「はあ〜〜〜……」

 見ちゃダメだと思っているのに気になってしまって定期的にチェックしてしまう。世の中の全てが私を否定しているわけじゃないってちゃんとわかっているのに少しの強い言葉が私を滅多刺しにする。覚悟していたつもりだった。ちゃんと警戒してここまできっちり隠し通してきたのに、この生活に少し慣れてきてしまったのか、少し緩んでいたのか、気づいた時には遅かった。

「……どうしよ〜……」

 スマホ片手にネットニュースを覗けば大好きな冴ちゃんが気に入ってよく使っているサングラス姿で撮られた写真が目に入る。別にそれは珍しい話じゃなくて、問題はその傍に映る女性だった。そう、つまり私だ。プロサッカー選手、糸師冴と結婚した一般人女性。それが私だ。何が問題かって、その私がSNSを皮切りに素性がバレてしまったのだ。
 オフシーズンで連休だと言う冴ちゃんと一緒に夕飯のために買い物に出たのが間違いだった。いつもなら一人で行くスーパーに、冴ちゃんがついてくると言ったのを断りきれず、一緒に居たい気持ちが勝ってしまって頷いてしまったのが駄目だった。冴ちゃんの結婚に一時は大騒ぎになったものの、なんだかんだ相手が私であることはバレずに過ごし、今の家に引っ越して、入籍前から予定していた結婚式を終え、大きな事件も無く穏便に過ごしてきたから、完全に気が緩んでいたのだと思う。ちょっとくらい大丈夫、なんて。
 一緒に居る所を撮られてしまった。それもパパラッチとか週刊誌じゃなくって、冴ちゃんの過激なファンに。私も昔から認知している同担に。
 お買い物から帰って、夕飯の支度をして、のんびり二人で過ごしていたら冴ちゃんのスマホにマネージャーさんから連絡があって、事態を知った。冴ちゃんのファンと思われる人が「これ冴の嫁?」と写真を添えて投稿されたポストはかなり波紋を呼んでバズりにバズってしまったと。肖像権の侵害だとかプライバシーだとかで該当のポストそのものは大炎上し早いうちに削除されたものの、デジタルタトゥーとはよく言ったもので私たちの写真はあちこちに転載され拡散され、結果としてあの写真一つで糸師冴の結婚相手が「地元の同級生」であることまで世間に知られてしまった。恐ろしきインターネット社会、写真一つで私の素性が殆どバレてしまった。成人式で再会して連絡先を交換したものの、それ以降会ってもいない、小学校・中学校時代の同級生達から悠長にも「やっぱり糸師くんの結婚相手ってアンタだったんだ〜! おめでと!」と連絡が届いたことが全てを語っていた。
 冴ちゃんとの交際は誰にも話していなかった。話して良いわけがないと思って必死に隠してきた。とは言え、大好きな冴ちゃんのことを塵ほども匂わせない生活は私には無理だったから、こうなったらとことん一ファンとして熱烈に応援していると周りにはっきり主張し続けた。惜しむことなく公式グッズを日常使いして、冴ちゃんの活躍を日々語り続け、糸師冴のオタクだと認知してもらうことでカモフラージュを確立させた。流石に冴ちゃんから「絶対着けろ」と言われて渡されたスポンサー企業のブランド時計だとか、ペアリングだとかを誤魔化すのは苦労したけど。過激な同担たちがこぞって冴ちゃんの持ち物を特定して同じものを身につけていてくれたおかげで何とかなった。心境としては複雑だし、ここまでやるのはちょっとやり過ぎている感じがして気持ち悪がられないか不安だったけど。オタクという言葉が浸透した現代社会のおかげで私はここまで穏便に生きてこられたのだ。
 私の家族、それから冴ちゃんの家族だけが唯一知っていたその関係も、あの写真一つで私だとバレてしまった。それもそのハズだった。私は本当に小さな頃から、冴ちゃんのことが大好きで、同級生皆がそれを知っていたのだから。冴ちゃんがスペインに行ってしまうまで、ずっと私と冴ちゃんは一緒に居て、それを皆が見ていたのだから。あの写真が同級生の目に止まれば簡単に私の素性は割れた。良かった、何にも悪いことしてなくて。糸師冴の幼なじみで恋人であるという責任感をきっちり持っていて本当によかった。いや待って、でももっとちゃんと気にして居ればこんなことにはならなかったな。

