白い部屋、黒い部屋
*オチアイさん
二手に別れたせいか、住宅街を包み込む静寂が、より大きくなった気がする。遠くに広がる黒い森が、さっきよりも近くに見える。あの森には何があるんだろう?あまり近付くと、あの黒さに飲み込まれてしまいそうだ…。森の方に向かって道を進めば進むほど、道に射し込む光が減って、辺りが暗くなってるような…何だか心細い。
アパートの部屋はどこもこじんまりとしていて、椅子などの家具はもちろん、壁やカーテンもホコリを被って真っ白になっている。それでも、どこか人の住む気配を感じてしまうのはなぜだろう…単に、部屋の中が片付いて見えるから?確かに、それも変だとは思うけど…
アパートの裏手には、いつの物か分からないゴミが、袋に入れて捨てられたままになっていた。少し近付いても何の匂いもしないから、恐らく完全に干からびてしまってるんだろう。
その中に、明らかにゴミとして不似合いな物が立て掛けてあった。それは、額に入った絵だ。どこかの水辺を描いたものだろう。広い水辺に、小さな小屋がぽつんと建っている、シンプルな絵。周りに木が多いから、海というより、湖かもしれない。サトルも興味をひかれたのか、絵に近付いて映像に収めている。
「ちゃんとした、普通の絵画ですね。呪いの絵とかではなさそう…」
「何でこんな場所に捨ててあるんだろう?多分、部屋に飾ってあったんだろうけど」
「捨てたというより、置いたって感じもしますよね…あ、端っこに何か書いてある!画家のサインかな?いや、数字…?」
「えっ、どれどれ…ほんとだ、403?」
「あ、403!そう見えますよね?」
「もしかして、部屋番号か…?」
二人で今いるアパートを見上げる。この辺りには個人の所有らしい小さなアパートが並び、ここも含めて、多くは3階建てだけど、探せば4階建てのものもあるかもしれない。
それとなく、4階建ての建物を探しながら歩く。心なしか、この町に入ってから、空気全体に何かが蒸されたような、独特な匂いが漂ってる気がする。足元の地面を見ると、白っぽい灰のような欠片が落ちていた。もしかして、この辺りで火災でも発生したんだろうか?なぜだか気になる…この町で過去に何が起きたのか、起きてしまったのか。その真実に少しでも近付ければ…俺の心の霧も、晴れるかもしれない。
*サトル
オチアイさんがいつになく真剣に建物を見て回っているので、つい僕も無口になってしまう。いつもなら、この車は年代物ですねー、製造会社は**州の…とか、オチアイさんも呆れちゃうような、マニアックな会話もできるんだけど。
多分、さっき見たあの絵が、二人の頭に引っかかってるんだと思う。403…まるでサインみたいに書かれた、あの数字。確かに気になるけど…本当に、どこかの部屋を指してるのかな。だとしたら、そこには何が…?
石造りのアパートの外壁を見ると、当時貴重だったであろう窓ガラスは、もうほとんど残っていない。陽の光は何にも反射されず、ぽっかりと空いた石枠の奥の、薄暗い部屋の中に吸い込まれていく…
恐る恐る、部屋の中にカメラを向けると、天井からチラチラと白い何かが舞っている。最初はワタぼこりかと思ったけど、じっと見ていると、どうも様子が違うことに気づく。どちらかというと質感は灰に似ていて、それも意思をもって動いているような…
近づいてみて、思わずアッと声が出た。蛾だ!灰そっくりの小さな蛾が、部屋中を飛び回ってるんだ…その動きは独特だった。普通の蛾と違ってほとんど羽ばたかず、風も無いのに、ハラハラと舞い落ちるように滑空してる…でも、その姿は紛れもなく蛾だった。
「オチアイさん、あれって…蛾ですよね?」
思わず手招きして、小声で呼ぶ。でも、返事がない。慌てて振り向くと、いつの間にか結構遠くまで行っちゃってる。まるで、何かに誘われるみたいに…
「ちょ、オチアイさん待って!一人で行かないで…!」
オチアイさん、行っちゃダメだ。聞こえてないのか、振り向いてもくれない彼の背中をカメラにしっかりと捉えて、必死に後を追う。ここで彼を一人にしちゃダメだと思った。単独行動は危ないとか、オチアイさんが天然だからとか、そんな単純なものじゃなくて…自分でもよく分からないけど、無理やり言葉にするなら、向こう側の世界に連れてかれちゃうような気がしたから。
[しょうちゃん視点]
本当に人はいないんだろうか?小さなアパートの密集した西通りは、昼間でも、怖いくらい静かだ。部屋の窓にはどこも黒い雨戸が降りていて、中は見えなくなってる。
僕の隣りでは、いつものように、先生ことまーくんが素敵な観察眼を発揮して、この不思議な世界の輪郭を見せてくれる。
「これは多分、サガン石で造られてるね…2、3世紀は前のだけど、まだ住めると思うよ。昔はこういう丈夫な石が沢山採れたから、この時代の建物って、ほとんど補修もされずに残ってるんだよね…勿体ないなぁ」
「なるほど…そういえば、古い町の特集とかで、似たような建物見たことありますね…」
僕も古い建物はとても好きなので、カメラを手にしみじみと建物の外観を写真に収めた。壁に残る、何か硬いものを擦ったような跡や、張り紙のあったらしい日焼けの跡にも、歴史を感じる。通りの石畳も綺麗だし、景観も悪くなさそうだし…こんなアパートなら、僕も住んでみたかったなあ。
