチェーンはあっさりと一つになって私の首にネックレスが掛けられる。鏡で見栄えを確認すれば後ろに立つ冴ちゃんと鏡越しに目が合う。冴ちゃんは鏡を見ながらネックレスを撫でて「いいな」と一言。こういう所がかっこよくて頬に熱が集まるのを感じる。

「手」
「え?」

 冴ちゃんの手が後ろから伸びてきて、メイク中外していた結婚指輪を手に取った。それだけで何をしてくれるのか全部察せた私は素直に左手を持ち上げる。冴ちゃんは何も言わずにわざわざ両手を使い、私の左手を大事に支えて薬指にそれをはめてくれた。

「う……あ、ありがとう……」
「何照れてんだ」
「だだだってかっこよくて!」
「ふうん」

 堪えきれずに緩む頬がだらしないなと思って唇を手で隠しながら左手を眺める。後ろから冴ちゃんに抱き込まれるようにして着けられたソレは勿論冴ちゃんの左手薬指にも着けられている。色も形も全く同じにした、曇りのないプラチナと埋め込まれたダイヤが眩しい。
 冴ちゃんは私の手にはめられた指輪を撫でたりして少し遊んだ後、優しく手を握って唇に寄せた。

「ひゃ」
「ふ、間抜けな声だな」

 究極のお砂糖対応。サッカー界の塩対応代表と悪名高い冴ちゃんがお家じゃこんなに甘々だなんて知ったら世間はどう思うだろうか。多分好感度爆上がりだと思う。オタクの勘がそう言ってる。奥さんにだけは優しいなんてどの層にもウケるに決まってる。その奥さんって私だけど!

「百面相してんぞ」
「は!」
「準備終わったか」
「はい! お陰様でばっちりです!」
「ん」

 既にカバンまで持った冴ちゃんが私の手を引いて玄関へと向かう。いつの間にか私のバッグまで冴ちゃんが持っていた。こんなに気の回る彼氏、じゃない旦那さん! 世間に知られたら放っておかないと思う。いや、知られなくても冴ちゃんはサッカーだけで常に一目置かれ続けてるんだけど。
 シューズクロークから冴ちゃんが自分の靴を選んだ後、何も言わずに私の分まで玄関に置いた。これがいいってことなんだろう。じゃあそれにしましょうと私も素直にそれを履く。玄関に置いてあった車のキーを冴ちゃんがポッケに突っ込んだあと、その隣に置いてあった冴ちゃんのパフュームを手に取って私に振りかけた。

「わ!」
「つけとけ」

 振りかけられた冴ちゃんの香水が肌にかかるのがヒンヤリとした感触でわかる。冴ちゃんからいつもするいい匂いが玄関に広がってドキドキした。
 冴ちゃんは「行くぞ」と私の手を握って玄関を開けた。誰もいないマンションの廊下を手を繋いで歩いていく。目指す場所はまず駐車場。
 大人になってからのデートは専ら車移動だ。そりゃあの冴ちゃんが電車を使うわけがない。冴ちゃんはどこに行くにも車で、出先で車が停められないならタクシー。あるいはマネージャーさんを呼びつけている。マネージャーさんをタクシーにするのはよくないと私は思う。今日向かう場所はずっと行きたかったレストランのブランチ、そのあとは日用品を選ぶために大きなモール。平日だから駐車場に困ることはまあ無いだろうと冴ちゃんの運転で家を出た。
 助手席に座って冴ちゃんの運転を眺めるのが大好きだ。何してたってかっこいいけど、フィールドから出てサッカーをしていない冴ちゃんを独り占めできるから。冴ちゃんは寝ててもいいって言ってくれるけど、そんなの勿体なくて絶対無理。