「はあ〜〜〜……」

 今日何度目かのため息。もうバレてしまったものは仕方がないし、私が社会的に失うものはさほど無い。冴ちゃんと結婚するのに合わせて仕事も辞めてしまったし、大好きな旦那さんと一緒に暮らす専業主婦でしかない。はっきり言って世界一幸せなポジションに居る私が世界に妬まれて疎まれるのは本当に仕方がないと思う。だって旦那さんが冴ちゃんなんだもん。かっこよくてサッカーが上手な冴ちゃんと結婚したんだから、私の存在をよく思わない人が居るのは納得できるし強い言葉を使われるのも理解出来る。あの写真を見て「どこにでも居るフツーの女」だとがっかりする人も「ブスじゃん」とバッシングする人も、全然理解出来るのだ。だって私も糸師冴を推すこと二十年超え。推しには素敵な人と結ばれて欲しいと思う気持ちはよくわかる。冴ちゃんにお似合いだと言われていたアナウンサーの人も女優さんも、確かに並べば美男美女だなと思うから、私が結婚相手で納得できない人達が居ることに対して何も思わない。思わないけど。
 冴ちゃんはこの一連の騒動を受けてマネージャーさんと直接話して対処を決めることになってしまい、お休みの日だったのに所属するクラブチームの事務所へと朝から出掛けてしまった。私はと言えばインターネットで私の素性が暴かれているくらいで特に何にも変化のない一日を送っている。朝から鳴り響いた電話は両親からで「大丈夫なの?」と聞かれたものの、「まあでもアンタじゃなくて冴ちゃんがなんとかしてくれるわね!」とお母さんは自信満々だった。他力本願すぎる、でもおっしゃる通り冴ちゃんが多分なんとかしてくれている。いくつか届いた友人からのメッセージもお祝いの言葉ばっかりで、少し前に退職した会社の同期達からも熱烈なお祝いメッセージを頂いた。冴ちゃんと結婚する直前まで、一番私の推し活を近くで見守ってくれていた面子だ。そりゃ驚くよねと思いながら落ち着いたらまたちゃんと返事をしようと思ってちょっとバタついてると断りをいれて簡単なお礼の言葉だけを返した。
 匿名で顔も名前も知らない人達に何を言われたって冴ちゃんと私が別れるわけないし、実際身近な人たちはこんなに祝ってくれているのにこうもため息が止まらないのはどうしてか。どうしたって私には幸せが約束されているようなものなのに、気分が沈んでどうしようもない。一般人の私のプライバシーを優先してくれる世間の声もきっちり届いている。それを考えれば私は守られるだけで何も怖がる必要ないのに、やっぱり小さな悪意に簡単に傷ついてしまう。すごいな芸能人の人たち。こんなのに日常的に晒されているの? 私には無理かも。
 鬱々と思い耽ること数時間、なんだかんだともう夕飯の支度をする時間になってきてしまった。冴ちゃんの帰りを待ちながら夕飯の支度をしなくては。休日返上で対応を迫られてしまった冴ちゃんに、お詫びの気持ちで今日は塩昆布を使ったご飯にしようと決めてキッチンへと重い腰を上げる。どのみち全部全部上手いこと丸く納まってくれますようにと私は祈ることしか出来ないのだから。
 スマホを持ってると気になってチェックしちゃいそうになるからリビングのテーブルに伏せて置き去りにする。軽く頬を叩いてからよし、と意気込んで美味しいご飯を作ろうと切り替えた。



 ガチャン
 玄関の扉が開く音がしたのは夕飯の支度も終わりが見えてきた頃。タイマーをセットしておいた炊飯器が後二分で仕事を終える時だった。エプロンのままキッチンから玄関に向かって顔を出す。そこには朝と変わらぬ姿の冴ちゃんが居た。

「おかえりなさい!」
「ん、ただいま」

 靴を脱いで家に上がった冴ちゃんの元へ小走りで駆け寄る。特に疲れた様子もなく、涼しい顔をした冴ちゃんにちょっとだけ安心しながら「大丈夫だった?」とおずおず問かければ「ん」と短い返事が返ってきて何かを差し出された。

「……え」

 冴ちゃんが私に向かって差し出したのはカラフルなブーケだった。片手で抱えられるくらいのそれと冴ちゃんを交互に見ながら困惑しつつも受け取る。冴ちゃんから花束を貰うのは別にこれが初めてってわけじゃないけれど、なんで急に。なんの記念日でもないし、お祝いするようなことも何も無い。何の花束かと思いながらそれをじっと見つめて「綺麗」と呟いた。

「これ私に? 冴ちゃんが?」
「当たり前だろ」
「どうして? 今日何かあったっけ……」

 誰かからの貰い物かと思って問いかければちゃんと冴ちゃんから私に向けてのものだった。日付や季節、その他色んな事象から花束を貰うに相応しい何かがあったかと頭の中で引き出しを開きまくるもなんにもヒットせず、素直に冴ちゃんに一体なんの花束かと問いかける。冴ちゃんはじっと私を見つめた後、ぽんぽんと頭を優しく叩いた。