ふと足音が聞こえて、向かいの通りに目をやると、アパートの壁沿いに、オチアイさんを追いかけて走ってるサトルくんの姿がチラッと見えた。二人とも、何か見つけたのかな?でも、ちょっと心配だ。この場所は広いから、あまり離れると、お互いを見失うかもしれない。それに、日光も弱くなってるみたいだ。まだ昼間なのに…
「何か、暗くなってきましたね…」
「ああ、もし雨でも降ったら大変…って、え!これ…」
「ど、どうしました?」
「ちょっと見てみて、この中…」
まーくんが指さす先には、半分くらい開いた雨戸が…見たいけど、見たくないような…恐る恐る覗いてみて、浮かび上がった室内の様子に震えた。全部、真っ黒だ。テーブルも、ソファも、壁も…単に部屋の中が暗いせい?でも、そうは思えないほど、あまりにも黒で塗りつぶされてる。二人分のライトで照らしても、ちっとも明るくならないんだ。まるで、全ての光が吸収されちゃってるみたいに…
「え…この中、めっちゃ黒いですよね?中が暗いからっていうより、普通に黒…」
「だ、だよね、いくら何でも黒すぎだよね?火事でもあったのかな?」
「それにしては、何で家具とか残ってるんでしょう…?」
「確かに…燃えたっていうより、まるで部屋全体が影、みたいなさ…お化け屋敷でも、こんな怖い部屋、見たことないよ…!」
さすがの先生も、この状況にはお手上げみたいだ。彼がここまで狼狽えている姿は初めて見たかもしれない。黒い部屋、恐るべし…
「一つ言えるのは…この部屋には、絶対に入りたくない、ですよね…?」
「も、もちろん!俺まで真っ黒になりそう…いやーどうなってるんだこれ、怖い…!」
お互いの話す声も、いつになく心細い…ひょっとして僕らは、とんでもない場所に足を踏み入れちゃってるんじゃないだろうか?それこそ、"廃墟街"なんて言葉では言い表せないくらいの、想像を越えた空間に…
結成から9年を迎えるミステリー調査隊として、それは歓迎すべきシチュエーション、かもしれない…でも今回は、"映像のノンフィクション部門で賞をもらった、感動!"だけじゃ済まないかもしれない。あまりにも、スケールが大きすぎて…
「他の部屋とか、どうなってるんでしょう…?」
「そうだね、どこかもう一つくらい、窓が開いてる場所ないかな?入るのは怖いけど…」
底知れない怖さは感じながらも、湧き上がる好奇心を抑えられず、足音を忍ばせてアパートの裏手に回ってみる。すると…見つけた。二階のある部屋に、雨戸どころか、窓ガラスさえも無く、ぽっかりと開いた窓が一つ。そこから、だらりと黒い何かが垂れ下がって動いている…
「うわ!な、なに…!」
思わず逃げ出しそうになったけど、遠くからカメラをズームしてよく見ると、どうやら黒い帯…恐らくネクタイのようなものが、窓辺のハンガーにかかって、風にひらひらとはためいていた。よく見ると、一緒に黒いスーツみたいなのもかかってる。きっと、昔ここに住んでいた人のものだろう。でも、窓辺にかけられた物が、いつまでもあんな状態で残っているだろうか…
「えっ…本当に中、誰も住んでないよね?こんなことってあるの…マジで怖いんだけど…」
まーくんが窓にカメラを向けながら泣きそうになってる…正直、僕も泣きたい。
「ねえ、この場所…ちょっと変ですよね?廃墟っていうより、人だけパッと消えちゃった、みたいな…」
「うん…神隠しって言われたら、俺信じちゃ…」
不意に会話が止まる。今、ふわっと空気が揺れて、あの開いた二階の窓から何かが落ちてくるのが見えたんだ。まるで、部屋の中にいる人が、こっちに向けて落としたみたいに…
あまりの恐怖に声も出せず、二人で飛びのき…コツン、と何かが地面に当たる音を聞く。恐る恐る振り向くと、さっきまで僕らがいた場所のすぐ近くに、少し埃が舞っている…そこに、何かが落ちていた。石ころみたいに小さくて、平たくて…でもよく見ると、縁に細かい装飾がされていて、形も凝ってて、ちゃんと人の手で作られたのが分かる。まーくんが恐る恐るしゃがんで、拾い上げた。
「これ…バッジかな?ほら、この色合い。ちょっと懐かしい感じ…」
「本当だ!裏側にピンが付いてて…文字?も入ってますよね」
「うん、この形…4とかC?にも見えるけど…飾り文字だね。何かのシンボルみたいな…でも、何だろう?」
「後で二人にも見せましょうよ!ひょっとして、何かの手掛かりになるかも…」
「そうだね。これは持っといた方がいい気がする」
まーくんが大事そうにホコリをはらって、バッジをポケットに入れる。これは、ただ落ちてきた物っていうよりも…何かのメッセージじゃないかって気がするから。
早速、東通りにいる二人にこのことを電話で伝えようとしたけど、なぜかサトルくんが電話に出ない。いつもはすぐに出てくれるのに…まーくんがオチアイさんにかけると、一瞬繋がったけど、すぐに切れちゃったみたいだ。さっき二人でいたのを見たから、そんなに遠くには行ってないはずだけど…なぜだろう、すごく胸騒ぎがする。
尋常じゃない空気を察したのか、まーくんの顔が一気に険しくなった。
「とりあえず、東通りに行ってみよう。まだそんなには離れてないと思うから」
「はい!」
僕らの足音が、心細くアパートの壁に反響する。オチアイさん、サトルくん、お願いだから無事でいて!
(続く)
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