 冴ちゃんと美味しいブランチを取って一番の目的であるお買い物に繰り出す。もうここまでで既に隠れずにデートができることの有り難さを知った。これまではお外でご飯を食べようと思うと冴ちゃんがお世話になってる個室のあるお店くらいしか選びようがなかったし、行きたいお店を調べるなんてことしたこと無かった。今回初めて「行きたい店調べとけ」と言われて自分でお店を選んだ。開放感のあるテラスで冴ちゃんとご飯を食べられるなんて夢見心地だった。平日だったこともあってお客さんは少なくてのんびり食事を楽しめた。既に多幸感マックスで今日のデートを終えてもいいくらいの満足感。
 そんな中いよいよ一番の目的であるお買い物。平日のショッピングモールは人が少なくてほっとする。必要なものはちゃんとリストアップしてきた。人目を全く気にしないのは流石にまだ難しいけれど、誰に見られたってもう冴ちゃんは既婚者で、隣に居る私は伴侶なのだ。何を撮られたところでスキャンダルにはならない。それだけで足取りは軽かった。素行さえ気をつけていれば誰にも文句を言われないのだ。結婚して良かったと思う。

「わ……! 可愛い! 今はこんなの流行ってるんだね!」

 立ち寄ろうと決めていた寝具のお店にたどり着く前に可愛い雑貨屋さんが目に留まって思わず声を上げて立ち止まる。手を繋いで歩いていた冴ちゃんも足を止めてくれた。「見て!」と冴ちゃんに指さしたのはふわふわの犬のようなキャラクターのぬいぐるみ。大きく店先に関連商品が並べられていて、イチオシなのだろうと売り場で察せた。

「……似てんな」
「ね! 似てるよね!」

 冴ちゃんの手を引いて吸い込まれるように立ち寄る。並んでいたぬいぐるみを抱きあげれば見た目通りふわふわとしていて気持ちの良い手触り。
 何に似ているって、私の実家の犬にそっくりなのだ。愛嬌があって元気いっぱいで可愛い、私にはおやつを貰うためだけのお座り以外披露しないのに、冴ちゃんの言うことはおやつが無くても何でも聞く、お馬鹿なのか賢いのかわからない飼い犬に。

「えー可愛い! ほんとにそっくり!」

 あまりにもそっくりで、家の犬をデフォルメするときっとこうなるんだろうなと思わされる。初めて見たのに一気に愛着が沸いてしまう。ぬいぐるみと一緒に並ぶ色んな雑貨を一つずつ見てはこれも可愛いと冴ちゃんに見せていく。冴ちゃんは並んでいたマグカップを手に取って書かれている絵を見せたあと「おやつ貰えなかった時の顔」と言うものだから実家の犬を思い出して吹き出して笑ってしまった。

「ふふ、あはは、やだ〜! そっくり!」
「買うか」
「え! いいの?」
「ん」

 冴ちゃんが私の手に抱かれたままだったぬいぐるみをひょいと取って「何がいい」と聞いてくる。さりげなく「おやつを貰えなかった時の顔」が描かれているマグカップは冴ちゃんの手の中におさまったままだった。どれを見てもやっぱりそっくりで目移りしながら、「せっかくだからお揃いでつけたい!」と冴ちゃんにマスコットキーホルダーをおねだりしたら「ん」と短く返事をされて受け取られた。「やったー!」なんて分かりやすく喜べば「お義母さんにも買うか」と冴ちゃんはよほど気に入ったのかマグカップをもう一つ手に取った。

「あの、すみません……」
「糸師冴さん……ですよね……?」

 二人で盛りあがっていた所に知らない人の声がする。声の方へと振り返れば若い男の人と女の人が冴ちゃんを見ていてドキリとする。いけない、ちょっと騒ぎすぎちゃったかも。

「あの、すみません、俺たちファンで!」
「スペインでプレーしてた時から応援してます!」

 二人の目の輝きが冴ちゃんのファンであることを物語っていた。緊張しているようにも興奮しているようにも聞こえる声で冴ちゃんに必死に話しかける二人を見て、どうしようかなと冴ちゃんを一瞥する。冴ちゃんは両手にたくさんの犬を抱えて二人をチラと見た。

「どーも」
「あの、写真とかって」
「断る」
「ですよねえ!」

 意を決したような男性の言葉を冴ちゃんは聞き届けるより先に遮ってしまった。ちゃんと冴ちゃんがどんな人なのかよくわかってるらしい男の人が元気よく、それでいてちょっと残念そうに拳を握って冴ちゃんの言葉を受け止める。私は思わず苦笑いした。