「元気出たか」

 冴ちゃんの澄んだ碧が私を捕まえて、頭に乗せられた手がするすると頬に向かって降りてくる。少し冷たい指先が私の頬を撫でたあと、ふにふにと優しく頬をつままれてくすぐったい。

「……そ、ういう……こと……? 私が落ち込んでたからって、こと……?」

 冴ちゃんがコクンとゆっくり頷く。相変わらずの無表情でも、その眼差しが私に向かって彼の愛情深さを物語る。
 受け取った花束をもう一度じっと見つめる。なんだか泣き出しそうだった。あんまりにも愛しくて。

「外野なんかに耳傾けてんなよ。俺が選んだんだから」
「う……ごめん冴ちゃん……迷惑かけちゃって……」
「迷惑なんて言ってねえだろ。勝手に決めんな」
「でも……」
「もっと気楽に捉えろよ。これでもうコソコソする必要ねえって思え」

 冴ちゃんの優しさに胸がいっぱいになりつつも、気遣わせてしまった罪悪感がむくむくと顔を出す。謝る私に冴ちゃんは小さくため息をついてゴソゴソとポケットから何かを取り出し、また短く「ん」と言って更に何かを差し出した。
 差し出された綺麗な封筒を首を傾げながら受け取る。手紙かと思ったけど、冴ちゃんがわざわざ手紙を書くような人じゃないことは考えなくてもわかる事だった。

「……え!」

 封のされていないソレは簡単に開くことが出来てそっと中身を確認すると、身に覚えのあるキャラクターの書かれたカードが入っていた。あまり手にした事の無いカード、でもこれが何かは見ればわかった。

「なんで!?」
「行きてえって言ってたろ」
「い、言ったかもしれないけど、でも」
「ネットに流れたモン今更完璧に消すことは出来ねえし。仮に消しきれたとしても何も無かった頃みたいに、お前のこと世界中が忘れてくれる訳ねえんだから、開き直って堂々としてろ」

 手渡されたのは二人分のテーマパークのチケット。CMを見て良いな、と言った記憶はあった。でも行こうよと言ったことはなかった。冴ちゃんと二人でテーマパークなんか行って、バレたりしたら大騒ぎになっちゃうし。そもそも冴ちゃんがテーマパークに行きたがるとも思えなかった。

「え、ええ〜……さえちゃあん……」
「何だよ」
「いいの……?」
「行きたくねえならいいけど」
「行きたい! 行きたいです! 冴ちゃんと耳つけてデートしたいです!」

 冴ちゃんの手がぬっと伸びてきて取られそうになったチケットを慌てて引っ込める。行きたくないなんてそんなワケがない。憧れていたデートプランに手が届いた瞬間を無下にするワケがない。

「ラッキーだったと思ってメソメソすんな」
「う……そうだね……自分で名乗り出るよりも全然いいよね……現状私はプライバシーを侵された被害者なわけだし……」

 さえちゃんの言葉を脳まで届けて思案する。色んなバッシングがあったとしてもそもそも私は悪いことはしていないし、つつかれる謂れはない。冴ちゃんの人気を加味してずっと隠れているつもりだったけど、そのまま生きていくには肩身は狭い。かといって表舞台に飛び込むなんて炎上覚悟の身投げが出来る訳もない。遅かれ早かれ、私の存在は誰かに見つかる形でしか世に出回らなかっただろう。で、あればいっそこの状況は絶好のチャンスかもしれない。ファンによる盗撮で不憫にも世間に顔が知られてしまったというきっかけを上手に使って、人の目から隠れることを辞めてしまえば一番角が立たないような気がする。

「これを機にのびのびと生きてやろうかな!?」
「急にポジティブだな」
「ファンに素性を暴かれてしまった可哀想な一般人妻って肩書きがあれば身バレで炎上は今後ないもんね!」
「急に打算的だな」

 考え方一つで案外世界は簡単に変わるものだなと急に晴れた気持ちになってくる。冴ちゃんは私を見下ろしながら安心したような顔で「その調子だ」と鼻で笑った。

「そっかあ、もうバレちゃったんだから気にすることないんだ! 冴ちゃんと一緒に歩いてても皆私が奥さんって分かってるから炎上したりしないんだ!」
「別に元々炎上するような事ねえって。俺はアイドルじゃねえって何回言えば分かるんだお前」
「冴ちゃんと出かけた時にいつ誰に会ってもいいように他人のフリをする練習しなくていいんだ!」
「お前そんなことしてたのか?」