「見りゃわかるだろ、プライベート」
「あ! すみません! 邪魔するつもりじゃなくって」

 冴ちゃんがチラ、と私を見たことで2人が慌てて私に謝る。私は「全然大丈夫です」と笑ったら冴ちゃんが「邪魔だろ」と言うので「こら冴ちゃん」と窘めれば大人しく口を噤んだ。

「あの、ご結婚おめでとうございます!」
「え」
「俺たちより先にずっと冴選手のこと応援してた人って知って、マジで勝手に喜びました!」
「そんな、ええ〜……!」
「色んな噂あったアナウンサーとかより断然信頼できるし……」

 どういうわけか会話の矛先が私に転がってくる。家族以外の人から直接お祝いの言葉を向けられたのは初めてだった。それも冴ちゃんのファンの人なんて、今後経験することはないかもしれない。なんだか照れてしまって「ありがとうございます」と頭を下げるくらいしかできなかった。
 嬉しい、ちゃんと応援してくれる人って本当に居るんだ。

「本当に応援してるんで! これからも頑張ってください!」
「会えて嬉しかったです……! また応援行きます!」

 礼儀正しい二人が頭を下げてその場を離れようとする。私も二人に向かって頭を下げようとした時、冴ちゃんが小さい声で「一枚だけ」と言った。

「え?」
「一枚だけならいい」
「……えっ?」

 思わずふふふと笑ってしまった。冴ちゃんは表情こそ変わらないものの、二人のファンの言動に心動いたのか一度断ったのに一枚だけ写真を撮ってくれるらしい。
 全然理解していない二人のために「写真、私が撮りますね」と声をかけると驚いた顔で「本当ですか!?」と食い気味だった。
 興奮する二人からスマホを預かって冴ちゃんを挟んで並んで貰う。とても嬉しそうな満面の笑みの二人と、出会ったばかりの犬のキャラクターグッズを抱えた冴ちゃんの写真はなんだかちぐはぐで可愛かった。冴ちゃんは一枚と言っていたけどそんな酷なこと言わないでもいいじゃない、と勝手に連写すれば冴ちゃんから「おい」と言われた。
 撮り終わってスマホを本人の手に返せば「これってSNS載せてもいいですか……?」と控えめに聞かれる。冴ちゃんは明らかに面倒くさそうな顔をしていたけれど、同じファンとして推しと撮った写真を見せびらかしたい気持ちはよく分かるので「だめ?」と私が冴ちゃんに聞けば渋々「好きにしろ」と答えてくれた。

「本当にありがとうございます!」
「これからも一緒に冴ちゃんを応援しましょうね!」
「はい!」

 同担としてなんだか他人事に思えなくて出てきた言葉に冴ちゃんが「何だそれ」とため息をついた。だって私同担の知り合いなんか居なかったんだもん。ちょっと嬉しかったんだもん。
 二人は改めて頭を下げて離れて行った。なんだか暖かい気持ちになった私をよそに、冴ちゃんは「もう会計するぞ」とあっさりお買い物に戻っていた。

 後日、冴ちゃんが珍しくファンサービスをしたとSNSで話題になってるのを見て、あの時の二人だと察する。「奥さんが撮ってくれました」と添えられた投稿にちょっと照れながら、その投稿の反響を見ていたら全く想像していなかったけど冴ちゃんの腕に抱かれたままの犬のぬいぐるみがバズってしまっていた。冴ちゃんのファンサービスも大騒ぎする内容で間違いないけど、これまでの冴ちゃんとなんの脈絡もない犬のぬいぐるみの方が界隈をザワつかせていた。
 冴ちゃんは私とお揃いで買ったマスコットを愛用しているスポーツバッグに着けていた。チームメイトの潔くんがそれを見つけて話を聞いたらしく、「冴の奥さんの実家の犬に似てるらしい。奥さんとお揃いでマスコット付けてた」と冴ちゃんの代わりにSNSで言及してくれたお陰で市場からあの犬のグッズは軒並み完売してしまった。お陰で冴ちゃん宛にあの犬のキャラクターをデザインしたらしいキャラクターグッズ会社からお礼の手紙と一通りのグッズを頂くことになってしまった。
 ついでに冴ちゃんにマグカップを渡されたお母さんはめちゃくちゃ気に入って愛用していた。やっぱりお母さんも「似すぎじゃない!?」と目を輝かせていた。

角の削れた角砂糖





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