 嬉しくなって冴ちゃんに飛びつけばがっちりしっかり受け止めて貰えた。きっと大問題になっているんだろうなと思っていたから冴ちゃんの様子に安堵した。私自身についてチクチク何かを言われるのは少ししんどいけど、堂々と冴ちゃんのお嫁さんとして生きていけるのは嬉しかった。外で手を繋いでくっついてたって誰も何も言わないし、自分の旦那さんがあの糸師冴だって言ってもいいんだ。素性がバレてしまった以上、これまで以上に素行には気を使っていく必要があるけど仲の良かった友人や同僚に、好きな人が居るとも彼氏が居るとも結婚するとも言えなかった事を思うと、なんだかようやく報われたような気持ちになる。

「誰にも文句言われないように素敵な奥さんになればいいんだもんね!」
「文句なんか言わせるかよ何様だ。情報開示請求して誹謗中傷で慰謝料請求してやる」
「顔がマジだよ冴ちゃん……」

 冴ちゃんの言葉に怯えつつも頼もしい旦那様だなと頬が緩む。世界の片隅で冴ちゃんを応援し続けただけの私には経験のなかったことが一度に沢山起こって戸惑ったけど、冴ちゃんが居るから多分大丈夫だ。そんなこと初めから分かってたのに、何をそんなに落ち込んでいたのだろう。不思議なもので、自分に向けられる強い言葉より、隠れたりせずに冴ちゃんのお嫁さんとして堂々と生きていけることの方が私には重要だった。テーマパークだって何も気にせず遊びに行けると思うと気持ちが急浮上して浮き足立ってしまう始末。私の脳みそは単純な作りをしているなと思いながらも、幸せだなと噛み締めた。

「腹減った」
「あ! 今日はね、お詫びに塩昆布と枝豆の混ぜご飯だよ!」
「へえ」

 きっととっくに炊き上げてくれているであろう炊飯器のことを思い出す。夕飯の支度は殆ど終わっていることを冴ちゃんに伝えてすぐにご飯にしようと家の中を進む。貰った花束と封筒に入ったチケットを交互に見て「ねえいつ行く!?」と聞けば「オフシーズン中」と即答された。意外とすぐにその日はやって来そうだ。はりきってカチューシャをリサーチしておこう。冴ちゃんに「お揃いで行く!?」と聞けば「好きにしろよ」と決定権を丸投げされた。

「ところで本当に大丈夫だったの……?」
「あ?」
「クラブチームの人たち、困らせたんじゃない……?」
「別に、何にも悪いことしてねーんだからインターネットの海に然るべき法的措置を取るって発表しときゃ終わりだ」
「ほ、法的措置!?」

 思っていたのとは違う方向に話が大きくなってることを知り絶句する。「自分の嫁を好き勝手評価されんのは気に入らねえ」と冴ちゃんは呟いて、真面目な顔でプライバシーの侵害だとか誹謗中傷だとかについて情報をまとめて一個人相手でもきっちり抗議すると語った。私は慌てて「そこまでしなくていいから!」と止めに入れば「一回事案作っときゃ全員黙るだろうが」と小競り合いになった。
 結局私が押し切って冴ちゃんが「今回だけだぞ」と渋々私の言い分を飲み込んでくれたけど、普段何があっても全然更新しないくせに「嫁の意向で厳重注意で済ませたが今後こういうことがあったら然るべき所に出る」なんてSNSで威嚇しまくっていて頭を抱えた。でもそれに続いた「俺が選んだ女を理解できねえファンなんか要らねえ」という投稿には頭痛がするほど喜んだし、バズりまくってトレンド入りしていた。かっこよすぎない? 私の旦那さん、世界で一番かっこいい。
 これで全ては一先ず一件落着かなと思った。翌日、義弟になった凛ちゃんがSNSで「そもそも写りが悪ィ。写真下手クソかよ」と身内だけで挙げた結婚式の写真を堂々と上げてしまうまでは。一体何を考えてるんだこの兄弟!

「凛ちゃんコラーーー!」
「兄ちゃんに許可は取った」
「冴ちゃん!?」
「見せびらかしたかったワケじゃねえけど、勝手にブス呼ばわりされんのは気分が悪ィんだよ」
「……それって冴ちゃん、私のことを可愛いって思ってるって……こと……?」
「可愛いだろうが」
「ひい」

 拡散された私たちの結婚式の写真はどういうわけか「糸師凛による兄夫婦の間に挟まって写真を撮ってもらう弟ムーブ」としてトレンド入りした。冴ちゃんと同じチームでプレーしている潔くんが「奥さんめちゃくちゃ美人だな!」と反応してくれているにも関わらず、凛ちゃんが潔くんに「殺すぞ」と返しているのを見て凛ちゃんを怒ったのは言うまでもない。

打算的なメランコリー





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -